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2015年11月17日火曜日

弱者による唯一の抵抗手段「テロ」

恐怖政治とは、

投獄、殺戮、等の苛烈な手段によって、反対者を弾圧して行う政治のこと。(フランス語: terreur)

フランス革命時にロベスピエールを中心とするジャコバン派(山岳派)が行ったそれ(恐怖政治)のこと(仏:la Terreur、英:Reign of Terror)。(Wiki





そろそろ学校の教科書を、ロベスピエールの「テロ政治」としたほうがいいんじゃないか

ーーすくなくとも「テロ」という言葉はわが愛するフランス国の発明さ





テロの教訓とは、自らの平和は、他の場所での破滅的な事態という代価を払ってあがなったものということだ。やらなくちゃいけないことは、このような出来事が起きないようにするための唯一の可能な方法をさぐること、それは〈他のどこでも〉このような出来事が起きないようにすることだ。





…………

で、「現代」におけるテロとはいったいなんだったっけな

「《テロ》という概念に,国際的に合意された明確な定義がない」(坂本義和「テロと《文明》の政治学」,藤原帰一編『テロ後一世界はどう変わったか一』岩波新書,2003年)

ツイッター社交界のみなさん、清き正しき「美しい魂」のみなさん、根っからの猫かぶりチャン!

どんなテロも許してはならない! ーーだって? 

ーー強者の論理にすぎないさ、戦争だったらやってもいいが、テロは困る、というな。

オベンキョウとは「体制派」になることだったっけ?

「哲学は何の役に立つのか?」と問う人には、次のように答えなければならない。自由な人間の姿を作ること。権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発すること、たったそれだけのこととはいえ、いったい他の何がそれに関心をもつというのか。(ドゥルーズ『意味の論理学』)

《権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発する》ってあるな、

とすれば「どんなテロも許してはいけない」などと寝言をいう連中を罵倒するのが考える仕事のひとつではないか? 

すくなくともテロ行為者はたんなる追剥ではないよ
おわかりだろうか、「美しい魂」のみなさん!

虚栄の強い人間のうちの最も厭うべきあの《種属》、あの嘘つきの出来損いども…『美しい魂』を見せびらかそうと企み、詩句やその他の襁褓にくるまれて台なしになった者らの官能を『心情の純潔』と銘うって市場へ持ち出そうと狙っている。道徳的自慰者・『自己満足者』の《種属》がそれだ( ニーチェ『道徳の系譜』)


戦争は国対国、兵士対兵士の闘いだけど、民間人が犠牲になるテロは許せない!ーーだって?

ーーああそうさ、で、戦争でなんで民間人死んでるんだ? はあん?

もし米国が《アフガンの無実の民間人犠牲者については,誠実に補償し,責任者を法の裁きに付す》と公約して武力行使をするのであれば,それは《新しい戦争》と呼ぶにふさわしい,国際法に新例をひらく行動と言えるだろう」(同、坂本義和)

ーー司令官たちを死刑にしろよ


いずれにせよ、戦争状態にあるのさ、フランスとムスリムはな、

フランスは中東で戦争状態にある。オランド大統領はイラクに爆撃機を出動させ、過激派を空爆している。ただ、国民はそれを意識していない。(エマニュエル・トッドーーテロ事件後の電話インタビュー

これらの攻撃に対抗するために、ムスリムたちには「テロ」以外の手段があると思うかい?

IS(イスラム国)かい、連中の残虐性?

IS自体が、その前身は、イラク戦争後にイラクで反米ジハード(聖戦)を始めた「イラク・アルカイダ」であり、シリア内戦を経て、アルカイダから離れ、アルカイダに対抗する組織となった。(川上泰徳

米国の報復が連中を育てたんだよ、さらにシリア空爆していっそう育てたいわけかい?

さて、テロを定義するなり規定することはできるのであろうか。

まず、テロはどんなものでも悪であり犯罪である、従ってこれを防ぐためにテロ集団を壊滅させなければならない、という考えが一般的にあると思う。これは、テロが起るとその背景は何か、原因は何か、民族的、宗教的、経済的理由を探し出し、これに対応しなければ根絶できないとの議論に対して、テロへの弾力的対応すなわち妥協はさらにテロを呼ぶとして断固これを排除し、テロを人類社会に対する犯罪として一貫して厳しく対応しなければならないという立場である。特に国内では、政治目的であろうと、民族目的であろうと、テロは犯罪として警察と軍が厳しく取り締まるのを常とする。

しかしながら、戦後植民地が独立する過程では、優越した軍事力や警察力を保持した統治権力に対して、反権力側はテロ行為を織り交ぜながら戦い、結局は宗主国から独立を勝ち取った、という歴史的プロセスがある。(秋山昌廣、21 世紀の脅威、テロ、非対称脅威の定義と対応)

テロとは、強者側にとっては「非対称脅威」のことさ、
そして弱者側にとってはほとんど唯一の「戦争」の仕方だよ

場合によったらほとんど唯一の世界を変える仕方さ

《哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。大切なのは世界を変えることだ。》(マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)


オレはこうみえても、《統治権力に対して、反権力側はテロ行為を織り交ぜながら戦い、結局は宗主国から独立を勝ち取》った世界で唯一の対米戦勝国、「テロの鑑」の国に住んでるからな。




非対称脅威(asymmetric threat)という言葉は、1990 年代に議論が始まったと見られるが、公式文書に現れるのは1997 年の米国のQDR (10) (4 年毎の国防計画の見直し)と言われている。当時米国では、非対称戦(asymmetric warfare)について、軍隊同士の交戦ではなく、弱者が、敵の強みを避け、敵の弱みに対して予期できないあるいは従来型でない斬新な方法で攻撃することである。

結論から言ってしまえば、非対称脅威とは、 「実行する主体、実行の対象、実行の手段、実行の方法、そして実行の目的が、通常の脅威に対してほとんど全て非対称であって、一般には、強者に対して弱者が何らかの政治的意図あるいは宗教的・民族的・文化的意図を持って臨もうとする場合の、甚大な影響をもたらす行為である」と定義できよう。 (同上)