おおオルフォイスが歌う! おお耳の中に聳える大樹!
すべては沈黙した。だが沈黙の中にすら
新たな開始、合図、変化が起こっていた。
静寂の獣らが 透明な
解き放たれた臥所から巣からひしめき出て来た。
しかもそれらが自らの内にひっそりと佇んでいたのは、
企みからでもなく 恐れからでもなく
ただ聴き入っているためだった。咆哮も叫喚も啼鳴も
彼らの今の心には小さく思われた。そして今の今まで
このような歌声を受け入れる小屋さえなく
僅かに 門柱の震える狭い戸口を持った
暗い欲望からの避難所さえ無かったところに――
あなたは彼らのため 聴覚の中に一つの神殿を造った。
ーーリルケ「オルフォイスに寄せるソネット」より 高安国世訳
…………
「Sinfonia 11」は,シチリアーノ風のリズムが魅力的である.しかし,単に舞曲ふうに演 奏するのではなく,そこに漂う哀しみを伴った深い情感を豊かに表現したい曲である.特に, 間奏2の崇高さは,特筆すべきものがある.「間奏2」に対応する「間奏6」を1オクター ブ低くしたのは,間奏2の崇高さを際だたせるためであったかも知れない.「極めて美しい ものは,二つあるよりも,ただ一つである方がよい」という判断からであろう.(J.S. バッハ作曲「三声シンフォニア」の楽曲分析と演奏解釈 −第 11 番 ト短調 BWV 797 − 藤本逸子,2012(PDF))
ーーああ、やっぱりBWV797の間奏2の至高の美しさを褒めている人がいるよ
グールドの演奏は、CDスタジオ版よりモスクワライブ版のほうがずっといいが、それでもまだわたくしの趣味からいえばテンポが速すぎる。とはいえ間奏2の最初の音の美しさはどんな演奏家にも負けない→Glenn Gould in Russia 1957。
わたくしはーー何度も記しているがーー、13歳だったか14歳かのとき、スウィングル・シンガーズでこのBWV797を聴いてボロボロになった。
◆The Swingle Singers - J.S. Bach - Sinfonia XI (Three Part Invention) BWV 797 [HQ Audio]
《美は耐えがたいものであり、また不寛容なものでもある。美は容赦なくわれわれの視線をさぐり、音を聞こうとする耳を誘惑し、待機中の言葉をつかみかかり、電撃と緩慢さを交錯させる。美はみずから充足し、わたしたち抜きで存在するのだが、それでいて嫌になるほど執拗に呼びかけ、こちらにはわかるはずもない答えを要求する。……》(シュネデール)
「性的身ぶりの残り香」いっぱいのイギリス組曲のガボットをも掲げておこう。
◆Bach English Suite No 6 in D minor BWV 811 Glenn Gould Gavotte.
LIGETI TRIOのBWV797 なんてものもあるな
このBWV797にはエロスがふんだんにあるよ、
ああ、《丘のうなじがまるで光つたやうではないか
灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに》(大岡信)
このBWV797にはエロスがふんだんにあるよ、
ああ、《丘のうなじがまるで光つたやうではないか
灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに》(大岡信)
バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ 高橋悠治)
「性的身ぶりの残り香」いっぱいのイギリス組曲のガボットをも掲げておこう。
◆Bach English Suite No 6 in D minor BWV 811 Glenn Gould Gavotte.