2016年5月17日火曜日

化石多民族国家日本

以下、20年近く前の中井久夫の「日本の心配」全文。

古くなっているところもある。たとえば、≪日本の魅力は何だろうか。とにかく目下アジアでいちばん言論の自由であることは認めてよかろう≫とは、この20年間、とくに2010年代になっておかしなほうに向かってしまった。

ほかにも≪21世紀の半ばに6千万の人口になる≫というのは、当時そのようにいわれたのだろうが、最近は、9千5百万人ほどとの調査がある。




これらの細部を除いては、いまだ充分に読むに耐えるものであり、ある意味「移民のすすめ」論といってよく、かつまた日本民族というものを相対化させてくれるすぐれたエッセイである。とはいえ、現在の日本とは、移民をひきつけるほどの魅力のある国なのだろうか、という問いは生じる。その意味では、このエッセイが書かれてからの「失われた20年」、経済停滞、大幅な財政赤字、格差拡大、2011年の原発事故などに、暗に思いを馳せさせる文章でもある。


◆日本の心配(神戸新聞、1997.3.05) 中井久夫

このごろは新聞記事を見ても、周りの会話を聞いていても、日本の将来を心配する声が盛んである。

「日本が亡ぶ」という亡国論がある。しかし「国が亡ぶ」ということは文字どおり国が消滅しわれわれが死滅することではない。日本には数々の戦争と飢饉があって、しかもわれわれがここにいる。「亡ぶ」とは軽々しく吐くべき言葉ではないと私は思う。

心配の種の第一は高齢化社会である。しかし、これは必ず一時である。一時であり、また予見できるものは耐えられる。行政は最悪の場合を考えて対策を立てるものである。当然そうあるべきであり、行政特有の習性でもある。最悪の場合が実現の確率がもっとも高いとは限らない。高齢者が働けるように医学も行政も考えて突破するのが正道であるが、平均寿命自体が減少に向かうかもしれない。嬉しいことではないが、2030年といわれるピークまでに流行病が絶無である確率のほうが少ない。それに戦時中、小学生であった私の年齢の周辺は自殺率だけでなく病死率も高いのである。戦後っ子はどうか。

その先の心配は、人口減少という。21世紀の半ばに6千万の人口になる。だが、太平洋戦争開始時の「内地」人口は7千万以下であった。当時は4つの島ではやってゆけないと政治家もジャーナリズムもやかましく唱えて戦争を合理化したのだが、戦後4つの島で立派にやってゆけたではないか。

もちろん問題は人口の構成だといわれるだろう。しかし、人口減少と高齢化とは事実上すべての先進国に起こったことである。たとえばフランスでは、「20世紀初頭にフランス人であった人の子孫」は半世紀後すでに4割だといわれていた。今はもっと少なかろう。空白を移民が埋めたのである。わが国でも江戸人の末裔は現在の東京に10万いないだろう。後は全国からの移住者である。真空が周囲の空気を吸いよせるようなものである。

さて、日本の周囲には人口過剰の国が目白押しである。短期的には政策によって左右できるだろうが、長期的には日本が例外となるかどうか。ムソリーニは人口増加のために「独身税」を創設したが、効果があったとは聞いていない。人間はお国のために生殖にはげむものではない。第一、もう間に合わない。欧州諸国が非婚の子にやさしいのは悪いことではないが、これが人口政策の一環だと聞くと、それはにわかに賛成しがたい。

もし、欧州諸国のように、長期的には移民が将来の日本人を作ってゆくならば、それは無条件に危機か。たしかにマフィアのようなものが入ってきては困る。日本の麻薬に対するガードは固く、法的にも社会的にも制裁はきびしい。世界一だろう。日本の治安のよさは若年失業率の少なさとともに、このことによる。

欧州の場合、フランス文化は現在外国からの20世紀以後の移住者が担っているといってよい。わが国でも大方の予想以上いすでにそうである。カナダへの日本移民はもっとも成功した移民の歴史といわれる。まず結婚というテストがある。結婚しないで賭博や酒に明け暮れた移民は子孫を残さなかった。次に教育である。移民先覚者の凄い努力があった。3世の8、9割が非日系と結婚して「日系」は4、5世で消滅するという。日本では、結婚に際しての差別の個々例はいくらでもあろうが、宗教的障壁が低い利点もある。

ミトコンドリアDNA解析によれば、日本人ほど多種多様なものはないそうである。東アジア、東南アジアはもちろん、コーカジアン(いわゆる白人)はもとよりアフリカの血も結構入っているから驚く。未知の人種まであるそうだ。ここ以外では亡んだのかも。

考えてみれば、アジアの東端である。民族大移動の際に西に向かって西洋を作ったのもあるが、東に向かったのもあるだろう。たどり着いた人のたいていは太平洋の怒涛を眺めて、もう先がない、ここに腰を落ちつけようと思ったろう。そして、ユーラシア大陸には生きにくい時が多かった。孔子さまも、中国の政治に絶望して「私もむしろ筏に乗じて東海に浮かびたい」と叫んでおられる。歴史時代でも、百済と高句麗の遺民を受け入れ、蒙古襲来の際も中国・朝鮮系兵士は日本に入植させている。日本は化石多民族国家である。

ただ、よい人が魅力を感じるにはよい国でなければならない。フランスに文化的吸引力があるからジェンケレヴィッチもクリステヴァも来たわけである。日本の魅力は何だろうか。とにかく目下アジアでいちばん言論の自由であることは認めてよかろう。アジアに対して日本が貢献できるのは第一にはこれであると私は思う。17世紀西欧におけるオランダの役割である。明治時代にも朝鮮、中国、ベトナムの「志士」が日本に来ている。

私は「外人」という言葉を外国人が好まない事実を尊重したい。在日の人を別にして日本にいる外国人を「来国人」と呼んではどうであろうか。これも私の気づかない欠点があるだろうが、「外人」が主に紅毛碧眼の人種を指す点がなくなるだけでもよかろう。「古事記」にも「今来(いまき)、古来(ふるき)」という言葉がある。

…………

※付記

一般に人口予測とは次のように言われる。


【人口予測は当たるのか】
人口予測は経済予測よりも確実だという言い方がよく聞かれるが、それは今から 50 年前に現在の 人口構造をほとんど予測できなかったことを忘れた議論である。 「少子化」という言葉が登場したの は 1990 年代になってからのことであり、 1980 年代まで私たちは現在ほどの少子高齢化を想定できな かったのである。恐らく、私たちは今から 50 年後の人口構造を正しく予測することはできないだろ う。 これまで各時点で人口の将来推計は行われてきたが、 将来推計人口とは、 あくまでも最近の傾向を延長して将来に投影したプロジェクションにすぎない。そこには例えば賃金や価格の変化によって 人々の行動(出生行動や居住地の移動)が変化するという要素は組み入れられていない。50 年先の 人口構造は、 現在の傾向の延長線上にあるのではなく、 人々の考え方の変化や経済動向などによって 大きく変化すると考えた方がよいだろう。だからこそ経済成長は重要なのである。 とはいえ、今後の 20~30 年先までについて言えば、人口推計結果に近い現実が訪れる確率はかな り高い。 人口動態には強い慣性があるため、 当面の期間について、 既に実現した出生行動や長寿化傾 向を前提に考えることには合理性がある。 仮に、 現時点で出生数が突然増えたとしても、 新生児が成 人するまでには 20 年を要する。 日本の高齢化率が 30%を超えることが、 ほぼ確実である以上は、 様々 な社会の仕組みをそれに適合したものに変革する必要がある。(超高齢日本の 30 年展望  持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任(大和総研、理事長 武藤敏郎 監修 調査本部、PDF)

1997年当時、中井久夫の文にあるように2050年の人口が6千万人と予測され、現在、9500万人と予測されるのは、驚くべき大きな誤差だと人は思ってしまう。だが、過去の歴史もその連続だったわけだ。現時点からの2050年の人口予測は、ほぼ確度の高い射程内に入ったということが言えるのだろう。