ひとりの男(ひと)を通して
たくさんの異性に逢いました
男のやさしさも
こわさも 弱々しさも
強さも だめさ加減や
ずるさも 育ててくれた厳しい先生も
かわいい幼児も
美しさも
信じられないポカでさえ
見せることもなく全部見せて下さいました
二十五年間 見ることもなく全部見てきました
なんと豊かなことだったでしょう
たくさんの男(ひと)を知りながら
ついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに
ーー茨木のり子『歳月』所収
(ちあきなおみ 夫急逝から23年…今も毎月の墓参りで涙流す) |
ツイッターで「ちあきなおみ」の名に遭遇したので、
何十年ぶりかで彼女の「喝采」を聴いてみた。
いやあ、じつにすばらしい、
昭和47年、つまり1972年か
乃公が北海道に親に内緒で独り旅に出た前年の紅白だな
なぜ長いあいだ忘れてたんだろう
女としてもこよなく魅惑的だが、
(なぜオレは、あのとき、ちあきなおみの付き人志願しなかったんだろ)
彼女の声はすばらしすぎる
何曲か聴いてみたが、オレにはこの喝采がいちばんいい
(武満徹、どうしてちあきなおみのためにジャズ編曲しなかったんだろ)
ははあ、若死にしちまった旦那(宍戸錠の弟)はなかなかいい男だな
……ま、それはこの際どうでもいいさ、
彼女の歌声だよ、問題なのは
サラ・ヴォーンと同じぐらいすばらしいといったっていい
ちあきなおみにクリフォード・ブラウンもマックス・ローチもいなかったのが残念だ
ちあきなおみは、今だってビリー・ホリデイのようにさえ歌うことができるんじゃないか
…………
ちあきなおみは、《米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったり、演歌歌手としての修行をしたり、下積み時代の10代は芸名を変えながら、いわゆるドサ回りで全国を回る》ということをしていたらしいが、それも今のわたくしには、とても好意がもてる。怪し氣なる洋裝の女、という感じがとてもよい。
荷風散人年六十八 昭和二十一年
八月十六日。
晴。殘暑甚し。夜初更屋内のラヂオに追出されしが行くべき處もなければ市川驛省線の待合室に入り腰掛に時間を空費す。怪し氣なる洋裝の女の米兵を待合すあり。町の男女の連立ち來りて凉むもあり。良人の東京より歸來るを待つらしく見ゆるもあり。案外早く時間を消し得たり。驛の時計十時を告げあたりの露店も漸く灯を消さんとす。二十日頃の月歸途を照す。蟲の聲亦更に多し。(『断腸亭日乗』)
というわけで、ちあきなおみから、「怪し氣なる洋裝の女」と、あの「歌詞の腸疾患的熱病の暗示」を除いたって、何かが残るのだよ、
抒情詩の歌詞と歌曲からあの腸疾患的熱病の暗示を除きさったら、いったい何が抒情詩や音楽に残るのであろうか?・・・ 残るのは、おそらくは芸術のための芸術、すなわち、その沼沢のなかで捨鉢にガアガアと寒さにふるえながら美事な咽をきかせる蛙の鳴き声であろう。(ニーチェ、遺稿)
なにが残るだって? オレがちあきなおみ風のやたらに無邪気でかつひどく艶っぽい田舎中学の少女に惚れてふられたせいで「絶望」して夏休みに「家出」した事実だって残ってるさ