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2016年1月7日木曜日

愛する女のように、未来を愛する人たちがいた

年少の友達から《――愛する女のように、未来を愛する人たちがいた、というアイルランドの詩人の一節を読みました》と、手紙に書いてきた。(『人生の親戚』)

(Amedeo Modigliani)


いいなあ、ほれぼれするなあ、

僕の前にまっすぐ支えられたまり恵さんの頭は、薄い脂肪のついた頸のいくつかのほくろと、固めた蠟のような質感の耳たぶが、そこに眼をとどめることにうしろめたさを感じさせるほどの印象なのだった。(同 大江健三郎 P.12)

大江健三郎の『人生の親戚』もいいなあ、ほかの作品と比べるほど、大江をたくさん読んでいるわけでもない、小説を数多く読んでいるわけでもないけど。

まり恵さんは、階段の昇り口からすぐ眼につくところのに、向日葵のプリントをしたワンピースの裾をひろげ、悠然と膝をくみ、頭をまっすぐあげて坐っていた。どこかの避暑地のホテルにしっくりしそうな雰囲気のまり恵さんは、鍔の狭い、軍帽のような麦藁帽子を、僕に向けて胸のところにかざした。その快活な身ぶりとはズレをきざんで、羞じらっていながら、しかしナニクソと自分を励ましている気配もあきらかで、僕はのちに受験に失敗した次男が報告に戻って示した表情から、この日のまり恵さんを思い出したものだ……(p.34)






以前、この写真を眺めてなにかのイメージと似ているな、と感じてそのままほうってあったのだけど、まり恵さんのイメージかもな、彼女はこの写真の女性よりずっとインテリだけどさ

彼女はうすものを羽織っているのみで、(……)下半身は裸、合成樹脂の黒いパイプ椅子に足を高く組んで掛けている。こちらはその前に立っているのだが、足場が一段低いので、頭はまり恵さんの膝の高さにある。p80

かつて「僕」が、まり恵さんと一緒に、プールで泳いだとき、《彼女の大きく交差して勢いよく水を打つ腿のつけねに、はみ出た陰毛が黒く水に動き、あるいは内腿の皮膚にはりつくのを見た》、その「出来事」が夢の表象として現われるーー。

まり恵さんの、腿に載せたもう片方の腿があまりに引きつけられているので、性器の下部が覗きそうだが、そこに悪魔の尻尾がさかさまに守っている。つまりはしっとりした黒い陰毛が、クルリと巻きこむように性器を覆っている。p80

ーー上の写真の女性は陰毛も淡すぎるし、脚の筋肉もまり恵さんのように訓練を積んだものではないんだけどな

ーー子供の頃、アメリカの学校で陸上競技をやらされたから、その時ついた筋肉はあまり変わらないのね、と深く背を曲げるストレッチ運動をしているまり恵さんは、しっかり張った尻の下に腿の紡錘形がふたつ並んでいる間からゆったりした声をかけてよこした。p.35

そうかといってモディリアーニの女というわけでもないな




ああ、モディリアーニもいいねえ、大江の文章と同じくらいか、それよりもずっともっと。

はたち前後にほれぼれした三十過ぎの女ってのは、もうオレにはないからな、いま二十前後の〈きみたち〉にしかないぜ、ワカルカ?

隠しマイクによる録音、ということからの先入見を裏切って、シーツのこすれる音もはっきりと聞こえる音の良さで、男と女の言葉少ない会話が再生された。すぐ性交にうつり、また会話。あらためて性交が始まろうとして、あきらかに男に対して年長の落着きをあらわした女が、――うしろからやろうよ、といい、カサカサとシーツが鳴り、――ちょっと待ってね、足をひろげるから、とさらに女はいった。おとなしく男はしたがうのだが、女がおおいにとりみだした後、男は余裕をえた具合に、――二度イッタけど、まだこんなだよ、という。――大きいのねえ、さすが二十三歳よ、と女は嗄れた声で心から応じていた……

男が、若さからの自己中心主義と、無経験からのおとなしさをあわせ示し、かつは性交をかさねるにつれて、しだいに大きな態度になる。その自然な変化に僕は興味を持ったが、はじめはピルを服用していることなど、経験豊かな様子で男の不安をしずめていた女が、二度目の性交が終ると男に対していかにも柔軟になっている、その性格の良さをあらわす進み行きに、僕は好意を感じた。……(大江健三郎『人生の親戚』p.37)

人間の原則はあのころのスケベ心だからな、それが凋みつつある齢になったらそろそろおしまいさ

人皆の根底にはその人の「原則」が巨大な文字で彫りつけてある。それをいつも見つめているわけではない。一度も読んでいないことも稀ではない。だが人はそれをしっかり守り、人の内部の動きはすべて、口では何と言おうとも、書かれているところに従い、決して外れることはない。考えも行いもそれに違うことはない。心の奥のそこには傲慢、弱点、頬を染める羞恥、中核的恐怖、孤立、なべての人が持つ無知がきらめいていて、世にあるほどのバカげた行為をいつも今にもやらかしそうだ―――。

愛しているものの中にあれば弱く、愛しているもののためとあらば強い。(ヴァレリー『カイエ』Ⅳ(中井久夫訳)より)

あの原宿のカフェ・バーの名なんというんだったけな、70年代の後半のことさ、すてきなおねえさんに昼日中、安上がりで出会える稀な場所だったよ

出会える、だって?--いやウブなオレは眺めているだけだったよ、ほとんどな

そのようにしてまり恵さんと三人組が遊ぶ足場にしていた、原宿のカフェ・バーでーーこの種のものがあらわれはじめた最初のころだった。つまりまだ一般的な場所というのではなかったーー、その場には三人組も居あわせたのだが、ある日まり恵さんはテレヴィ局の録音技術者と知り合った。……p.31


(1979年の表参道)

ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼンのシューマン論 ―― Slavoj Zizek/Robert Schumann-The Romantic Anti-Humanistよりの孫引き)

◆Faure Pavane Op 50 - Die 12 Cellisten der Berliner Philharmonker