女というのは、芸術やら祈りやらといっている連中ーーときに蚊居肢散人のたぐいの人物にみられる悪癖ーーを笑い飛ばす力をもっている。
不幸なことに芸術愛好家の女性というのはおおむね、女ではなく男であるのだが。
女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」)
カンブルメール=ルグランダン夫人は海をながめて会話にそっぽを向いた。彼女は姑が愛しているような音楽は音楽ではないと考え、姑の才能を、実際には世間が認めているもっとも顕著なものであったのに、自己流のものであると解し、興味のない妙技にすぎないと考えていた。現存するただひとりのショパンの弟子である老婦人が、師の演奏法、師の「感情」は、自分を通して、嫁のカンブルメール夫人にしかつたえられなかった、と公言していたのはもっともであったが、ショパンの通りに演奏するということは、このポーランドの作曲家を誰よりも軽蔑しているルグランダンの妹には、参考とすべきことからは遠かった。(プルースト「ソドムとゴモラⅠ」)
◆Martha Argerich,Ravel Jeux d'eau
ーーそもそも映画女優よりも音楽家のほうが美しく官能的にきまっている。
ところで青柳いづみこさんはマルタ・アルゲリッチについて《アルゲリッチ の演奏は刹那的 だ。その場その場では興奮するが、前に何があったのか忘れてしまう》。さらに《アルゲリッチで印象に残るのは、主題よりもそれを装飾するアクセサリーのほうだ。虹のように輝く変幻自在のトリルは、タンホイザー を誘惑するヴェヌスもかくやと思わせる妖しい魅力を放っている。》
世界にはこの刹那的妖しい魅力も必要である。
◆Martha Argerich and Charles Dutoit in 1972
◆青柳いづみこ「ピアニスト が見たピアニスト」
アルゲリッチ は、ノクターン などカンティレーナの部分ではベルカント 奏法を使う。ひとつの音を指先で保持しながら次の指の準備をし、音と音の間にすきまができないように慎重に音をつないでいく。こちらは「習った」ほうだ。しかし、速い音型を弾くときは、彼女のオリジナルの「ひっかき」奏法が全面に出てくる。「曲げた指」を使うポリーニ は、速い音型でも一度根元の関節で止め、次の指につなぐ作業を行なうのだが、アルゲリッチ は手前にひっかくので、動作を次々にくり出すことができる。おまけに彼女は、ある音節 を弾くとき、腕を上から落として勢いをつけ、すべての音をまとめて弾いてしまう。この「ひっかく」「落とす」「まとめて弾く」で、彼女の異常なスピードが可能になるのだ。
たとえば、コンセルトヘボウでのライブが残されている(アルゲリッチ の)プロコフィエフ 『戦争ソナタ 』をグールド のCDと比較してみると、アプローチの違いは明らかである。無機質な第1主題ではじまり、さまざまに解体されたのち濃艶な第2主題が提示され、やがて二つの主題が組み合わされる第1楽章。分析マニアのグールド の手にかかると、この過程が手にとるように分かる。アルゲリッチ の演奏では、第1主題の輪郭はあまり明確に描かれず、より彼女のテンペラ メントに適した第2主題ばかりが鮮やかに浮かびあがってくる。「元祖野獣派」のフィナーレでは、彼女のほうに圧倒的に軍配が上がるけれども。
リストの『ソナタ 』をポリーニ と聴き比べたときも、同じような印象を受けた。
アルゲリッチ の演奏は刹那的 だ。その場その場では興奮するが、前に何があったのか忘れてしまう。主題の造形はポリーニ にかなわない。アルゲリッチ で印象に残るのは、主題よりもそれを装飾するアクセサリーのほうだ。虹のように輝く変幻自在のトリルは、タンホイザー を誘惑するヴェヌスもかくやと思わせる妖しい魅力を放っている。
青柳いづみこさんに敬意を表するために、次の刹那性を超えた映像を貼っておく。とくに前半の数分の響きは限りなくーー鳥肌がたつほどーー美しい。
◆ドビュッシー(カプレ編)聖セバスチャンの殉教 より ピアノ:青柳いづみこ
わたくしは演奏技術のことはわからないが、ユジャ・ワンの演奏は、刹那的妖しい魅力をもった《その場その場では興奮するが、前に何があったのか忘れてしまう》感覚をわたくしに与えることが多い。
◆Scarlatti Sonate K.455, Yuja Wang
ーースカルラッティのいくつかの曲は、こういったべとつかないスポーツ的名演がふさわしい。
以下のプロコフィエフを演奏するユジャワンの四つの時期の映像は、 王羽佳(1987生れ)の「羽佳=孵化」の様ーー蛹から蝶への移行ーーがよくわかる。たぶん裏方のキャラ作りの影響大だろうが(彼女は、アルゲリッチの名高い習癖、繰り返される演奏会キャンセルの一つ(2007年)の代役として登場して、好評を博したことでも知られている)。
◆Yuja Wang . the dizzying cadenza / la vertigineuse Cadence du concerto n°2 de Prokofiev
これをみると、現在の若き女性にとっては、徳田秋声の文などまったく通用しないのが、よくわかる。
「どうしたって、女は十六、七から二十二、三までですね。色沢がまるでちがいますわ。男はさほどでもないけれど、女は年とるとまったく駄目ね。」(徳田秋声『爛』)
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ぜんぜん話は変わるが、高橋悠治と青柳いづみこは実に美しいカップルではなかろうか。クルターグ夫妻のようになる可能性がある。