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2017年6月23日金曜日

馬齒七十に垂んとして偶然年少氣鋭の徃時を憶ふ

◆永井荷風『葛飾土産』
市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流のいずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いてふと小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委がたずねて見たくなるのだ。来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去らず、事に会えば忽ち再発するらしい。雀百まで躍るとかいう諺も思合されて笑うべきかぎりである。
朽ちた丸木橋の下では手拭を冠った女たちがその時々の野菜を洗って車に積んでいる。たまには人が釣をしている。稲の播かれるころには殊に多く白鷺が群をなして、耕された田の中を歩いている。
子供の手を引いて歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯した荒凉たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。

いやあ荷風というのは実にいい。とくに終戦直後の荷風というのは絶品である。


◆荷風戰後日歴 永井荷風
昭和廿一年一月一日(熱海にて) 

一月初一。晴れて風なし。またとはなき好き元旦なるべし。去年の暮町にて購ひ來りし暦を見て、久振に陰暦の日を知り得たり。今日は舊十一月廿八日なるが如し。世の噂によれば諸會社株配當金も去年六月以後皆無となりしのみならず、今年は個人の私有財産にも二割以上の税かゝると云。今日まで余の生活は株の配當金にて安全なりしが、今年よりは賣文にて餬口の道を求めざるべからず。去秋以後收入なきにあらねど、そは戰爭中徒然のあまり筆とりし草稿、幸にして燒けざりしを售りしが爲なり。七十歳近くなりし今日より以後、余は曾て雜誌文明を編輯せし頃の如く筆執ることを得るや否や。六十前後に死せざりしは此上もなき不幸なりき。老朽餓死の行末思へばおそろし。朝飯を節するがため褥中に書を讀み、正午に近くなるを待ち階下の臺所に行き葱と人參とを煮、麥飯の粥をつくりて食ふ。食後炭火なければ再び寐床に入り西洋紙に鉛筆にて賣文の草稿をつくる。
一月十四日。晴。暖。東京の諸友に市川へ轉居の事を報ず。
一月十八日。晴。近巷空地林園多くして靜なり。時節柄借家としては好き方なるべし。省線市川の停車場まで十五分ばかりと云。
一月廿二日。晴。暖氣春の如し。疥癬愈甚しければ午前近巷の醫師を尋ねて治を請ふに、傳染せし當初なれば治し易き病なれど、全身に蔓衍しては最早や藥治の能くすべきところならず。硫黄を含む温泉に浴するより外に道なしと言へり。醫師また言ふ。これ歸還兵の戰地より持ちかへりし病にて、國内傳染の患者甚多しとなり。驛前の市場にて惣菜物蜜柑等を購ひ、京成線路踏切を越え松林欝々たる小徑を歩む。人家少く閑地多し。林間遙に一帶の丘陵を望む。通行の人なければ樹下の草に坐し鳥語をきゝつゝ獨り蜜柑を食ふ。風靜にして日の光暖なれば覺えず瞑想に沈みて時の移るを忘る。この小徑より數丁、垣根道を後に戻れば寓居の門前に至るを得るなり。この地に居を移してより早くも一週日を經たれど驛前に至る道より外未知る處なし。されど門外の松林深きあたり閑靜頗る愛すべく、世を逃れて隱れ住むには適せし地なるが如し。
三月初九。晴。風歇みて稍暖なり。午前小川氏來り草稿の閲讀を乞ふ。淺草の囘想記なり。町を歩みて人參を買ふ。一束五六本にて拾圓なり。新圓發行後物價依然として低落の兆なし。四五月の頃には再度インフレの結果私財沒收の事起るべしと云。去年此日の夜半住宅燒亡。藏書悉く灰となりしなり。 
五月十九日。日曜日。晴。午前扶桑書房主人白米五升を贈らる。午後門外を歩むに耕したる水田に鳥おどしの色紙片々として風に翻るを見る。稻既に蒔かれしなるべし。時に白鷺二三羽貯水池の蘆間より空高く飛去れり。余の水田に白鷺の歩むを見、水流に翡翠の飛ぶを見たりしは逗子の別墅に在りし時、また曉明吉原田圃を歩みし頃の事にして、共に五十年に近きむかしなり。今年馬齒七十に垂んとして偶然白鷺の舞ふを見て年少氣鋭の徃時を憶ふ。市川寓居の詩趣遂に忘るべからざるものあり。

もちろん惚れ惚れするのは終戦直後のものだけではない。

◆『鐘の音』(昭和十一年三月)
住みふるした麻布の家の二階には、どうかすると、鐘の声の聞えてくることがある。 

鐘の声は遠過ぎもせず、また近すぎもしない。何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。西洋の詩にいう揺籃の歌のような、心持のいい柔な響である。
この年月の経験で、鐘の声が最もわたくしを喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下に、独り夕餉の箸を取上げる途端、コーンとはっきり最初の一撞きが耳元にきこえてくる時である。 驚いて箸を持ったまま、思わず音のする彼方を見返ると、底びかりのする神秘な夜の空に、宵の明星のかげが、たった一ツさびし気に浮いているのが見える。枯れた樹の梢に三日月のかかっているのを見ることもある。
……まだ夜にはなりきらない頃、読むことにも書くことにも倦み果てて、これから燈火のつく夜になっても、何をしようという目当も楽しみもないというような時、ふと耳にする鐘の音は、机に頬杖をつく肱のしびれにさえ心付かぬほど、埒もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。
若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨の雫が葉末から音もなく滴る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が『楚辞』にもたとえたい。