このブログを検索

2016年5月18日水曜日

世界経済のなかで、日本経済だけが縮小するという予測

心配の種の第一は高齢化社会である。しかし、これは必ず一時である。一時であり、また予見できるものは耐えられる。行政は最悪の場合を考えて対策を立てるものである。当然そうあるべきであり、行政特有の習性でもある。最悪の場合が実現の確率がもっとも高いとは限らない。(中井久夫、「日本の心配」、神戸新聞、1997.3.05)

さて、前回、20年近くまえの中井久夫の文を掲げたので、主に行政の側にある(あった)方、あるいは経済学者の方々が、最近はどんなことを言っているのかを、いくらか調べてみた。

労働人口が毎年 1 %減る国で実質 2 % 成長を続けるのはかなり苦しい(持続的に労働生産性を 3 %上げている先進国はない)。(富士通総研、元日銀理事 早川英男 、2014,PDF)

通念としてわれわれが持ちがちなのは、このように労働人口が減るので、日本の今後の経済成長はとても困難だという見解だろう。

だが、そんなことはない、という観点もある。

ここで改めて経済成長と人口の関係を長期的な視点から考えてみることにしたい。急速な人口減少に直面するわが国では、「人口ペシミズム」が優勢である。「右肩下がりの経済」は、経営者や政治家が好んで口にする表現だ。たしかに、少子高齢化が日本の財政・社会保障に大きな負荷をもたらしていることは事実である。少子化、人口減少は、わが国にとって最大の問題であるといってもよいだろう。

しかし、先進国の経済成長と人口は決して 1 対 1 に機械的に対応するものではない。図-4 は、明治初年以降の実質 GDP と人口の種類を比較したものだが、GDP は人口とほとんど関係ないといってよい成長をしてきたことが分かる。戦後の高度成長期(1955~ 70)に、日本が実質ベースで年平均 10% の経済成長をしてきたことは誰もが知ることだが、当時の労働人口の増加率は 1% 強であったということを知る人は少ない。両者のギャップ 10% - 1% = 9% は、「労働生産性」の上昇率だが、それをもたらしたものが「資本装備率」の上昇と、イノベーション(TFP の上昇)にほかならない。(人口減少、イノベーションと経済成長、吉川洋(東京大学大学院経済学研究科教授、経済産業研究所ファカルティフェロー、2015,PDF




だがーーふたたびの「だが」だーー、経済のグローバル化の時代、新技術はたちまち伝播するため、もうイノベーションによって、経済成長を獲得するのは難しいという見方がある。

人口減少は、経済、年金など社会保障制度、財政、そしてインフラなどに様々なリスクを もたらしますが、そのリスクの内容やリスクをもたらす元凶については、かなりの誤解がある ようです。具体的に説明しましょう。

最初に経済についてですが、確かなことは日本の経済成長率が世界で一番低くなると いうことです。なるだろうではなく、確実にそうなります。その点は、変えようのない未来というわけです。

なぜなら、日本は、どの先進国よりも、労働者の減り方が大きいからです。というより、先 進国ではむしろ労働者が増加する国が多く、減少する国でもその減少幅は日本に比べはるかに小さいのです。

一国の GDP(国内総生産)の大きさは、その国の労働者数と労働生産性(1 人の労働者 が 1 年間で生産する量)をかけたものになります。ですから経済成長率は、労働者数の増 減率と労働生産性の上昇率で決まります。そのうち労働生産性上昇率については、先進国の間ではどこの国もほぼ同じです。労働生産性は、生産の機械化や製品の開発といった技術進歩によって上昇しますが、経済のグローバル化で新技術はたちまち伝播するため、先進国間では上昇率はほぼ同じになるのです。

となると、先進国間の経済成長率の相対的な関係は、労働者数の増減率によって決まることになります。ですから、日本は先進国の中で最も経済成長率の低い国にならざるを得ません。そして、技術輸入国である新興国や途上国の経済成長率は、当然先進国より 高くなるので、日本が世界で最も経済成長率の低い国になるというのは、変えようのない未来なのです。

では、どの程度の成長率になるのかというと、現在の実質 1.0~1.5%の成長率が、これから年々低下して、2020 年過ぎにはマイナスとなり、その後は▲0.5~▲1.0%のマイナス成長が続くであろうと思われます。その場合、先進国でマイナス成長となるのは日本だけです。つまり世界経済のなかで、日本経済だけが縮小します。労働者の減り方があまりにも大きいため、技術の進歩をもってしてもカバーし切れないということです。

ただし、成長率の相対的な関係と違い、今度は「なるだろう」です。産業革命のような技 術進歩が起きれば、マイナス成長にはならないかもしれないからです。しかし、僥倖頼み というわけにはいきません。私の推計では、これまでの 40 年間のような急速な技術進歩が 今後も続くと仮定しました。かなり楽観的な仮定です。それでもマイナスなのだから、これ は「ほぼ確実な未来」と言っていい。(「未曽有の人口減少がもたらす経済、年金、財政、インフラの「Xデー」」、元大蔵省 松谷明彦 2015.4

さて、松谷明彦氏の≪経済のグローバル化で新技術はたちまち伝播するため、先進国間では上昇率はほぼ同じ≫という見解と、吉川洋氏の、経済成熟化でもイノベーションがあれば新たな成長がありうつという見解を、無理やり重ね合わせるならば、日本固有の資源や人材能力で、イノベーションがあるときのみ、新しい経済成長はある、ということになる。

松谷明彦氏自身、次のように言っている。

日本には、世界に冠たる「職人技」があるのだから、その職人技と近代工業技術をコラボレートし、ロボット生産ではできない「高級品」や「専用品」づくりを目指すのです。既存の製品分野ではあっても、 日本にしかできないということで高い付加価値が得られます。「適量をつくり高く売る」とい う点では、前述のビジネスモデルと同方向だし、実際ドイツの国際競争力は、そうした職人 技によって研ぎ澄まされた近代工業技術に負うところも大きいのです。自動車や医療機器は、その好例でしょう。

日本も、かつては白物家電の生産現場で、溶接工程や鍍金工程など様々な工程に職人技が効果的に使われ、それが製品の魅力や性能を高め、強い競争力を得ていました。 しかし、1990 年代以降のコスト削減最優先のなかでそれらはロボットに置き換えられたため、新興国・途上国の製品と大差がなくなり、競争力が急速に失われることになったのです。(同、松谷明彦、2015)

日本に、世界に冠たる「職人技」などもはやないーー、などと言わないでおくなら、さて、何があるのだろう。日本の料理店の美食への追及精神(凝り性)、漫画家たちのこれはまさに職人気質、海外のオーケストラなどで活躍する弦楽奏者たちの信頼感……、ひょっとして最近やや評判を落とした科学者たちの「職人芸」というものも残っているのかもしれない。わたくしが思いつくのは、これくらいなのだが、もちろん20年前に日本を離れた身で、日本の新聞雑誌にもほとんど目を通さないので、おそらくピントがはずれていることだろう。

松谷明彦氏は別に年金制度についても、かなりはっきりしたことを言っている(わたくしは、彼がどんな評判の人物かを知らないままで、いま抜き出している。顔は、あまり好みの顔ではないが、挑発的にこのように言うタイプはーーそれがある程度信憑性があるならーー嫌いではないほうだ)。

(…) 次に、社会保障制度についてですが、現在の年金制度は早晩破綻するでしょう。もともと年金制度は、急速かつ大幅に高齢化する日本には、不向きな制度なのです。まず、高齢化の速度が速すぎるために、頻繁に大幅な負担の引き上げと給付の引き下げを行わな ければ、たちまち年金収支は赤字に転落します。

緩やかに高齢化する他の先進国では、制度の改定は 15~20 年に一度行えばよいのに対し、日本では少なくとも、国勢調査によって人口が確定する 5 年ごとに大幅な改定を行わなければなりません。高齢者は不安が募り、若い人は勤労意欲が低下するでしょう。年金でも健康保険でも、負担や給付の改定が速すぎると、人はついていけないものなので す。

さらに他の先進国では、2030 年代の中頃にはおおむね高齢化が止まるため、その時点 の高齢者と現役世代の比率をメドとして、長期安定的な年金制度をつくることができます。 しかし日本では、急速な高齢化がいつまでも止まらないため、そうした年金制度をつくろうにも、そのメドすらないのです。産児制限を契機とした出産年齢女性人口の激減による急 速かつ持続的な少子化という、日本特有の事情のためです。

そして最大の問題は、現役世代の負担増の行きつく先にあります。負担側と給付側の関係で見ると、米国、英国、フランスなどは、将来的に年金を負担する人が 7 割、もらう人が 3 割の水準で安定するのに対し、日本は負担する人が 5 割を切る計算になります。つまり 欧米では最終的に 2 人強の若者で 1 人の高齢者の面倒を見るのに対し、日本は 1 人弱 で 1 人の面倒を見なければなりません。もはや認容の限度を超えています。若い人の日本脱出が増えるかもしれません。

≪日本は 1 人弱 で 1 人の面倒≫とは、すこし前はそのように言われたようだが、現在の予測ではやや極論であり、たとえば次のような図表が示されている(内閣府)。




悪くしても、≪日本は 1 人弱 で 1 人の面倒≫ではなく、2060年には、1.3人弱 で 1 人の面倒ということになる。ただし驚くべき「現役世代の負担増」という指摘には間違いない。


ところで、元日銀副総裁の武藤敏郎氏ーー2度本命視されながら総裁になりそこなったーーが取り仕切った大和総研の膨大な「国家の大計」シミュレーション2013にはこうある。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013 より、PDF

これはなんとしても是正されなければならないだろう。

アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあると いうのは正しい。(お金とは実体が存在しない最も純粋な投機である ゲスト:岩井克人・東京大学名誉教授【前編】

そのアベノミクスも雲行きが完全にあやしくなってしまった。

というわけで、若い人たちに、「「老特会」結成のすすめ」と、ふたたび言っておこう。わたくしはどちらかというと気の小さいほうなので、「暴動のすすめ」とまで言えないタチなのだ。

小泉:フランスは社会保障制度が充実しているとよく言われますが、社会政策・社会事業 を充実させたのは、若者の暴動です。パリ市郊外の若者暴動が社会問題として語られ、 危険な階級に対する社会防衛の必要性が認められているからこそ、暴動の根源的対策と しての社会政策が、政治家やインテリに受け入れられているのです。無論、暴動を起こす側は、そんなことを要求しているわけではないのですが、支配層をして、社会の安定のた めに社会政策を充実させないといけないと考えさせているのです。それは支配層が支払う 講和のための賠償金・和解金のようなものです。この内戦的な構造をよく見ないといけま せん。

日本で貧困層に金が回ってこない理由は、暴動がないからです。そこで、最近の日本の 陰気な犯罪は、ほとんど非正規雇用労働者の関連なのですから、例えば、老人ホームで 介護福祉士が高齢者を突き落とすような事件についても、労働問題として語ってやれば いいのです。持たざる無産者が、有産者の高齢者に復讐していると語りなおすだけで、支 配者層は恐れを抱くはずです。そのように内戦化しないと、金は引き出せません。 日本では、犯罪という形で単発的に孤立して暴動が起こっている。ところが、日本のインテ リには、そのあたりの感性とかセンスが全く消え去っている。そこが怖い。かつては、「あら ゆる犯罪は革命的である」という感覚がありました。一度はそう考えてみるべきである、とい う感覚です。その程度の「常識」すら失われていることが、日本の情勢を悪くしています。 フランスなど欧州では、「不穏で危険な過激派がいる」と思わせることで、引き出すべき金 を引き出しているのです。(「いよいよ面白くなってきた アンダークラスの視座から撃て 」廣瀬 純 (龍谷大教授)×小泉義之 (立命大教授),2016

…………

※附記


◆経済再生の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和) ーーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011(「二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障」より)

池尾:日本については、人口動態の問題があります。高齢化・少子化が進む中で、社会保障制度の枠組みがどうなるのかが、最大の不安要因になっていると思います。

経済学的に考えたときに、一般的な家計において最大の保有資産は公的年金の受給権です。

大崎:実は、そうなんですよね。

池尾:今約束されている年金が受け取れるのであれば、それが最大の資産になるはずです。ところが、そこが保証されていません。

 日本の家計の金融資産は過半が預貯金で、リスク資産に配分しようとしない、とよく言われます。会計上見える資産では確かにそうなっています。しかし、実は不安定な公的年金制度という枠組みを通じてリスクを取らされているとも言えるわけです。公的年金の受給権という資産が安全資産化すれば、ほかにリスクを取る余地が生まれてくるはずです。

 そういうことをやったからといって家計の将来に 対する自信が回復するかどうかは分かりません。しかし、自信を回復し得る環境を整える必要はあります。消費についても同じです。大きな不確実性を背負った状態で、 「活発な消費をしろ」と言われても、それは無理だと思います。

大崎:国は「公的年金で老後の生活は安心だ」という説明をしたいんだけれども、国民はそのようには受けとめていなくて、 「制度は変更されるかもしれない。どちらかというと悪いほうへ変わりそうだ」と読んで行動しているということですね。

池尾:そうです。

大崎:ただ、 「何年には給付を削減します」と宣言してしまうと、これはこれでまた不安を呼ぶのではないかとも思います。

池尾:例えば、公的支援が限定的だということになると、残りは自助で支えなければいけない、という意識が高まります。既に高齢の場合には、確かに心細さは生じます。ですが、いわゆる予備的動機で行われる予備的貯蓄と言われる部分については、貯蓄する必要性は下がるはずです。

大崎:それは、リスクが読める分、自助努力で補充すべき分がはっきり計算できるからですね。

池尾:自助と言われたときに準備する時間が残されている世代もあります。高齢世代に関しても、これまでの将来への不安から貯蓄に励んできて、大量の金融資産を保有している方も多くいらっしゃいます。要するに、自身の長生きリスクと公的支援の変更リスクの両方に備えているんです。

 ですから、先行きの見通しをはっきりさせることが、政策運営上求められていると思います。抜本的改革をやって、持続可能性を持った社会保障制度を確立するというのは大きな課題だと思います。 (……) 大崎:今のお話を伺っていて思ったのは、政策当事者が事態を直視するのを怖がっているのではないか、ということです。例えば、二大政党制といっても、イギリスやアメリカでは、高福祉だけれども高負担の国をつくるという意見と、福祉の範囲を限定するけれどもできるだけ低負担でやるというパッケージの選択肢を示し合っているように思います。

 日本ではどの政党も基本的に、高福祉でできるだけ増税はしない、どちらかというと減税する、という話ばかりです。実現可能性のあるパッケージを示すことから、政策当事者が逃げている気がします。

池尾:細川政権が誕生したのが今から18年前です。それ以後の日本の政治は、非常に不幸なプロセスをたどってきたと感じています。

 それ以前は、経済成長の時期でしたので、政治の役割は余剰を配分することでした。ところが、90年代に入って、日本経済が成熟の度合いを強めて、人口動態的にも老いてきた中で、政治の仕事は、むしろ負担を配分することに変わってきているはずなんです。余剰を配分する仕事でも、いろいろ利害が対立して大変なんですが、それ以上に負担を配分する仕事は大変です。

大崎:大変つらい仕事ですね。

池尾:そういうつらい仕事に立ち向かおうとした人もいたかもしれませんし、そういう人たちを積極的にもり立ててこなかった選挙民であるわれわれ国民の責任も、もちろんあると思います。少なくとも議会制民主主義で政治家を選ぶ権利を与えられている国においては、簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。