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2016年5月19日木曜日

柘榴の朱

万物の蒼々たる中に柘榴の花のかつと赤く咲きでたのを見ると、毎年のことだが、私はいつも一種名状のしがたい感銘を覚える。近頃年齢を重ねるに従つて、草木の花といふ花、みな深紅のものに最も眼をそばだて愛着を感ずるやうに覚えるが、これはどういふ訳であらう。その深紅のものの燃上るやうなものといふ中でも、柘榴の朱はまた格別の趣きがあつて、路傍などでこの花を見かけて眼を驚かせるその心持の中には、何か直接な生命の喜びとでもいふやうなものが、ともすればふさぎ勝ちな前後の気持を押のけて、独自の逼り方で強く胸に逼つてくるのを私は覚える。それは眼を驚かせるといふよりも、直接心を驚かせるやうな色彩である。それは強烈でまた単純でありながら、何か精神的な高貴な性質を帯びた、あの艶やかな朱である。柘榴の花の場合にはその艶やかな朱が、ぽつんぽつんとまるで 絞出し絵具を唯今しぼりだしたばかりのやうに、そのまた艶やかな緑葉の威勢よくむらがつた上に、点々と輝き出てゐるのであるから、その効果はまた一層引たつて、まるで音響でも発してゐるやうな工合に、人の心を奪つてしばらくはその上にとどめしめないではおかない、独占的な特殊な趣きがある。



私は毎年この花をはじめて見るたびに、何か強烈な生命的な感銘を覚えるといつたが、そのやうな場合、私は路上にあつて、その花にむかつて同じやうな感銘を覚えた去年のその同じ季節のある日から、今日のこの日まで、まる一年間の間の生活の要約、その風味とでもいつていい、何か圧縮された鮮明なしかしまた名状のしがたい感懐を覚えるのである。(三好達治、柘榴の花)

実に美しい幹枝であり花と葉だ。三好達治のいうように、「艶やかな緑葉の威勢よくむらがつた上に、点々と輝き出てゐる」見事な朱色の花。

わたくしはこの木を眺めたことがない。いやどこかで行き当たっていても、その花期にあたらないなどの理由で、何も感じなかったのかもしれない。

柘榴といえば、ヴァレリーは、《己が実の過剰にたえかねて/ひびわれた硬い石榴よ/至高の額を見る思いがする/発見に満ち裂けた額を/……/この光に満ちた裂開は/かつての私の魂を思わせるのだ/その密やかな建築の故に》(中井久夫)と歌っている。




それにエリティスもザクロの木を歌っている。


南の風が白い中庭から中庭へと笛の音をたてて
円天井のアーチを吹き抜けている。おお、あれが狂ったザクロの木か、
光の中で跳ね、しつこい風に揺すられながら、果の実りに満ちた笑いを
あたりにふりまいているのは?
おお、あれが狂ったザクロの木か、
今朝生まれた葉の群れとともにそよぎながら、勝利にふるえて高くすべての旗を掲げるのは?

ーーエリティス「狂ったザクロの木」(中井久夫訳)

と、柘榴の木の画像をいくらか探っていたら、どこかの家の裏庭か中庭だろう、その家の裏戸の傍らに枝をひろげる、静かで親密な時の流れを感じさせてくれる写真に行き当たった。樹幹や枝ぶりが見事な古木だ。




陽気な陽気な時節ではあるがちょっとの間はしーんと静になって、庭の隅の柘榴の樹の周りに大きな熊蜂がぶーんと羽音をさせているのが耳に立った。 (幸田露伴『雁坂越』)

ふいに、この柘榴の木の木陰で「アポロン的静謐」の午後を繊細に過ごしたい、という心持にとらわれる。

一軒の古い家屋、影になっているポーチ、屋根瓦、昔のアラブ風の装飾、壁に寄りかかって座っている男、人気のない街路、地中海沿岸に見られる樹木。この古い写真(1854年)は私の心を打つ。私はひたすらここで暮らしたいと思う。この願望は、私の心の奥深いところに、私の知らない根を下ろしている。私を引きつけるのは、気候の暑さか? 地中海の神話か? アポロン的静謐か? 相続人のいない状態か? 隠棲か? 匿名性か? 気高さか? いずれにせよ(私自身、私の動機、私の幻想がどのようなものであるにせよ)、私はそこで繊細に暮らしたいと思うーーその繊細さは、観光写真によっては決して満足させられない。私にとって風景写真は(都市のものであれ田舎のものであれ)、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。この居住の欲望は、自分自身の心に照らしてよく観察すると、夢幻的なものではない(私は非日常的な場所を夢みているわけではない)し、また、経験的なものでもない(私は不動産屋の案内広告の写真を見て、家を買おうとしているわけではない)。この欲望は幻想的なものであり、一種の透視力に根ざしている。透視力によって私は未来の、あるユートピア的な時代のほうへ運ばれるか、または過去の、どこか知らぬが私自身のいた場所に連れもどされるように思われる。ボードレールが「旅への誘い」と「前の世」でうたっているのは、この二重の運動である。そうした大好きな風景を前にすると、いわば私は、かつてそこにいたことがあり、いつかはそこにもどっていくことになる、ということを確信する。ところでフロイトは、母胎について≪かつてそこにいたことがあると、これほど確信をもって言える場所はほかにない≫(「不気味なもの」)と言っている。してみると、(欲望によって選ばれた)風景の本質もまた、このようなものであろう。私の心に(少しも不安を与えない)「母」をよみがえらせる、故郷のようなもの(heimlich)であろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

バルトのこのひどく美しい文を読むと、あの写真に唐突に魅了された理由がわかる。わたくしの場合、柘榴の木ではなく、母方の祖父母の家の中庭にあった夏みかんの木なのだが。

またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.(黒田夏子「abさんご」

さらにもっと漠然といえば、「午後の日差し」、そしてそれへのノスタルジーとでもいうべきものをわたくしに与えてくれる(京大近くの関西日仏会館にあるレストランはあの写真のような感覚がすこしあった、ということを、これまた唐突に想起する)。亜熱帯の国に住んでいると「午後の快楽」というものはめったにないのだ。


午後の日射し カヴァフィス

私の馴染んだこの部屋が
貸し部屋になっているわ
その隣は事務所だって。家全体が
事務所になっている。代理店に実業に会社ね

いかにも馴染んだわ、あの部屋

戸口の傍に寝椅子ね
その前にトルコ絨毯
かたわらに棚。そこに黄色の花瓶二つ
右手に、いや逆ね、鏡付きの衣裳箪笥
中央にテーブル。彼はそこで書き物をしたわ
大きな籐椅子が三つね
窓の傍に寝台
何度愛をかわしたでしょう。

(……)

窓の傍の寝台
午後の日射しが寝台の半ばまで伸びて来たものね

…あの日の午後四時に別れたわ
一週間ってーーそれからーー
その週が永遠になったのだわ