私は地中海をこよなく愛した。たぶん他の多くの人と同じように、また多くの先達に続いて北の出身であるためだろう。長い歳月にわたってーー私にとっては青春時代を過ぎてまでもーー地中海に研究を捧げることは喜びであった。私の青春の代償として、この研究の喜びの一部と地中海の多くの光りが本書のそれぞれのページを照らし出してくれるものと期待している。……(フェルナン・ブローデル『地中海』序文(初版)浜名優美訳)
ああなんと惚れ惚れする文だろう
「こよなく愛した」ってのがいいなあ
「とても愛した」とか「ひどく愛した」では感じがでないよ
それと「青春の代償として」、
「多くの光が」「ページを照らし出」すってのもいいなあ
「自分の鼻先を見せ」るってヤツだよ
あのころの無垢な人生の旅人のさ
ヴェネツィアを想起するにあたって、私の心はなによりもまず、はじめてこの町に近づく無垢な旅人に向けられる。それは、一種の迂回路であるとはいえ、自分自身をふたたび見出す方法、他者に高い価値を与えるという好都合な口実のもとに、自分自身に特権を与える方法なのではないだろうか? 青春の戸口にあった自分自身の姿をふたたび目にすると同時に、常軌を逸した形で膨張し、広がってはならないはずのところまで広がりながら、そこでもやはり繁栄し、私たちの喜びのために今なお生き続けているこの町にはじめて面と向かったときの自分に再会する……。「内心を打ち明ける女友達(とも)として、私はヴェネチアを選んだ。」ポール・モーランは最近そう書いた。「(……)私は他のどこよりもヴェネチアでこそ、よりよく自分の人生を考える。「レヴィの家」のヴェネローゼのように、画面の片隅にちらっと鼻先を見せるようなことになっても、それは仕方がない。」ヴェネツィアを語ろうとする時、人はたちまち自分の鼻先を見せてしまう。押し寄せる思い出の群を抑えるすべはない。そんなことのできる人がいるだろうか? 本当の話をしよう!(フェルナン・ブローデル『都市ヴェネツィア』岩崎力訳)
ああ「押し寄せる思い出の群を抑えるすべはない」!
訳者がいいのもあるけどブローデルは歴史家では最高の美文家さ
アランはこう言っていたーー「人がよく考えられるのは、他人の思考についてだけだ。」私たちひとりひとりが、他の人たちを眺め、他の人たちに耳を傾ける時に、よりよくヴェネツィアを理解できるのではないだろうか? 私たち、妻と私は一九三五年十二月、ヴェネツィアに着いた。のちに地中海に関する著作となるものを準備中で、いわば研究旅行だった。あの悲しい日々のヴェネツィアとイタリアは外国人にたいして愛想が悪く、しかも今日と同じく生きる幸せに浸りきっていた。私たちは孤独のワインを飲んだ。しかし、試してみれば、それはこのうえなくおいしい、心身に良いワインだった。ヴェネツィアの群衆のただなかの孤独は、なんと素晴らしいことだろう! 心ゆくまで楽しみを味わわせてくれる。そういう初体験のせいだろうか? 私は、私たちは、ヴェネツィアでは、その後も孤独を愛し続けた。無名であることの楽しみ。とはいえ、ふりかえってみると、読者の皆さんもそう思われるにちがいないが、私の証言など、脇に置いておくほうがいい。結局なにが残るだろう? 三つか四つの覚え書、ひとつかみのイメージぐらいなものだ。(同『都市ヴェネツィア』)
ところでオレにはそんなものがあるんだろうか
こよなく愛し続けたものが
お前のたましいをひきつけたのは何であったか、
お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」
と問うことによって、過去をふりかえって見ること
ーーと言ったのはまだ若いニーチェだ(『反時代的考察』)。
自分が愛するからこそ、
その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、
愛について何を知ろう
ーーと言ったのは『ツァラトゥストラ』のニーチェだ。
人はその対象を軽蔑したことのなくてこよなく愛し続けることがあるだろうか
と問うてみよう
オレは女をこよなく愛した
と言ってみよう
私が肉慾的になればなるほど、女のからだが透明になるやうな気がした。それは女が肉体の喜びを知らないからだ。私は肉慾に亢奮し、あるときは逆上し、あるときは女を憎み、あるときはこよなく愛した。然し、狂ひたつものは私のみで、応ずる答へがなく、私はただ虚しい影を抱いてゐるその孤独さをむしろ愛した。
私は女が物を言はない人形であればいいと考へた。目も見えず、声もきこえず、ただ、私の孤独な肉慾に応ずる無限の影絵であつて欲しいと希つてゐた。
そして私は、私自身の本当の喜びは何だらうかといふことに就て、ふと、思ひつくやうになつた。私の本当の喜びは、あるときは鳥となつて空をとび、あるときは魚となつて沼の水底をくぐり、あるときは獣となつて野を走ることではないだらうか。
私の本当の喜びは恋をすることではない。肉慾にふけることではない。ただ、恋につかれ、恋にうみ、肉慾につかれて、肉慾をいむことが常に必要なだけだ。
私は、肉慾自体が私の喜びではないことに気付いたことを、喜ぶべきか、悲しむべきか、信ずべきか、疑ふべきか、迷つた。
鳥となつて空をとび、魚となつて水をくぐり、獣となつて山を走りたいとは、どういふ意味だらう? 私は又、ヘタクソな嘘をつきすぎてゐるやうで厭でもあつたが、私はたぶん、私は孤独といふものを、見つめ、狙つてゐるのではないかと考へた。
女の肉体が透明となり、私が孤独の肉慾にむしろ満たされて行くことを、私はそれが自然であると信じるやうになつてゐた。(坂口安吾「私は海をだきしめてゐたい」)
で何が言いたいんだって?
不快をあたえてくれないものには快もわずかにしかないのさ
不快のない愛の対象なんて長続きしないよきっと
そうじゃないかい?
なんだって? 学問の究極の目標は、人間に出来るだけ多くの快楽と出来るだけ少ない不快をつくりだしてやることだって? ところで、もし快と不快とが一本の綱でつながれていて、出来るだけ多く一方のものを持とうと欲する者は、また出来るだけ多く他方のものをも持たざるをえないとしたら、どうか? ―「天にもとどく歓喜の叫び」をあげようと望む者は、また「死ぬばかりの悲しみ」をも覚悟しなければならないとしたら、どうか? おそらくそうしたものなのだ! …… …おそらく今日なお学問は、人間からその悦びを奪い去り、彼を一そう冷たく、一そう彫像的に、一そうストイックにするというその力のゆえに、ひろく人々の熟知するところなっているのだろう。だがまた学問はそれ以上に偉大な苦痛のもたらし手として発見されることもあるだろう。 ―そうなったあかつきにはおそらく同時に学問の持つ逆の力も、悦びの新しい星空を輝かしめるその巨大な能力も、発見されることだろう!(ニーチェ『悦ばしき知識』)
人間は快をもとめるのでは《なく》、また不快をさけるのでは《ない》。私がこう主張することで反駁しているのがいかなる著名な先入見であるかは、おわかりのことであろう。快と不快とは、たんなる結果、たんなる随伴現象である、──人間が欲するもの、生命ある有機体のあらゆる最小部分も欲するもの、それは《権力の増大》である。この増大をもとめる努力のうちで、快も生ずれば不快も生ずる。あの意志から人間は抵抗を探しもとめ、人間は対抗する何ものかを必要とする──それゆえ不快は、おのれの権力への意志を阻止するものとして、一つの正常な事実、あらゆる有機的生起の正常な要素である。人間は不快をさけるのではなく、むしろそれを不断に必要とする。あらゆる勝利、あらゆる快感、あらゆる生起は、克服された抵抗を前提しているのである。──不快は、《私たちの権力感情の低減》を必然的に結果せしめるものではなく、むしろ、一般の場合においては、まさしく刺戟としてこの権力感情へとはたらきかける、──阻害はこの権力への意志の《刺戟剤》なのである。((ニーチェ『権力への意志』)
大切なのは、まずは「好き」と「愛する」の次元を混同しないことさ
「こよなく好き」なんて言わないだろ?
ストゥディウム(studium)、――《この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。》
プンクトゥム(punctum)、――《ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。》
《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》(ロラン・バルト『明るい部屋』)
これは、ラカンの用語を使うなら、快楽plaisir/悦楽(享楽) jouissance さ
快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。
悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)
いやたいしたことが言いたいわけじゃないさ
《そのどれもに夢中になり
そのどれもにやがて飽きてしまう
ドンファンみたいに》って読んだからさ
オレはドンファンじゃないみたいだな
根っからからはね
無垢な人生の旅人の鼻先はいつまでも残ってるからな
知っているか
詩にはさまざまな書きっぷりがある
カーヴァーの書きっぷり
カヴァフィスの書きっぷり
シェークスピアの書きっぷり
みなそれぞれに胸を打つ
ぼくは翻訳で読むだけだけれど
(ありがとう翻訳家の皆さん・名訳と誤訳の数々)
みんな死ぬまで自分の書きっぷりで書いた
書きっぷりはひとつの運命
だがぼくはいろんな書きっぷりに惑わされる
ひとつ ふたつ みっつ よっつ……
そのどれもに夢中になり
そのどれもにやがて飽きてしまう
ドンファンみたいに
女に忠実
詩には不実?
だがもともと詩のほうが
人間に不実なものではなかったか(谷川俊太郎「北軽井沢日録」)
青春の戸口の髑髏っていってもいいさ
《体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。
四〇年前の失恋の記憶が昨日のことのように疼く。》(ボール・ヴァレリー『カイエ』)
頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平成は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。
小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。
しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』)
とはいえ、青春の戸口の髑髏などど安易に言ってもいいものだろうか
リルケさん、あなたはどう思う?
たとえば閾。愛しあう二人は、昔からある扉口の閾を
かれら以前の多くの人、またかれらの後にくる未来の人々と同様に
すこしばかり踏みくぼめるが、それは二人にとって
通常の閾だろうか……、いな、かろやかに越える閾なのだ、(リルケ『ドゥイノ』「第九の悲歌」)