世界経済フォーラムが発表したGDPに変わる指標、"IDI" 1人あたりGDPを加味しつつ、平均寿命、格差、貧困率、純貯蓄額等の組み合わせで豊かさを測定(January 15, 2017)
ということが記されている記事にたまたま行き当たった。 もちろんこういったデータ(指標)はそのまま信じ込まなくてよいのではあるが、わが日本は平均寿命が高いにもかかわらず、24位のポジションとなっている。
米国が日本の一つ上のポジションだったり、イタリアがまだ下位にいるわけで、--ある意味、なんだかホッとする資料ではある・・・
少し前、「空中でネズミを追いかけるネコ」で次の図を掲げたので、ここに比較のために貼っておくことにする。
わたくしは1995年に日本を出ているので、いまだ気分はどこか「Japan as number one」の感覚が残っているところがあるのだが、ナンバーワンとは当時から大袈裟だったにしろ、世界3位ぐらいの気分では長いこといた。もちろんずっと下位の国、たとえばフランスやイタリアで暮らすのは、日本よりずっとよさそうなのに、ケッタイな指標だな、と思いつつではあるが。
いやあでも実に懐かしい時代だよ、「Japan as number one」と世界的に言われたあの時代とは。当時は日本人だというだけで、海外でモテたよ。
ところで、いまの日本の社会保障制度というのは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の遺物じゃないんだろうか。
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013 武藤敏郎、PDF)
これだけははやいとこ、変えないとな。
世代会計とは、各世代一人当たりが年金や医療・介護など公共サービスとして政府から得る「受益」と、税金や保険料など政府に支払う「負担」との差額が、各々の世代ごとにどうなっているかを明らかにするものです。消費増税をいつ行うかによって若干試算結果が変わりますが、60歳以上の世代は負担したよりもおよそ4000万円多い受益を得ることができ、将来世代は支払い負担の方がおよそ8000万円多くなります。この差が1億2000万円になります。(「高齢者は若者より1億2000万円お得」小黒一正教授が明かす世代間格差)
これは分かっていてもなかなか言い出せないんだろうよ、シルバーデモクラシーの国ということもあるが、なんたってそのシルバー連中がジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を経験した人びとが大半なんだから(なんで暴動が起こらないんだろ? 暴動おこさないんだったら、親にタカリまくらないとな)。
いずれにせよ高齢者による若者搾取、というのか新種の奴隷制システムだね。すくなくとも年金はジャパン・アズ・ナンバーワンの時代の所得を基準にするのではなく、世界24位の国の所得を基準にしなくちゃならない。いやそれどころか、次の図も(十全に)加味しなくちゃならない。
いやあ、現在日本における高齢者ってのは(全体的に見れば)、やっぱり「泥棒」の一種なんだよ、
経済学的に考えたときに、一般的な家計において最大の保有資産は公的年金の受給権です。(……)
今約束されている年金が受け取れるのであれば、それが最大の資産になるはずです。ところが、そこが保証されていません。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和、2011)
最後にここで次の記事も記念に貼っておく(SAPIO2015年2月号)。たいしたことは記されていないが、巷間にはもはや『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を知らない人もいるだろうから。
高度成長期の日本の勢いを描いた世界的名著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』から36年を経たいま、著者であるエズラ・ボーゲル氏は日本の現状をどう見ているのか、在米ジャーナリストの高濱賛氏がインタビューした。(括弧内はボーゲル氏)
日本は2010年に中国にGDPで抜かれ、現在は約2倍近い差が付くことになった。ジャパン・アズ・ナンバー3の時代、日本は今後、世界でどうプレゼンスを発揮すべきなのか。ボーゲル氏が強調したのは日本が戦後70年、その指針としてきた米国との同盟再構築ではなく、中国との友好関係を建設することだった。
「日本は今後も中国との経済的、文化的、社会的交流促進を続けるべきです。このことこそが日本が直面しうる偶発的な事態に備える防衛政策を形成するはずでしょう。日本が対中、そして対韓関係を改善させる上で必要なことは、日本が1894年(日清戦争)から1945年(第二次世界大戦)にかけて中国に与えた損害・毀損について国民レベルでの、より幅広い議論をすることだと思います」
ボーゲル氏は中国との関係改善に関し、昨年4月に朝日新聞のインタビューに応じた際にも「日米の同盟関係は世界中の難問を解決するという役割を担ってきた。と同時にどういう国と話す必要があるかといえば中国だ。軍事力、経済力を増す中国は国際問題で日米と異なった意見をもつことが多く、中国が賛成しないと問題は解決しない」と答えている。さらに、日本の政治家は中国のことを敵視するばかりで現実的な選択肢を失っている、と指摘している。その代表格が安倍首相だ。
「2012年末に政権に返り咲いた安倍首相は、就任直後は中国には強硬な姿勢をとることで、中国がより強力な軍事的圧力を日本にかけても目的を達成することは出来ないということを示そうとしました。ところが2013年末に自らが靖国神社を参拝したことが対米、対中、対韓関係に支障を生じたのに気づき、(結果的に)慎重になりました」
日本が世界における存在感を失うにつれ、日本の政治家は長期的なビジョンを失ったとボーゲル氏は考える。
「(安倍首相とは異なり)福田赳夫、中曽根康弘、福田康夫といった歴代首相は中国との良好な関係を築き、それを維持していくための重要な方向づけをしてきました」
その言葉は手厳しいが日本社会、そして日本人への期待の裏返しともいえよう。ボーゲル氏は同書で日本経済だけに着目したわけではなかった。
〈過剰な人口を抱えた日本が、経済、教育、保健、治安などの各方面に成果をおさめていることは他の国の追随を許さない〉。
さらに、その要因を外国人研究者にありがちな日本人の伝統的国民性にみるのではなく、日本独特の組織力や長期的視座にたった計画・政策に求めた。そうした組織力の再構築やビジョンの見直しこそ現代の日本に再び求められるのではないか。
「日本は、これまでに市民が高い生活水準をエンジョイしつつ、長生き出来る高学歴社会を創造することに成功しました。それだけに日本はその国民が生きがいを持って生きる質の高いクオリティ・オブ・ライフを享受できる平和的な政策を追求できると信じています。そうした中で日本国民は、教育や技術、さらには全人類的公益の追求といったグローバルな分野でも活躍することを期待しています」
この言葉をわれわれ日本人はどう受け止めるべきか。