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2016年1月1日金曜日

美酒と思い出

時間がたつのが確実に解るというのが一般に考えられている程簡単なことではないということをのければ酒にはそれを飲むのに先ず目的がないと言った方が早い。(吉田健一)


輸入食料品の会社に勤めている義理の弟が、昨日、日本酒を届けてくれた(それとキャビア)。尾張の「男山」という名の吟醸酒で、これがひどくいける。わたくしは、当地産の日本酒をふだんは飲んでいるのだが(「越の一〔はじめ〕」という純米酒ーー九州出身の杜氏による)、この「男山」は安価にもかかわらず、ひさしぶりに日本産の吟醸酒を飲むわたくしにはひどく美味だ。

義理の弟は、仏人の血が混じったクオーターであり、母親がハーフ。父と母は彼が少年のころ離婚して、今はその父が経営する会社に勤めている。ひどく巨漢であり、ジェラール・ドバルデューに躰つきだけでなく顔つきも似ている。トリュフォーが使ったときのまだ若いドバルデューに。





いまあまり多飲多食はできない身だが、昨晩二合ばかり、今日は昼食に一合半ほど飲んだ。昨晩は魚の鍋にキノコのたぐいやら牡蠣をすこし入れて酒とともに食し、こちらのやや水っぽい餅をいれてかつおぶしをふりかけ食す。こちらはテト祝いの土地なので、新年は今日だけが休日である。


「男山」は、長く飲むとやや濁りは感じられて、真の「いのちの水」という具合にはいかないが、たまにはこのたぐいの酒でもいいからえんえんと飲みたいものだ。

本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、というのは常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止っていればいいのである。庭の石が朝日を浴びているのを眺めて飲み、そうこうしているうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛っているのに気付き、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になったり、朝になったり、忙しいもんだね、」と相手に言うのが、酒を飲むということであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねている。(吉田健一『金沢 酒宴』) 

ああ酒を飲んでいるといろんなことを思い出すよ、京都で出入り禁止になった料理屋が二軒あるのだが(一軒はテキーラの過飲のせいでなぜかトイレのドアを壊し、一軒は由緒正しい料亭で裸踊りからワカメ酒への展開となって顰蹙を買い……)、わたくしは当時宴会の幹事をしばしば押しつけられた。いや「宴会」といえば、わたくしに指名がかかるに決まっていたのだが、あれはその役割の無理がたたったのさ

あれは、「いけツバメの奴!」って若い連中に強いちゃったんだな

けやきの葉先が黄色にぼける頃
遠く遠く生垣にたよつて
猿の鳴く山の町へ行け
白い裸の笛吹きのように言葉を忘れた
舌をきられたプロクネ
口つぼむ女神に
鶏頭の酒を
真珠のコップへ
つげ
いけツバメの奴
野ばらのコップへ。
角笛のように
髪をとがらせる
女へ
生垣が
終わるまで

ーー西脇順三郎『第三の神話』「プレリュード」

一体に人間はどういうことを求めて一人で飲むのだろうか。そうして一人でいるのに飲むことさえも必要ではなさそうにも思えるが、それでも飲んでいれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、酒なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当らなかったことと付き合って時間が過ごせる。併しそれよりも何となし酒の海に浮かんでいるような感じがするのが冬の炉端で火に見入っているのと同じでいつまでもそうしていたい気持を起こさせる。この頃になって漸く解ったことはそれが逃避でも暇潰しでもなくてそれこそ自分が確かにいて生きていることの証拠でもあり、それを自分に知らせる方法でもあるということで、酒とか火とかいうものがあってそれと向かい合っている形でいる時程そうやっている自分が生きものであることがはっきりすることはない。そうなれば人間は何の為にこの世にいるのかなどというのは全くの愚問になって、それは寒い時に火に当り、寒くなくても酒を飲んでほろ酔い機嫌になる為であり、それが出来なかったりその邪魔をするものがあったりするから働きもし、奔走もし、出世もし、若い頃は苦労しましたなどと言いもするのではないか。我々は幾ら金と名誉を一身に集めてもそれは飲めもしなければ火の色をして我々の眼の前で燃えることもない。又その酒や火を手に入れるのに金や名誉がそんなに沢山なくてはならないということもない。(吉田健一『私の食物誌』)

やっぱり正月の酒にはキャビアじゃなくて筋子か数の子がいいよ、鮒鮨のたぐいはこちらにもあるのだけどさ、それと粕汁の雑煮食いたいなあ・・・京都大丸の駐車場裏(烏丸通りから錦小路を東に入りさらに袋小路とさえいえないような小路を北へすこし入った突き当たり)に昼間だけやっているカウンターのみの一膳飯屋があったーーいまネット上を探しても見当たらないのでなくなっているのだろうーー、そこの粕汁は絶品だったよ。

新潟の筋子──「今でも新潟と聞くと筋子のことが頭に浮かぶ。それも粕漬けがいい。(中略)粕漬けだと筋子が酒に酔うのか他の漬け方では得られない鮮紅色を呈して見ただけで新潟の筋子だと思う。(中略)肴なしで飲める日本酒という有難い飲みものの肴にするのは勿体なくて食事の時に食べるものだという気がする。その上に白い飯の上にこの柘榴石のようなものの粒が生彩を放つ。」


近江の鮒鮨──「その幾切れかを熱い飯に乗せて塩を掛けて食べるのであるが、それにはその頭の所が最も滋味に富んでいるというのか妙であるというのか、そう言えば大概の動物が頭が旨いのはやはりそこに一番いいものが集っているのだろうか。(中略)人間も含めて凡て動物というものの体の構造から鮒も頭が全体に比べて少ししかないのが残念に思われる。」