2016年4月10日日曜日

「安易の風」

素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ





長女である妻は、弟二人と妹三人がいるのだが、四人姉妹の三番目の妹は三十代前半の豊満な体つき・豊かな髪をした美女だ。その妹 hanhーーハンとは幸せ、という意味だ。ハン・フックとは幸福ーーが故郷近くの町からこの都心近くの地にしばらく滞在しており、カンボジアとの国境の町、メコンデルタの土地の故郷特産の麺を何度か作ってくれる。魚の出汁をベースにしたサフラン色のスープ(黄色いエキスがでるなんという名だったかの植物の根を使う)がとても美味なヌードルだ。妻もときたま作るのだが、ハンの味にはかなわない、と自ら言う。ハンは戦争後の貧しい時代、父母兄弟が皆離散してしまったおり、故郷の町随一の名家出身である祖母と一緒に暮らしており、その祖母伝来の味だと妻は言う。私は、ハンが携えて来てくれた米の純粋なエキスともいうべき格別な味の米焼酎とともに舌鼓をうつことしきりである。

私の目のうえに 私の口のうえに 彼女の髪は漂う、
地上のどんな道もこの娘を見たことがない-見たことはない これほど
豊かな髪がヒジョル、カンタル、ジャームの樹々にたえまなく口づけをふらすのを
知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に

地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨(あひる)の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手
若者の足に踏まれた草むら-たくさんの赤い菩提樹の実の
痛みにふるえる匂いの疲れた沈黙-これらのなかにこそベンガルの生命(いのち)を
空に七つの星が昇ったとき 私はゆたかに感じる。

ーージボナノンド・ダーシュ『美わしのベンガル』臼田雅之訳





彼らは誰もが、貧困を、飢えを経験している。わたくしの感覚からすると、驚くほど強靱な、と感じることもあれば、驚くほど投げやりな、と感じることもある。最初は、後者の感覚を与えられることに苛立った。ホン・サオ! 何も問題ないわ! というのが彼らの口癖だ。だが、それは彼ら一流のケ・セラ・セラなのだ。苛立つわたくしのほうがむしろ、彼らのようにある意味「修羅場」を知らずにぬるま湯人生を送ってきたのではないかと思いを馳せだしたとき、彼らの振る舞いへの言うに言われぬ愛しさを覚えはじめた。それは徐々にではあったが、たとえば次の文を読んだとき、膝をハタッと打つ感覚に襲われた、ということはある。

私が恵まれているからだといえば、反論できない。確かに「今は死ぬに死ねない」という思いの年月もあった。しかし、私は底辺に近い生活も、スッと入ってしまいさえすれば何とか生きていけ、そこに生きる悦びもあるということを、戦後の窮乏の中で一応経験している。(中井久夫「私の死生観」)

これに重ねるようにして古井由吉=徳田秋聲の言葉にも出逢った。

お庄は唯笑つてゐたが、此女の口を聞いていると、然うした方が、何だか安易なやうな氣もしてゐた。(德田秋聲『足迹』)

これはまだ日本橋の堅いところに奉公していた頃、例の朋輩に茶屋奉公をすすめられたときの、お庄のふとした思いであるが、この中の《安易》という言葉には独特の意味合いがあるようだ。たとえば今の箇所のすこし前の、不貞た朋輩の話に耳を貸しながら、《お庄も足にべとつく着物を捲く上げて、戸棚に凭れて、うつとりして居た》とある、その姿その体感に通じるものである。頽れるにまかせて流されていく安易さ、その予感のうちにすでにある懈さ、と言えば説明にはなる。しかし生活欲の掠れた倦怠ではない。お庄は若いが上に生活欲の盛んな女であり、その点では滅多に頽れはしない。むしろ生活欲のおもむく、埒を越して溢れ出すその先に、安易の予感はあるようなのだ。秋聲の人物の多くがそうである。生活欲に振りまわされる只中で、行き場に迷う力がふと妙な向きを取りかかり、懈怠に捉えられる。(古井由吉『東京物語考』「安易の風」)

まさに生活欲旺盛さの只中での懈怠が、ことさらハンの豊満な体躯から滲み出ている。それは西脇順三郎の描く女たちのようでもある。

向うの家ではたおやめが横になり/女同士で碁をうっている

イボタの繁みから女のせせら笑いが/きこえてくる。

美容師と女あんまは愛らしいひょうたんを/かたむけてシェリー酒をのんでいる

女神は足の甲を蜂にさされて/足をひきずりながら六本木へ/膏薬を買いに出かけた




そしてふたたび德田秋聲からぬき出せば、次ぎのような女たちのようでもある。

「そのくらいなら、どこへ行ったって、自分一人くらい何をしたって食べて行きますわ」(徳田秋声『黴』)
お島のきびきびした調子と、蓮葉な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。(『あらくれ』)
一つは人に媚びるため、働かずにはいられないように癖つけられて来たお島は、一年弱の鶴さんとの夫婦暮しに嘗めさせられた、甘いとも苦いとも解らないような苦しい生活の紛紜から脱れて、何処まで弾むか知れないような体を、ここでまた荒い仕事に働かせることのできるのが、寧ろその日その日の幸福であるらしく見えた。(『あらくれ』)

これは一時期兄弟姉妹を一身に世話して育てたーー下の弟や妹たちは、十歳前後まで小学校にもいけていなかったーー今年四十歳になるわたくしの妻にもふんだんにある。苛立ったわたくしに愛想を尽し、五歳の息子をつれて一月あまりも家を出てしまったことがある、「そのくらいなら、どこへ行ったって、自分一人くらい何をしたって食べて行きますわ」・・・