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2017年6月24日土曜日

川向うから這ってくる音

荷風の「鐘の音」を読んで遠くからの響きに魅せられた記憶が浮かんできた。鐘の音ではない。電車の通りすぎる音。曇り日は晴れた日よりよく聞こえてきた。

若いころ桂川沿いに建った古いマンションに十年弱住んだ。六階の桂川側が全面ガラスになった居間から、川向うを臙脂色をした車両がゆっくりと走ってゆくのが見える。あの阪急電車の色はとても美しい。そして二百メートルよりやや遠い先からときたま聞こえてくるあの響き。

何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。(荷風「鐘の音」)

ああそうだった、とくに雨の日に低く這ってくるあの響きは。

たしか三年ほど前だったか、この荷風の小品を読んだときには何とも思わなかった。荷風らしい情緒あふれる随筆だと思ったかどうかもあやしい。作品が心に触れるかどうかはわたくしの場合、偶然なことが多い。音楽だってそうだ。魂の向きが作品に感応する具合になっていないといけない。今回は《埒もないむかしの思出》にいざなわれてしまった。

ふと耳にする鐘の音は、机に頬杖をつく肱のしびれにさえ心付かぬほど、埒もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。(「鐘の音」)

◆Schumann, Eichendorff Liederkreis Op 39 - 1. In der Fremde (Régine Crespin)



In der Fremde 異郷にて

Aus der Heimat hinter den Blitzen rot   
Da kommen die Wolken her,          
Aber Vater und Mutter sind lange tot,    
Es kennt mich dort keiner mehr.        
Wie bald, ach wie bald kommt die stille Zeit,
Da ruhe ich auch, und über mir         
Rauscht die schöne Waldeinsamkeit,     
Und keiner kennt mich mehr hier.       

稲妻の赤くきらめく彼方、
故郷の方から、雲が流れてくる。
父も母も世を去って久しく
あそこではもう私を知るひともない。
私もまたいこいに入る、その静かな時が
ああ、なんとまぢかに迫っていることだろう,
美しい、人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ
ここでも私が忘れられる時が。