ひとりの作家にしてやれる一番有益な奉仕は、一定期間、彼に執筆を禁ずることである。短期間の圧制こそが必要なのであって、あらゆる知的活動を中断するという形をとることになるだろう。まったく中断のない表現の自由は、才能ある書き手を恐るべき危機に追い込んでしまう。(シオラン『生誕の災厄』)
ヴァレリーや荷風やらの日記はどうなのだろう、という問いはあるにしろ、このシオランの文ーーツイッターで拾ったのだがーーは、なにやら気にかかってしまった。
……しばらくして、どこかで似たような文句を読んだ気がする、と EverNote の引き出しのなかを探せば、ミシェル・シュネデールのグールド論につぎの文がある。
もっとよく触れるために離れること、そこにグールドの美学があった。隠遁の美学であり、シトー派隠者トマ・メルトンの考え方に近いものだった。ほかの人々から離れ、そしてピアノそのものからも離れること。(……)「ピアノ演奏の秘密は、ある程度は、いかに楽器から離れるか、そのやり方のうちにある。」(シュネデール『グールド ピアノソロ』千葉文夫訳)
するとーーつまりこの文を読むとーー、ロラン・バルトのアマチュア amateur (愛する人「amator」とは、愛し、そして愛しつづける人)を想起したり、ニーチェやらクンデラの言葉も浮かんできはしたが、ここでは中井久夫の文を掲げる。
愛しつづけるためには離れなければなならない。これが下の③の沈黙だろう。
【四つの軌道】
一般に、作家が創造的でありつづけることは、創造的となることよりもはるかに困難である。すなわち、創造が癒しであるとして、その治癒像がどうなるかという問題である。
一般に、四つの軌道のいずれかを取ることが多い。一つは「自己模倣」であり、第二は「絶えざる実験」であり、第三は「沈黙」である。第四は「自己破壊」である。実際には読者および時代の変化と当人の加齢とに応じて、時とともに変化することが少なくない。
【①模倣】
「自己模倣」はもっとも安全である。彼の書くものがいかにも彼の書くものらしいことを求める「ひっそりとした固定読者」の層に包まれて彼は一種の「名優」となる。わが国においては、詩人あるいはエッセイストの場合でさえ「その人のものなら何でも買う」固定読者が千五百人はいる。彼は歌舞伎の俳優のように芸の質を落とさないように精進していればよい。ただ、読者の移り気は別としても、文学における「自己模倣」は演劇あるいは絵画よりも困難である。林武のように薔薇ばかり描いているわけにはゆかない。こうして彼は第二の「実験」に打って出る誘いを内に感じる。
【②絶えざる実験】
「実験」は画家ピカソあるいは谷崎潤一郎を思い浮かべられればよいだろう。ただ、マルクスが創造的である条件とした「若く貧しく無名であること」が失われている場合、「実験」はショウに堕する危険がある。この場合、彼が実験することを求める騒がしい読者、批評家、ジャーナリストに囲まれて、彼は「絶えざる実験者」となるが、危険は「スター」に堕することである。それはこのタイプの「囲む連中」が求めることである。私は三島由紀夫の例を思い浮かべずにはいられない。この道を全うするには、ゲーテほどの狡知と強制的外向人化と多額の金銭とが必要である。
【③沈黙】
第三は「沈黙」である。これは志賀直哉がほぼ実現した例である。創造的でない時に沈黙できるのは成熟した人、少なくとも剛毅な人である。大沈黙をあえてしたヴァレリーにして「あなたはなぜ書くのか」というアンケートに「弱さから」と答えている(彼は終生金銭に恵まれなかった)。もっとも、彼が無名の時にかちえた「若きパルク」完成のために専念した四年間のような時間は、著名になってからは得るべくもなく、第二次大戦が強制した沈黙期間がなければ最後の大作「わがファウスト」に着手できなかったであろう(死が完成を阻んだが)。
【④自己破壊】
第四は例を挙げるまでもない。己が創ったものは自己の外化であり、自己等価物、より正確にいえば自己の過去のさまざまな問題の解決失敗の等価物、一言にしていえば「自己の傷跡の集大成」である。それらはすべて新しい独特の重荷となりうる。それらはもはや廃棄すべくもないとすれば、代わって自己破壊への拒みがたい傾斜が生まれても不思議ではない。老いたサマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」と言い残して自殺している。
【昇華という代償満足】
サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。中井久夫「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」初出1996『アリアドネからの糸』所収)
…………
作品の鑑賞者にすぎないわたくしでも「もっとよく触れるために離れること」には注意しなければならないのだろうか。
自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)
フォーレの歌曲をさぐることで知り、このところ耳について離れないRégine Crespin (もうひとりバッハ歌いの Bernarda Fink もいる)ーー散歩していてさえ、ふと彼女らの声がどこからともなくきこえてくるーーともそろそろしばらく離れるべきか(下に貼り付けるのは、シューマン『メアリー・スチュアート女王の詩 作品135』ーーこのとくに第一曲「フランスからの別れ」のレジーヌ・クレスパンの歌声というのはどうもいけない・・・)。
◆Régine Crespin; "Gedichte der Königin Maria Stuart"; Op. 135; Robert Schumann
群衆に属すまいとする人間は、自己に対し安易であることをやめさえすればよい。「君自身たれ! 君がいま行い、思い、欲求している一切のものは、君ではないのだ」と呼びかける自分の良心に従えばよいのだ。
すべての青春のたましいは日夜この呼びかけを耳にし、うちふるえる。なぜなら、彼らは、そのたましいの真の解放を思うとき、そこに定められている測りしれない幸福を予感するからだ。しかも彼らが俗見と恐怖の鎖にしばられているかぎり、とうていこの幸福にたどりつくことはできないのだ。そして人生は、この解放をもたない場合、なんと味気なく無意味になりかねないことか!
自分の守護本尊を手ばなし、四方八方をぬすみ見している人間以上に、味気なく疎ましい生物は自然界にはない。こういう人間はついにもはや全然つかみどころがなくなってしまう。彼はまったく核心のない表皮であり、虫の食った、派手な、だぶだぶの衣裳以外のなにものでもなく、恐怖どころか、同情する気さえ起こらぬ飾りたてた幽霊にほかならぬからだ。
……ほかならぬ君が生の流れを渡って行く橋は、君ひとりを除いては誰もかけることはできないのだ。なるほど世間には、君をになった川を渡してやろうという無数の小道や橋がある。しかしそれは君自身を犠牲にするにきまっているのである。君は人質にとられ、自己自身を失うであろう。世には、君を除いて他の誰も行きえぬただ一つの道がある。どこへ行くか、と問うことは禁物だ。ひたすらその道をいけ。「自分のたどる道がどこへ行くのか自分にも分からないときほど、先へ行っていることはない」と述べたのは、誰であったか。(ゲーテ「格言と反省」901番)
しかし、どうすればわれわれは自分自身にめぐり会えるであろうか。どうすればおのれを知ることができるか。
人間は一つの暗い、覆いかくされたものだ。そして、うさぎに七枚の皮があるとするなら、人間は七の七十倍の皮をむいても、「これこそ本当のお前だ、これはもう皮ではない」と言いえないであろう。
ここに次のような方法がある。若いたましいが、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」と問うことによって、過去をふりかえって見ることだ。
尊敬をささげた対象を君の前にならべてみるのだ。そうすればおそらくそれらのものは、その本質とそのつながりによって、一つの法則を、君の本来的自己の原則を示してくれるであろう。
そういう対象を比較してみるがよい。一つが他を捕捉し拡充し、凌駕し浄化して行くさまを見るがよい。そして、それらが相つらなって、君が今日まで君自身によじ登ってきた一つの階梯をなすさまを見るがよい。
なぜなら、君の本質は、奥深く君のうちにかくされているのではなくて、君を超えた測りしれない高い所に、あるいは少なくとも、普通きみが君の「自我」と取っているものの上にあるからだ。
君の真の教育者・形成者は、君の本質の真の根源的意味を根本素材とを、君に洩らしてくれる。すなわち君の教育者は、君の解放者にほかならぬのである。
そして、これこそすべての教養の神秘であるが、義手義足や、蠟性の鼻や、めがねをかけた目を貸しあたえてくれるものが、教養なのではない、――むしろ、そういう贈物をくれるようなものは、教育の偽者にすぎない。
解放こそ教育である。若木のきゃしゃな芽を侵そうとかかる、あらゆる雑草、瓦礫、害虫をとりのぞき、光りと熱をそそぎ、愛情をもって夜の雨を振りそそいでくれるものこそ、教育なのだ。(ニーチェ『反時代的考察 第三篇』1874 秋山英夫訳)
まだ若い〈あなたたち〉に向けて、だって? 死の2年前、62歳のときに、《私の人生の道の半ば》と言ったのは、ロラン・バルトだった。
年齢というのは、年代的与件、年月の連鎖であるとしても、それはほんの部分的でしかありません。途中、ところどころに、仕切りがあり、水面の高低差があり、揺れがあります。年齢は漸進的なものではありません。突然変異するものです。(……)私の年齢が潜め、また、動因しようとしている現実的な力はどういうものか。これが、最近、突然生じた問いです。そして、この問いが、今、この時点を《私の人生の道の半ば》としたように思えるのです。(……)
プルーストにとって、《人生の半ば》は、もちろん、母親の死でした(1905年)。生活の突然変異、新しい作品の開始が数年後のことであったとしてもです。つらい悲しみ、唯一の、何物にも還元できないような悲しみは、私にとって、プルーストの語っていた《個人的なものの頂点》をなし得るように思えます。遅まきながら、この悲しみは、私にとっても、私に人生の半ばとなるでしょう。というのは、《人生の半ば》とは、おそらく、死は現実的なものであって、もはや単に恐るべきものではないということを発見する瞬間以外のものではあり得ないからです。
このように道を辿って来ると、突然、次のような明白な事実が現われます。一方では、私にはもういくつもの人生を試みる時間がないということです。(ロラン・バルト《長い間、私は早くから床についた》1978)