①美わしのベンガル(ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅彦訳…)
②官能の庭(マリオ・プラーツ、若桑みどり訳…)
③パウル・ツェラン全詩集(中村朝子訳……)
④フランス中世文学集3 笑いと愛と(新倉俊一、神沢栄三・天沢退二郎訳…)
⑤比較精神医学(H・B・マーフィ、内沼幸雄他訳…)
⑥地中海Ⅰ、Ⅱ(F・ブローデル、浜名優美訳…)
⑦カミュの手帖(大久保敏彦訳…)
⑧世界宗教史Ⅲ(ミルチャ・エリアーデ、鶴岡賀雄訳…)
⑨オランダ・ベルギー絵画紀行(フロマンタン、高橋裕子訳…)
⑩現代ロールシャッハ・テスト体系(エクスナー、秋谷たつ子他訳…)
臼田訳は一読脊髄を快い戦慄が走る。熱帯樹を伝う雨の雫、稲田にこもる湿気がそくそくと身に迫る。体言止め、SVO文の多用。しかも違和感なく、立原道造より出て彼を超える詩語の可能性を示す。早世したベンガル詩人の原語よりの訳という珍しさをはるかに超えている。 『官能の庭』の訳には敬服。ツェラン単独訳は力業。ただ「ぼく」「お前」はリルケ邦訳ですり切れた代名詞かと思う。『フランス中世文学集』はチョーク臭のない学者と詩人の愉しい共作。読みとおせる長い訳詩はなかなかない。重要な大部の学術書訳出の努力に感謝し、文体の一層の洗練を願うーー「のだ」「なのだ」の節約など。妄言多謝。
ははあ、なるほど、《重要な大部の学術書訳出の努力に感謝し、……》とあるのだ。
アナトリアのアマジのトルコ軍の野営地では近衛歩兵たちが毎日雪の水を飲んでいるのを見てびっくりしたビュスベックも言っているように、一年中雪が見つかったのだ。雪の商売は大変重要なので、〔オスマン帝国の〕バシャ一族は「氷採掘」に手を出すほどである。(……)
他のところ、エジプトでは早馬によるサービスが雪をシリアからカイロまで持って来たし、リスボンでは雪を非常に遠くから持って来させた。(……)マルタ島では、騎士たちは、彼らの言うことを信じれば、ナポリ発の雪の入荷がないために死んでしまった。彼らの病気は、「この上なくゆき効く薬」として雪を必要としたのである。雪は高級食品であったのだ。(フェルナン・ブローデル『地中海』浜名優美訳 上 p.38)
文体の洗練されていない翻訳書や学者の論文ばかり読んでいると、この文末の癖に不感症になってしまう場合があるのだ。それは、中井久夫が「出版ダイジェスト」1985年7月1日にも次ぎのように書いているのを知っているにもかかわらずなのだ。だが、それはチョーク臭とでもいうべきなのだ。
……日本語の敬語もよく考えると単に丁寧さの程度だけではない。われわれは同じ対象に向って「です、ます」調で講演し、「である」調で文を綴る。
「です、ます」調が講演や会話で選ばれるのは、接続がやさしいからである。実際、「です」「ございます」は、文から独立して、喚起的な間投詞(というのであろうか)として使用されている。「あのですね、実はですね、昨日のことでございますが、あのう、お電話をさしあげたんですがね、いらっしゃいませんでしたですね。それでですね……」。こういう用法は、顔が見えない電話での会話で頻用される。
「である」にこの作用をもたせると、政治演説になる。「のであるんである」は政治家の演説を嘲笑するのに恰好である。しかし、予想外に多くの批評家の文に「のである」の頻用を発見する。「だ」の間投詞的用法は某政治家が愛用して「それでだ、日本はだ、再軍備してだ……」とやっていたが、「突っぱねるような調子」と批評され、不人気の一因となった。
「のである」を、私は「ここで一度立ち止まっていままでの立論を振り返れ」というしるしと見る。どうしてもなくてはかなわぬ場合以外に使用すると相手をむやみに立ち止まらせ、相手の頭にこちらの考えを押し込もうとする印象の文になり。品が下る。
「です、ます」調で書かれた文は、相手にそれとなく同調を迫り、相手を自分のペースに巻き込んで、うやむやのうちに同調させようという圧力を持つと私は思う。「です、ます」調の文に対しては批評意識が働かせにくい。京都学派がかつて頻用した「なかろうか」にも同じ傷害を感じる。
日本文の弱点は語尾が単調になることで、語尾を豊かにしようと誰も苦心するはずだ。動詞で終ることを多くする。体言止めにする。時に倒置法を使う。いずれもわるくない工夫である。
接続が日本語において重要であることは、従来から意識されてきた。西鶴の若い時の文体や野坂昭如の文体においては、文の独立性を不明瞭にすることによって、柔軟な接続に成功している。一方、晩年の西鶴やそれを模した志賀直哉の文体、あるいは谷崎の文章読本に説くような、極度の接続詞の節約は一見反対のように見えて同じことの裏の面である。接続詞抜きでよい接続をすることが高い美学的価値を生む芸当であるのだ。もっとも接続詞の極端な禁欲は、文章を点描法の画に近づけ、一般に随筆的な文章とする。メリハリのためには、多少の接続詞が必要である。また、主語の明示をにくむこと、親のかたきのごとくであるのも、狭量であると私は思う。しかし、「で」で続くたるんだ接続をよしとするわけではけっしてない。これはジャーナリストの文章に多くを見る。……(中井久夫「日本語を書く」1985初出『記憶の肖像』所収)
ははあ、西鶴は前期と後期で文体が違うのだ。西鶴などまともに読んだことのないヤツラは、オレと同じように、しらなかっただろ?
仙台につきてみれば、この所の傾城町はいつの頃絶えて、その跡なつかしく、松島や雄島の人にもぬれて見むと、身は沖の石、かわく間もなき下の帯、末の松山腰のかがむまで色の道はやめじと、けふ塩竈の明神に来て、御湯まゐらせける人をみるから恋ひそめ、社人に近寄り、「我は鹿島より当社に参り、七日の祈念して帰れとの霊夢にまかせ候」と申せば、いづれも、「有難き事かな」と様々いさめけるうちに、かの舞姫、男あるをそそのかして色々おどせば、女ごころのはかなく、おしこめられて声をも得てず、この悲しさいかばかり、「道ならぬ道ぞ」と膝をかため泪をながし、こころのままにはならじと、かさなればはね返して、命かぎりとかみつきし所へ、男は夜の御番勤めし、夢心に胸さわぎ、宿に盗人の入ると見て立帰り、女は科なき有様、世之介を捕へて、とかくは片小鬢剃られて、その夜沙汰(さた)なしに行方しらずなりにき。(西鶴『好色一代男』)
人のになる事、仕合せといふは言葉、まことは面々の智恵才覚を以てかせぎ出し、其家栄ゆる事ぞかし。
これ福の神のゑびす殿のまゝにもならぬ事也。大黒講をむすび、当地の手前よろしき者共集り、諸国の大名衆への御用銀のの内談を、酒宴遊興よりは増したる世のみとおもひ定めて、寄合座敷も色ちかき所をさつて、、下寺町の客庵を借りて、毎月身体にくれて、命のかたぶく老体ども、後世の事はわすれて、ただ利銀のかさなり、富貴になる事を楽しみける。(西鶴『世間胸算用』)
晩年西鶴の文体が、志賀直哉で、前期が野坂昭如ともあるのだ。
志賀直哉くらいはいまの若い皆さんも読むだろうよ。
或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴつたりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がつていた。他の蜂は一向に冷淡だつた。巣の出入りに忙しくその傍を這ひまはるが全く拘泥する様子はなかつた。 (……) それは三日程その儘になつていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを興へた。淋しかつた。他の蜂が皆巣箱へ入つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ残つた死骸を見る事は淋しかつた。然し、それは如何にも静かだつた。夜の間にひどい雨が降つた。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺麗に洗はれていた。蜂の死骸はもう其処になかつた。今も巣の蜂共は元気に働いているが、死んだ蜂は雨樋を傳つて地面へ流し出された事であらう。足は縮めた儘、触角は顔へこびりついたまま、多分泥にまみれて何処かで凝然としている事だらう。 (中略) 自分はその静かさに親しみを感じた。 (……) 生きて居る事と死んで了つている事と、それは両極ではなかつた。それ程に差はないやうな気がした。(志賀直哉 『城の崎にて』)
これを「五石六鷁の作法」というらしいのだ。おわかりだろうか。
野坂文体も手許にある文を貼り付けておくが、ただしオレのこのみで、前期西鶴文体がひどく目立つ箇所というわけではないかもしれないのだ。
「男どもはな、別にどうにもこうにもたまらんようになって浮気しはるんとちゃうんや。みんな女房をもっとる、そやけど女房では果たしえん夢、せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのがわいらの義務ちゅうもんや。この誇りを忘れたらあかん、金ももうけさせてもらうが、えげつない真似もするけんど。目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ。」(野坂昭如『エロ事師たち』)
……「肝心のとこがもう一つけけん。そやけどよく唸りはる女や」
スブやん、情けなく溜息をつけば、伴的はなぐさめるように、「京都の染物屋の二号はんや、週に二へんくらい旦つく来よんねん、丁度この二階やろ、始ったら天井ギイギイいうよってすぐわかるわ、もうええ年したおっさんやけど、達者なもんやで」
ちょいまち、とズブやん大形に手を上げ伴的をとめる、女がしゃべったのだ。
ーーあんた、御飯食べていくやろ、味噌汁つくろか。
男はモゾモゾと応え、ききとれぬ。と、突拍子もない声がズブやんの鼓膜にとびこんできた。
ーーお豆腐屋さん! うっとこもらうよオ。
男再び何事かしゃべり、女おかしそうに笑う。やがてドタドタとアパートの階段を乱暴にかけ上る音。ドアのノック、咳ばらい。
ーーそこに置いといて頂戴、入れもんとお金は夕方に一緒でええやろ、すまんなア。
しばし静寂の後、再び床板きしみ女は唸り、ズブやんあっけにとられるのを、伴的ひと膝にじりよって、「やっとる最中に飯のお菜たのみよったんや、ええ面の皮やで豆腐屋も」(野坂昭如『エロ事師たち』)
臼田訳の美については中井久夫は後にもくり返しているのだ。
ジボナノド・ダーシュ『詩集・美わしのベンガル』臼田雅之訳
ありえないほど美しい訳。ベンガル語がわかるわけではむろんないが、リズムと母音子音の響き合いの中から、ベンガルの稲田の上にただよう靄の湿りが、密林に鳴く鳥の声が、木末を滴る雨の音が、乙女の黒髪の匂いがせまってきて、背を快い戦慄が走ります。詩人の故国ベンガルへの強い抑制のかかった烈しい愛も。……(「みすず」第382号、1993年)
最近の書『私の日本語雑記』でも、『美わしのベンガル』について繰り返されているのだ。《したたるほどのイメージが(いや視覚だけでなく聴覚も嗅覚も身体感覚さえも)鮮明強力に立ち上がってくるすばらしい例を挙げたい》とあるのだ。
《体言止め、SVO文の多用。しかも違和感なく、立原道造より出て彼を超える詩語の可能性を示す》などとは、隠れ立原ファンのオレにとって、とてもうれしくなる指摘なのだ。
知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に
ーージボナノド・ダーシュ『詩集・美わしのベンガル』)
沈黙は 青い雲のやうに
やさしく 私を襲ひ……
私は 射とめられた小さい野獣のやうに
眠りのなかに 身をたふす やがて身動きもなしに
ーー立原道造 「暁と夕の詩」
私たちが其処にぼんやりと立ったまま、気持ちよさそうにつめたい風に吹かれていると、丁度その瞬間、その真向うの小山のてっぺんから少し手前の松林にかけて、あたかもそれを待ち設けでもしていたかのように、一すじの虹がほのかに見えだした。
「まあ綺麗な虹だこと……」思わずそう口に出しながら私はパラソルのなかからそれを見上げた。森さんも私のそばに立ったまま、まぶしそうにその虹を見上げていた。そうして何だか非常に穏やかな、そのくせ妙に興奮なさっていらっしゃるような面持をしていられた。(堀辰雄『楡の家』)
君の詩集(「萱草に寄す」)、なかなか上出來也。かういふものとしては先づ申分があるまい。何はあれ、我々の裡に遠い少年時代を蘇らせてくれるやうな、靜かな田舍暮らしなどで、一夏ぢゆうは十分に愉しめさうな本だ。しかしそれからすぐにまた我々に、その田舍暮らしそのものとともに、忘られてしまふ……そんな空しいやうな美しさのあるところが、かへつて僕などには 〔arrie`re-gou^t〕 がいい。
……ただ一ことだけ言つて置きたい。君は好んで、君をいつも一ぱいにしてゐる云ひ知れぬ悲しみを歌つてゐるが、君にあつて最もいいのは、その云ひ知れぬ悲しみそのものではなくして、寧ろそれ自身としては他愛もないやうなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしてゐる君の珍らしい心ばへなのだ。さういふ君の純金の心をいつまでも大切にして置きたまへ。(掘辰雄「夏の手紙 立原道造に」)
おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)
さてもうなんでもいいのだ。とはいえ、若いうちに、中井久夫の指摘を肝に銘じておくことが大切なのだ。それは、オレのようなケッタイな文体にならないためなのだ。
わたしは今の高校生と大学生に、中井久夫の文章を読むことを勧めたい。(……)
日本語の「風味絶佳」とは何かということを若いうちに自分の身体で体験することは重要だ。(……)ぜひ中井久夫を読んでほしい。現代日本語の書き言葉がそれでもなお辛うじて保っている品格は、カヴァフィスやヴァレリーの翻訳を含む中井久夫の文業に多くを負っているからである。(松浦寿輝『クロニクル』)
おい、きみたち! 中井久夫が古臭い、精神医学くさいというなら、佐々木中を読むべきなのだ。いくらニブイきみたちでも、次ぎの文にーーおそらく中井久夫の絶賛を通したーー、臼田訳ジボナノド・ダーシュがいるのに気づかないわけがないのだ、《知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に》。
知っていた。知っていた、筈、だった。そうだ-中井久夫がこういう男だということを、われわれはすでに仄かに、彼自身の文章から感じ取っていたのではなかったか。彼の文体は時にあわい甘やかさを香らせて読む者をゆくりなく蕩(とろ)かせる。 陶然とも唖然ともさせてくれる。が、彼の文章は一文たりともそのくっきりと真明(まさや)かな輪郭を張り詰めた抑制を失わない。常に簡潔で静謐であり、叫ばず声を嗄らすことなくゆるやかにまた慄然とその歩みを進める。
この日本精神医学最大の理論家にして雅趣と叡智を併せ持つ随筆家は、類ない語学力に支えられて文学や歴史に通暁する碩学でもあり、さらに詩と論文とを問わぬその翻訳の質の高さとそこでも発揮される文体の気品はわれわれを驚嘆させ続けてきた。
まず第一にその文字の流れの面にうつろい映える所作の優雅において。だが。ここにいるのは楡林達夫という、三十歳にもならぬ一人の医師である。然るべき理由あってこの筆名で自らを隠した中井久夫である。その情熱、その反骨、その孤高、その闘争の意思たるや。
それは長く長く中井久夫を読みその軌跡に同伴するを歓びとしてきた者すらをも瞠目させ狼狽させ得る。しかし、繰り返す。われわれはあの高雅なる中井久夫の姿に、密やかにこの若き楡林達夫の燃え立つ瞋恚を感じ取っていたのではないのか。 この、ふつふつと静かに熱さを底に秘めて揺らぐ水面のような、執拗な反抗を止めない微かに慄える怒りを、そしてこの世の正を求めるゆらぎなき意思を。 ―――「胸打たれて絶句する他ない抵抗と闘争の継続」―『日本の医者』中井久夫を読む。『アナレクタ3』佐々木中より)
ここまでの文体の洗練は通常の散文には必要がないとするべきか。たとえば、倒置法(SVO文)、句読点の使い方のなんと驚くべきことか。
とはいえ、ツイッターなどでの安易な「です、ます」調だけはやめておくべきなのだ。オレはそれを「空気読み」文体、「同調圧力」文体と呼ぶのだ(もちろん、意図的ですぐれた「です、ます」調という例外はあるよ)。
「です、ます」調で書かれた文は、相手にそれとなく同調を迫り、相手を自分のペースに巻き込んで、うやむやのうちに同調させようという圧力を持つと私は思う。「です、ます」調の文に対しては批評意識が働かせにくい。(中井久夫)
あるいは「女の腐ったの」文体とも呼ぶのだ。
女たちは、従属することによって圧倒的な利益を、のみならず支配権を確保することを心得ていたのである。(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』)
ここで注意しなければならないのは、「である」調であっても、その底に「です、ます」調の「女の腐ったの」文体の谺をあなたが読みとる耳があるかなのだ。世の中にはタツル文体というものがあり、あれがまともな知識人の文章だと錯覚してしまっているボウヤ・オジョウチャンたちが実に多いのだ。
○○○の文章は、客観性に乏しく、一人芝居的。殆どの話題や対象は、自分流に改変され、あたかも幼児が玩具を自分の周りに散らかして、そのなかで空想物語を作り続けているようだ。自分の空想のなかで、対象どうしの関係を想像的に決めて語り続ける。語りは「私は~」という一人称で連続してゆく。つまり、論考自体が自閉的な性質を持っている。精神分析ではこういう語りを「想像的ディスクール」と呼んでいる。すべての価値は判断主体である「私」との双数的関係のなかで決まっており、何でも言えるし、何を言っても仕方のない領野である。(objet petit a オブジェプチタ)
いやシツレイ! オレの錯覚かもしれなのだ、いずれにしろあれは「一度は母親の鏡と子宮に印された/美しい魂の汗の果物」(吉岡実)なのだ。油断したり読者への媚態をふりまこうとすれば、だれでもああなってしまいがちなのだ。しかもタツルちゃんがときにひどく役にたつこともあるのを否定する者ではないのだ。
さて妄言多謝なのだ。