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2017年3月17日金曜日

憲法九条と皇室典範改正案(岩井克人)

表題を「憲法九条と皇室典範改正案(岩井克人)」としたが、まず最近の柄谷行人の九条と象徴天皇制についての考え方を掲げる。

◆(憲法を考える)9条の根源 哲学者・柄谷行人さん(朝日新聞 2016年6月14日)

――9条と1条の関係にも考えさせられます。現在の天皇、皇后は率先して9条を支持しているように見えます。

「憲法の制定過程を見ると、次のことがわかります。マッカーサーは次期大統領に立候補する気でいたので、何をおいても日本統治を成功させたかった。そのために天皇制を存続させることが必要だったのです。彼がとったのは、歴代の日本の統治者がとってきたやり方です。ただ当時、ソ連や連合軍諸国だけでなく米国の世論でも、天皇の戦争責任を問う意見が強かった。その中であえて天皇制を存続させようとすれば、戦争放棄の条項が国際世論を説得する切り札として必要だったのです」

「だから、最初に重要なのは憲法1条で、9条は副次的なものにすぎなかった。今はその地位が逆転しています。9条のほうが重要になった。しかし、1条と9条のつながりは消えていません。たとえば、1条で規定されている天皇と皇后が9条を支援している。それは、9条を守ることが1条を守ることになるからです」


◆インタビュー・柄谷行人「改憲を許さない日本人の無意識」2016(「文学界」7月号) 

編集部:「憲法の無意識」で驚いたのは、憲法一条(象徴天皇制)と九条との密接な関係を示されたことです。

柄谷:マッカーサーは天皇制の維持を重視していたが、ソ連や連合国だけでなくアメリカ国内でも天皇の戦争責任を問う意見が強かった。彼らを説得する切り札として戦争放棄条項を必要とした。

今は(国民の無意識に根を下ろしている)九条の方が重要であるが、その有力な後援者が一条の(今上)天皇・皇后である。

編集部:・・・つまり、天皇が国民の無意識を代弁している・・・。


以下、岩井克人の1996年8月9日に書かれた朝日新聞フォーラム二十一委員としての寄稿文である。いったん掲載を拒否されたとのことだが、後に長さを三分の二に縮小して、敗戦記念日の前後に掲載されたそうだ。以下はその縮小前の全文である。

◆岩井克人「憲法九条および皇室典範改正試案」全文、(『二十一世紀の資本主義論』所収)



私は、日本の憲法九条と皇室典範は次のように改正すべきだと考えています。

憲法九条については、日本国民は、一、自らの防衛、二、国連指揮下にある平和維持活動、三、内外の災害救助に活動、の三つの目的にその活動を限定した軍隊を保持することを世界に明言した内容に改正します。

皇室典範については、一、皇族は男女ともに皇位継承資格をもち、二、皇位継承者はその資格を放棄する権利をもち、三、天皇自身も皇位を放棄する権利をもつ、という内容に改正します。皇位継承の資格を放棄した旧皇族は、一国民として、参政権をはじめとするすべての市民権を享受しうることになります。

憲法九条の改正も皇室典範の改正も私がはじめて言い出したことではありません。いずれも左右のさまざまな政治的立場から繰り返し主張されてきたことです。ただ私は、 この二つの改正案をどちらも欠かせない一対のものとして提示したいと思っているのです。なぜ私がそう思っているのかは、これから順を追って説明していくつもりです。


『私は知ってしまった。だから私には責任がある。』

これはルワンダでの大量殺戮の目撃者の発言です。アメリカのニュース番組で耳にして以来、私の頭から離れない言葉です。

ボスニアでの民族浄化作戦よりも、カルガモ親子のお堀端の散歩のほうがテレビで大きく報道される日本です。だが、その住民である私たちでも番組をCNNやBBCに切り替えれば、いやでも「知る」ことになります。テレビだけではありません。インターネットはもちろん、新聞雑誌や書籍を通してさえ、私たちは世界で何が起こっているのかをいやおうなしに「知って」しまうのです。

これが冷戦時代であったなら、遠くの紛争について私たちが「責任」を感じる必要などなかったでしょう。冷戦とはすべての紛争を米ソの代理戦争に還元する装置でした。そこではどちらか一方の当事者に加担せずに、紛争の解決のために力を貸すことは不可能でした。それゆえ世界中すべての人間は、世界市民である以前に、親米か親ソかとい う役割を演じざるを得なかったのです。

冷戦は終わりました。それは「知る」ことがそのまま世界市民としての「責任」を 負う時代になったことを意味するのです。

ここに憲法九条の問題が浮上してくるのです。

私は1947年に生まれました。同じ年に施行された日本国憲法とは、もの心がついてからずっと神聖にして不可侵の存在でした。とくに九条は人類の未来を先取りした平和思想の表明として、誇るべき日本の財産だと思っていました。

もちろん九条は空洞化して久しい。九条の条文を素直に読めば、(芦田修正による曖昧さを考慮しても)それが自衛隊を含めた一切の戦力の保持を禁じていることは明らかです。九条が禁じる戦力に自衛隊は含まれないという政府の見解は、詭弁でしかありません。しかしながら、日本にはすでに長い間自衛隊が存在し、しかも国民からも一定の支持を得てきました。

どのような法律でもそれに違反する事実を長く放置すると、立法的に廃止手続きをとらなくても法的な効力を失ってしまうと言われています。その意味で九条はもはや法として機能していない。これは、立憲国家の憲法が「最高法規」としての規範性を失ってしまったということなのです。

それにもかかわらず、今に至るまで九条は私にとって神聖にして不可侵なままでした。おそらく多くの日本の国民にとっても同様であったはずです。今、世界市民としての責任が問われる時代になっても、私たちはともすればそれを神聖不可侵なものとして、神棚に祭り上げておこうとします。

憲法とは神が与えたものではなく、人間が作るものです。本来、一国の憲法とは国民の総意の表明なのです。たとえば、日本が国連の指揮する平和維持軍に参加するか否かの決断を迫られたとします。その時日本が世界の人々に向かって、日本には九条があるので参加が禁じられていると言うことは、本末転倒しています。もし、日本の国民が世界市民として平和維持軍に参加したいという意志があれば、憲法を改正すればよい。いや、改正することこそ、国民主権を標榜する立憲国家の義務なのです。

ところが、日本ではこのような簡単な論理が大新聞の論説ですら通りません。大新聞が良心的であればあるほどそうなのです。それは、いくら空洞化したとはいえ、九条の存在そのものが、軍国日本の復活を願う勢力に対する歯止めとして働いてきた事実を高く評価してきたからです。

もし九条を変えてしまったなら、日本は第二次大戦のあやまちを繰り返すのではないか。いくら目的を限定しても、いったん憲法で戦力の保持が認められれば、訳の分からぬうちに軍部が暴走し、ふたたび軍国主義に逆戻りをするのではないか。それはこの日本の現実において、ほとんど根拠のない恐れでしょう。だが、それは現実以上に現実的な力として、私たち日本の国民、そしてそれ以上に世界の人々をとらえてしまっている根源的な恐れなのです。

一体この恐れはどこから来るのでしょうか。答えは簡単です。現行の象徴天皇制から来るのです。


憲法を開くと、第三条にこう書いてあります。天皇の国事に関するすべての行為は内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う、と。すなわち、日本の天皇の行うことは、すべて日本政府の意思によるものであり、それは国民主権の下では、 私たち国民自身の意思によるものなのです。これが象徴天皇制というものの意味です。

問題はこの憲法上の規定と現実の国民意識との乖離です。日本列島の歴史の中にいつしか成り成りてきた天皇制は、今日まで連綿と続いてきました。その中に生まれた私たちにとって、天皇とは私たちの意志を超えて、既にそして常に存在してきたもののように見えています。私たちは、過去のみならず現在においても、自分たちがその天皇に対して主権者であるという意識をもてない。今の象徴天皇制は、私たちの意志を象徴するどころか、私たちが自分で自分の国の運命を選べないことのまさに象徴となっているのです。

実はこのことは、天皇自身が天皇であるのを選べないことと表裏一体をなしています。天皇には、職業選択の自由も居住の自由も信教の自由もなく、選挙権も被選挙権もない。そもそも天皇には、即位を辞退する自由も自らの意志で退位する自由もないのです。国民が自らの運命を選べないことと天皇が天皇であるのを選べないこととは、合わせ鏡のように互いの主体性の不可能を映し合っているのです。ここに真の意味での無責任体系が成立します。

その良い例が、天皇の「お言葉」の問題です。象徴天皇制においては、本来ならば天皇の言葉は私たち国民の言葉であるはずです。だが日本の現実の中では、多くの国民にとって天皇の言葉は「お言葉」であり、 それに対して、自分たちが責任をもっているとはとうてい思うことができないのです。それでいて、天皇自身もその「お言葉」 に責任をとることができません。

今の日本の中心に一つの空洞があります。それは、自らは主権を奪われ、他からは主権を奪う構造的な空洞です。この空洞があるかぎり、日本の国民は自らの国の運命に自ら責任をとることができず、世界の人々に根源的な恐れをあたえ続けることになるのです。

現在の皇室は国民の一定の支持を得ています。この現実の中で天皇制を見直す第一歩とし て、冒頭の皇室典範改正案があります。そこでは、天皇とは国民の意志の象徴という憲法上の役割を自ら選びとった人間となります。制度としての天皇と歴史的な意味を担った天皇とが区別され、それによってはじめて国民は、 天皇に対する本来的な主権者としての意識をもつことが可能になるのです。


今まで改憲を声高に言う人は、良い意味では現実を見る人であり、悪い意味では国威を発揚する人でした。護憲を声高に言う人は、良い意味では平和を祈願する人であり、悪い意味では現実を見ない人でした。もし憲法九条を改正するとしたら、皇室規範の改正と一対のものにする。そうすることによってはじめて、主体性をもった世界市民として、現実を見つめて平和を祈願することが可能になるのではないでしょうか。これが私の二十一世紀の日本への提言です。

岩井克人も現在の天皇制と憲法九条の関係を指摘しているわけだが、見ての通り、柄谷行人とは全く反対の立場からである。

柄谷の最近の見解はいくらか冒頭に掲げたが、よく知られているだろう。ここでは上の岩井克人の提言があったほぼ同時期の(1993年だから3年前だが)柄谷の考え方を示す文を以下に掲げる。


◆『「歴史の終わり」と世紀末の世界』柄谷行人/浅田彰対談1993年)

柄谷)夏目漱石が、『三四郎』のなかで、現在の日本人は偽善を嫌うあまりに露悪趣味に向かっている、と言っている。これは今でも当てはまると思う。

むしろ偽善が必要なんです。たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。

浅田)理念は絶対にそのまま実現されることはないのだから、理念を語る人間は何がしか偽善的ではある…。

柄谷)しかし、偽善者は少なくとも善をめざしている…。

浅田)めざしているというか、意識はしている。

柄谷)ところが、露悪趣味の人間は何もめざしていない。

浅田)むしろ、善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する。日本にはそういう露悪趣味的な共同体のつくり方が伝統的にあり、たぶんそれはマス・メディアによって煽られ強力に再構築されていると思いますね。

柄谷)たとえば、日本の政治家が世界政治のなかで発言するとき、そこに出てくる理念性は非常に弱い。ホンネを言ってしまっている。実質的には日本が金を出してすべてをやっているようなことでも、ほとんど口先だけの理念でやっているほうにつねに負けてしまう。日本の国内ではホンネを言って通るかもしれないけれど、世界のレヴェルでは、理念的にやらないかぎり、単に請求書の尻拭いをする成金というだけで、何も考えていないバカ扱いにされるに決っていますよ。

浅田)そのとき日本人がもてる普遍的理念というのは、結局は平和主義しかないと思いますね。(……)

柄谷)憲法第九条は、日本人がもっている唯一の理念です。しかも、もっともポストモダンである。これを言っておけば、議論において絶対に負けないと思う。むろん実際的にやることは別だとしても、その前にまず理念を言わなければいけない。自衛隊の問題でも、日本は奇妙に正直になってしまう。自衛隊があるから実は憲法九条はないに等しいのだとか、そんなことは言ってはいけない。あくまで憲法九条を保持するが、それは自衛隊をもつことと矛盾しない、と言えばよい。それで文句を言う者はいないはずです。アメリカだって、今までまったく無視してきた国連の理念などを突然振りかざしてくる。それが通用するのなら、何だって通用しますよ。ところが、日本では、憲法はアメリカに無理やり押しつけられたものだから、われわれもしようがなく守っているだけだとか、弁解までしてしまう(笑)。これでは、アジアでやっていけるわけがないでしょう。アメリカ人は納得するかもしれないけれど。

浅田)実際、アメリカに現行憲法を押しつけられたにせよ、日本国民がそれをずっとわがものとしてきたことは事実なんで、これこそわれわれの憲法だといってまことしやかに大見栄を切ればいいわけですよ。それがもっとも先端的な世界史的理念であることはだれにも疑い得ないんだから。

柄谷)ヘーゲルではないけれど、やはり「理性の狡知」というのがありますよ。アメリカは、日本の憲法に第九条のようなことを書き込んでしまった。

浅田)あれは実は大失敗だった。

柄谷)日本に世界史的理念性を与えてしまったわけです(笑)。ヨーロッパのライプニッツ・カント以来の理念が憲法に書き込まれたのは、日本だけです。だから、これこそヨーロッパ精神の具現であるということになる。(……)

柄谷)日本人は異常なほどに偽善を嫌がる。その感情は本来、中国人に対して、いわば「漢意=からごごろ」に対してもっていたものです。中国人は偽善的だというのは、中国人は原理で行くという意味でしょう。中国人はつねに理念を掲げ、実際には違うことをやっている。それがいやだ、悪いままでも正直であるほうがいいというのが、本居宣長の言う「大和心」ですね。それが漱石の言った露悪趣味です。日本にはリアル・ポリティクスという言い方をする人たちがいるけれども、あの人たちも露悪趣味に近い。世界史においては、どこも理念なしにはやっていませんよ。(……)

浅田)日本人はホンネとタテマエの二重構造だと言うけれども、実際のところは二重ではない。タテマエはすぐ捨てられるんだから、ほとんどホンネ一重構造なんです。逆に、世界的には実は二重構造で偽善的にやっている。それが歴史のなかで言葉をもって行動するということでしょう。

柄谷)偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。自由主義や共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです。

柄谷行人と浅田彰の考え方は一読説得的ではある。九条という世界史的理念を「建前」として(仮にそれが偽善であっても)、世界に向けて強く主張しろ、と。

この考え方は後に「世界共和国」という統整的理念として展開してゆく。

カントがいう「永遠平和」は、たんに戦争がないだけでなく、国家間の敵対がない状態、すなわち、国家が揚棄された状態を意味します。カントは、国家がつねに他の国家に対して存在することを踏まえて、その上で、国家を抑え込む方法を考えたわけですね。そして、国家連合を構想した。カントは、これを「世界共和国」つまり国家と資本が揚棄された社会にいたるための、現実的な第一歩として提案したのです。もちろん、「世界共和国」は統整的理念であって、けっして実現されない。しかし、それに近づくリアリスティックな方法として、国家連合を構想したわけです。(柄谷行人「世界危機の中のアソシエーション」2009年

ここでひとつだけ疑問がある。

仮に世界共和国が実現したとしよう。それは、柄谷行人の考え方では国連による「世界同時革命」によって実現する(もっとも上の文では「けっして実現されない」としているわけだが)。

各地の運動が国連を介することによって連動する。たとえば、日本の中で、憲法九条を実現し、軍備を放棄するように運動するとします。そして、その決定を国連で公表する。〔中略〕そうなると、国連も変わり、各国もそれによって変わる。というふうに、一国内の対抗運動が、他の国の対抗運動から、孤立・分断させられることなしに連帯することができる。僕が「世界同時革命」というのは、そういうイメージです。(柄谷行人『「世界史の構造」を読む』2011年)

もし世界共和国が実現したら、その一員としてのわれわれ日本民族ーー国家がなくなるのだから、日本エリアに住む人々とすべきかーーは、まさに「真の世界市民」となる。

岩井克人の文を再掲すれば、次の文の世界市民に、「真の」という形容詞がつくという意味である。

憲法とは神が与えたものではなく、人間が作るものです。本来、一国の憲法とは国民の総意の表明なのです。たとえば、日本が国連の指揮する平和維持軍に参加するか否かの決断を迫られたとします。その時日本が世界の人々に向かって、日本には九条があるので参加が禁じられていると言うことは、本末転倒しています。もし、日本の国民が世界市民として平和維持軍に参加したいという意志があれば、憲法を改正すればよい。いや、改正することこそ、国民主権を標榜する立憲国家の義務なのです。

しかしながら世界共和国になっても各地で紛争があるだろう。それは、「平和」である日本に、暴行や強盗が決してなくならないのと同様である。つまりは理念が実現しても警察官が必要である。

そのとき日本エリアに住む人々は、平和維持軍に参加しなければならないだろう、経済力や人口などの比率で「世界の警察官」の役目をしなければならないはずである。

とすればーー柄谷行人の論理であるならーー、世界共和国が実現するまでの憲法九条保持・軍備放棄ということになるはずである。

もし、世界共和国など決して実現しないという立場に立ってしまえば、現在の世界のなかでの日本のあり方はーー現在の世界とは、言ってしまえば「世界資本主義共和国」であるーー、自国民の生死にかかわる危険なこと(警察、つまり世界の治安を維持すること)、あるいは自国でトラブルを招く可能性の高い厄介なこと(たとえば難民)は、他国にすべて任せようという途轍もないエゴイズムを半永久的に続ける国ということになる。

もっとも、「世界の警察官」などの役目を下りて、自国中心主義でいこう、自国の経済的損得にかかわる場合だけ紛争介入しよう、というのが現在の先進諸国の傾向なのかもしれない。とはいえやはり、その先駆的「お手本」のような国がわが日本ということになる。

オバマ大統領は、シリア内戦に関するテレビ演説で、退役軍人などから、「米国は世界の警察官でなければいけないのか」という書簡を受け取ったことを明らかにし、次のように述べた。

「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」。(「世界の警察官をやめる」と宣言したオバマ大統領

…………

ところで日本人の弱点として、次のような指摘が精神科医たちによってかねてからなされてきた。

……国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。醒めている者も、ふつう亡命の可能性に乏しいから、担いでいるふりをしないわけにはゆかない(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収)

だが「選択的非注意」という人間の心理的メカニズムの側面についても、日本は世界の先進国かもしれない。

古都風景の中の電信柱が「見えない」ように、繁華街のホームレスが「見えない」ように、そして善良なドイツ人の強制収容所が「見えなかった」ように「選択的非注意 selective inatension」という人間の心理的メカニズムによって、いじめが行われていても、それが自然の一部、風景の一部としか見えなくなる。あるいは全く見えなくなる。(中井久夫「いじめの政治学」)

柄谷行人は冒頭に掲げたインタヴューで次のようにも言っている(「9条の根源 哲学者・柄谷行人さん(朝日新聞 2016年6月14日)」)。

――近著では、戦後憲法の先行形態は明治憲法ではなく「徳川の国制」と指摘していますね。

「徳川時代には、成文法ではないけれども、憲法(国制)がありました。その一つは、軍事力の放棄です。それによって、後醍醐天皇が『王政復古』をとなえた14世紀以後つづいた戦乱の時代を終わらせた。それが『徳川の平和(パクストクガワーナ)』と呼ばれるものです。それは、ある意味で9条の先行形態です」

「もう一つ、徳川は天皇を丁重にまつりあげて、政治から分離してしまった。これは憲法1条、象徴天皇制の先行形態です。徳川体制を否定した明治維新以後、70年あまり、日本人は経済的・軍事的に猛進してきたのですが、戦後、徳川の『国制』が回帰した。9条が日本に根深く定着した理由もそこにあります。その意味では、日本の伝統的な『文化』ですね」

柄谷行人は、かつて岩井克人との対談(1990年)にて、コジューヴの日本文化論(日本的スノビズム)を語りつつ、日本的な生活様式とは実際に江戸文化のことという意味合いのことを言っている。

柄谷)コジューヴは五九年に日本へ来たんですけれども、その時に自分は世界史が終わった時点ではアメリカのようになるであろうと思っていたけれども、それは間違っていた。日本のようになると言い出したわけです。精神とか人間というのは闘争においてあるというのがヘーゲルの考えで、闘争が終われば動物的になってしまう。しかし、そうならないで、なおかつポスト歴史的な生の形式でありうる。それが日本人だと言うわけです。ところで日本人は、関ヶ原の戦争以来闘争がない。彼は具体的には江戸時代のことを言っているんだけれども、江戸時代に日本人がつくりあげた生存形式、ジャパニーズ・ウエイ・オヴ・ライフと言うべきだろうけども、これを彼はスノビズムと呼ぶわけです。それは、動物のようになることではない。まだ人間的ではあるんだけれども、いささかも人間的内容なしに、あるいは意味なしに、単に形式的な、戯れだけで行動してしまえること、それが日本的な生活様式であると。これは実際に江戸文化のことですね。(……)

彼が注目したのは、茶道とか生花とか、あるいは自殺、腹切りですね。三島由紀夫がそのあと、十年後に自殺したわけですけど、これは典型的にそういう意味でのスノビズムになってます。ところがぼくは、スノビズムはそういうところにあるよりも、むしろもっとありふれた日本人の「会社」的な生存のし方にあると思います。

つまり日本人、会社では、なんのためか知らないけれど一生懸命働いてしまう。いささかの人間的内容もなく、頑張ってしまう。早くから入学試験にそなえて頑張るのもそうですね。その形態、つまり日本の高度成長段階の生存形態というのが、スノビズムではないかと思うんです。消費社会的なものが猛烈に表面化してきたのが八十年代で、この段階でまさに江戸的になるんですね。意味のない形式的な差異だけを、これは広告でもブランドども何でもいいんですけど、それだけを追いかける。こういう生存のし方が出てきて、しかもそれを吉本隆明なんかが「超西洋的」と呼ぶわけでしょう。

情報というのは観念(意味)よ物質という対立を、差異(形式)に還元してしまう考え方です。まさにそういう意味での「情報社会」というのは、西洋ではなくて、日本のあらゆる領域で実現されたと思う。(『終わりなき世界』1990年)

日本的な生活様式である江戸文化とはどのようなものだっただろうか。

《江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。》(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」

………このシンポジウムで私の前に米山俊直先生が話された中で私の印象に強く残ったのは、信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。それ以降、秀吉と家康がした大きな改革が三点くらいある。一つは「大家族同居の禁」である。江戸時代のほうが明治以降よりも小家族であった。森鴎外の『阿倍一族』のような反乱を起こされたら困るからである。もう一つは刀狩という「武装解除」である。最後の一つは「布教の禁」で宗教は布教してはいけないということである。おそらく幕末のいろいろな宗教運動がものすごい抵抗に遭ったのは、布教の禁に真っ向から対立するからだろうと思う。布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。以上の三つに付随して「宗教者医療の禁」がある。「医は仁術なり」という言葉は「お医者さんは非常に親切であれ」ということではなくて、「仁」という儒教の道徳にもとづいた非宗教人だけに医術を許すということである。ただし日蓮宗は狐憑きを治療してよいなどいくつかの例外はある。(中井久夫「山と平野のはざま」『時のしずく』所収)

この江戸的生活様式が、日本が「世界の先進国」の起源ーー自国中心主義というエゴイズムと選択的非注意ーーである主要な理由でありうる。

それは一言で言えば、1992年の柄谷が言った、日本的ファシズム、--いつのまにかそう成る「会社主義corporatism」である。

……思想史が権力と同型であるならば、日本の権力は日本の思想史と同型である。日本には、中心があって全体を統御するような権力が成立したことがなかった。それは、明治以後のドイツ化においても実は成立しなかった。戦争期のファシズムにおいてさえ、実際は、ドイツのヒットラーはいうまでもなく、今日のフランスでもミッテラン大統領がもつほどの集権的な権力が成立しなかったし、実はその必要もなかったのである。それは、ここでは、国家と社会の区別が厳密に存在しないということである。逆にいえば、社会に対するものとしての国家も、国家に対するものとしての社会も存在しない。ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。

ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。

日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。すなわち、それは原抑圧の失敗であり、去勢の否認である。日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられうことに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)


これはまた、岩井克人の天皇制論における叙述、日本の中心にある一つの空洞、《自らは主権を奪われ、他からは主権を奪う構造的な空洞です。この空洞があるかぎり、日本の国民は自らの国の運命に自ら責任をとることができず……》にかかわるのではなかろうか。

そして人は日本的環境におかれれば、「僕は、私は、この無責任を拒絶する」と考えても、《彼はそれを知らないが、(無意識的に)そうする、Sie wissen das nicht, aber sie tun es》(マルクス)のである。

それは柄谷行人が『トランスクリティーク』で繰り返し引用している次の文が示している。

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』)

柄谷行人はまた『探求Ⅱ』で、次の文を引用してフロイトを顕揚している。

ユダヤ人であったおかげで、私は、他の人たちが知力を行使する際制約されるところの数多くの偏見を免れたのでした。ユダヤ人の故に私はまた、排斥運動に遭遇する心構えもできておりましたし、固く結束した多数派に与することをきっぱりあきらめる覚悟もできたのでした。(フロイト『ブナイ・ブリース協会会員への挨拶』)

最後にこの文をパラフレーズしておこう。

「日本人であるせいで、私は、 この列島の曖昧模糊として春のような文化に染まり、ことごとく「 空気」を読みながら行動するようになりました。そして知力を行使する際に著しい制約の憂き目に遭い、数多の偏見にまみれることになりました。日本人の故に私はまた、知らず知らずのうちに島国根性に裏打ちされた選択的非注意に身をそめてしまうのですし、自国中心主義というエゴイズムにうっとりと慰安を見出すのでした。」