断膓亭日記巻之二大正七戊午年 荷風歳四十
十二月廿二日。築地二丁目路地裏の家漸く空きたる由。竹田屋人足を指揮して、家具書筐を運送す。曇りて寒き日なり。午後病を冒して築地の家に徃き、家具を排置す、日暮れて後桜木にて晩飯を食し、妓八重福を伴ひ旅亭に帰る。此妓無毛美開、閨中欷歔すること頗妙。
………
たまきはる命惜しけどせむ術もなし虱が島の玉藻刈りこむ
毛を剃ると とんと虱の わずらいなし
おほろかに吾し思はばはしための丘のうなじに草むさずとも佳
丘のうなじがまるで光つたやうではないか
灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに(大岡信)
垂れまらに馬乗りすらむはしためのたぎつ河内に船出しめやも
敷まろの大和心をひと問はば上げ潮まどふ枝垂れ桜
大潮のたぎたつ海に碇なしいさよふ波のゆくへ知らずも
鮑の海夕浪千鳥汝が鳴けば海鼠も萎ぬにわが恋やまぬ
……「肝心のとこがもう一つけけん。そやけどよく唸りはる女や」
スブやん、情けなく溜息をつけば、伴的はなぐさめるように、「京都の染物屋の二号はんや、週に二へんくらい旦つく来よんねん、丁度この二階やろ、始ったら天井ギイギイいうよってすぐわかるわ、もうええ年したおっさんやけど、達者なもんやで」
ちょいまち、とズブやん大形に手を上げ伴的をとめる、女がしゃべったのだ。
ーーあんた、御飯食べていくやろ、味噌汁つくろか。
男はモゾモゾと応え、ききとれぬ。と、突拍子もない声がズブやんの鼓膜にとびこんできた。
ーーお豆腐屋さん! うっとこもらうよオ。
男再び何事かしゃべり、女おかしそうに笑う。やがてドタドタとアパートの階段を乱暴にかけ上る音。ドアのノック、咳ばらい。
ーーそこに置いといて頂戴、入れもんとお金は夕方に一緒でええやろ、すまんなア。
しば静寂の後、再び床板きしみ女は唸り、ズブやんあっけにとられるのを、伴的ひと膝にじりよって、「やっとる最中に飯のお菜たのみよったんや、ええ面の皮やで豆腐屋も」(野坂昭如『エロ事師たち』)
乗せていて 下女二た声 返事する(末摘花)
世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし(太田南畝)
物語が、お行儀よく、上品な言葉で、善意に満ちて、信心深い語調で語られていればいるほど、それをひっくり返し、汚し、裏側から読むことがたやすくなる(サドの読むセギュール夫人)。この裏返しは純粋な生産だから、立派にテクストの快楽を増す。
テキストはフェティッシュだ。このフェティッシュは私を欲する。テクストは、語彙、参照物、読みやすさ、等々、見えないフィルターや選択肢を配置して、私を選ぶ。(ロラン・バルト『快楽のテクスト』)