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2017年1月15日日曜日

谷崎の面貌



三下の突貫小僧みたいな野郎だな、それに比べ弟はなかなかの男前だ。

出典不明だが、写真右の谷崎精二氏は、次のように言っているらしい。

谷崎の弟 谷崎精二

大正4年、兄は千代子さんと結婚して向島に新居を構えた。
千代子夫人の温厚な人柄が母の気に入ったらしく、
「気立てのいい嫁だね。潤一郎がワガママなので可哀想だ」と母は言っていた。
「わたしゃ、潤一郎と暮らすのは御免だよ。お父さんが亡くなったら精二と暮らしたい」
母はよく私に言った。
潤一郎なんかあてにしていない、精二を頼りにしていると親戚にも話していた。
この話は生前兄の耳に入れなかったが、
母に疎まれていたことを兄は薄々知っていたかもしれない。
若い時の兄がだらしなかったので、私が親孝行せざるを得なくなった。
兄が親孝行だったら、私がぐれてしまったかしれない。

なぜこんなことを調べているのかといえば、『瘋癲老人日記』に次のような叙述があるのを見出したからだ。

五日。今暁母ノ夢ヲ見ル。親不孝ノ予ニシテハ珍シイコトデアル。多分昨日ノ明ケ方ノ蟋蟀ノ夢ヤ乳母ノ夢ガ跡ヲ引イタノダト思ウ。

夢ノ中ニ出テ来タ母ハ、予ノ記憶ニアル最モ美シイ最モ若イ時ノ姿ヲシテイタ。(……)残念ナコトニ予ノ方ヲ見テモクレナカッタシ、口ヲ利イテモクレナカッタ。予モ亦話シカケナカッタ。話シカケレバ叱ラレソウナ気ガシタノデ黙ッテイタノカモ知レナイ。(……)

眼覚メタ後モ、予ハ反芻スルヨウニ夢ノ中ノ母ノ姿ヲ思イ出シテイタ。……

青空文庫で読んだのだが、わたくしの手許には『瘋癲老人日記』はない。 かつて読んだことは読んだのだが、たぶん40年近く前である。海外住まいの身としては青空文庫は実に有難い。

ところで、三男の終平のほうは、こんなことを言っているらしい。

谷崎の弟 谷崎終平

井伏鱒二先生が谷崎の兄弟を評して
「精二が一番変わっていて、次にまともなのが潤一郎で、終平が一番まともだ」

母は大変な神経質で怖がりで迷信深かった。
長兄が地震嫌いなのは母の影響と思われる。
若い頃神経衰弱だったのも、母の血をひいた神経症と思われる。
次兄は乗り物恐怖症に長い間悩まされていた。
長兄がなぜ自宅で家人に散髪をしてもらうかと言えば、
若い時に人力車から逆さに落とされたことがあって、
それ以来理髪店の後ろに倒れる椅子が怖くて行かれず自宅散髪になったのだ。

長兄はそそっかしくて不器用でもあった。
万年筆が壊れたというので見ると、ただインクが無くなっていただけだった。
写真機を買ったのはいいが、どうしてもファインダーをのぞくコツが掴めない人で
たまには水平にも保てなかった。
本人は器用な奴は出世しないとうそぶいていた。

やあ実に兄弟というのは厄介だね、それとも作家という種族がことさらそうなんだろうか、荷風の場合もそうだけど。

とはいえ谷崎潤一郎は後年男前になったねえ、

たとえば娘の鮎子さんとの写真なんて、かすかなはにかみがあってとってもいい。





この面貌の様変わりは、やっぱり美容術のせいなんだろうか。

黃入谷のいふことに、士大夫三日書を讀まなければ理義胸中にまじはらず、面貌にくむべく、ことばに味が無いとある。いつの世からのならはしか知らないが、中華の君子はよく面貌のことを氣にする。(……)

本を讀むことは美容術の祕藥であり、これは塗ぐすりではなく、ときには山水をもつて、ときには酒をもつて内服するものとされた。(……)

隨筆の骨法は博く書をさがしてその抄をつくることにあつた。美容術の祕訣、けだしここにきはまる。三日も本を讀まなければ、なるほど士大夫失格だろう。人相もまた變らざることをえない。町人はすなはち小人なのだから、もとより目鼻ととのはず、おかげで本なんぞは眼中に無く、詩の隨筆のとむだなものには洟もひつかけずに、せつせと掻きあつめた品物はおのが身の體驗にかぎつた。いかに小人でも、裏店の體驗相應に小ぶりの人生觀をもつてはいけないといふ法も無い。それでも、小人こぞつて、血相かへて、私小説を書き出すに至らなかつたのは、さすがに島國とはちがつた大國の貫祿と見受ける。……(石川淳「面貌について」『夷齋筆談』所収)