2017年6月20日火曜日

原抑圧 Urverdrängung とはサントーム sinthome のことである

「原抑圧 Urverdrängung とはサントーム sinthome のことである」としたが、ラカン派ってのはだれもはっきりとはそう言っていない。なに遠慮してんだろう、バカじゃないのか。

…………

まずフロイトの原抑圧をめぐる記述を四つ掲げる。

◆フロイト、1911年
「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②第二段階は、「本来の抑圧 eigentliche Verdrängung」である。この段階はーー精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーーより高度に発達した、自我の、意識可能な諸体系から発した「後の抑圧 Nachdrängen 」として記述できるものである。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、抑圧の失敗・侵入・「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入 Durchbruch とは「固着 Fixierung」点から始まる。そしてリビドー的展開 Libidoentwicklung の固着点への退行 Regression を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911年、 私訳)

◆1915年 
われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心理的(表象的)な代理 (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識の中に入り込むのを拒否するという、第一期の抑圧を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixierung が行われる。というのは、その代表はそれ以後不変のまま存続し、これに欲動が結びつくのである。(……)

抑圧の第二階段、つまり本来の抑圧 Verdrängung は、抑圧された代表の心理的な派生物に関連するか、さもなくば、起源は別だがその代表と結びついてしまうような関係にある思考傾向に関連している。

こういう関係からこの表象は原抑圧をうけたものと同じ運命をたどる。したがって本来の抑圧とは後の抑圧 Nachdrängung である。それはともかく、意識から抑圧されたものに作用する反撥だけを取り上げるのは正しくない。同じように原抑圧を受けたものが、それと関連する可能性のあるすべてのものにおよぼす引力をも考慮しなければならない。かりにこの力が協働しなかったり、意識によって反撥されたものを受け入れる用意のある前もって抑圧されたものが存在しなかったなら、抑圧傾向はおそらくその意図をはたさないであろう。(フロイト『抑圧』1915年、既存訳修正、以下同様)

◆1926年
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungen は、後の抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえるのである。こういう抑圧の背景や前提については、ほとんど知られていない。また、抑圧のさいの超自我の役割を、高く評価しすぎるという危険におちいりやすい。この場合、超自我の登場が原抑圧 Urverdrängungと後期抑圧 Nachdrängen との区別をつくりだすものかどうかということについても、いまのところ、判断が下せない。いずれにしても、最初のーーもっとも強力なーー不安の襲来は、超自我の分化の行われる以前に起こる。原抑圧 Urverdrängungen の手近な誘引として、もっとも思われることは、興奮の過剰な強さ übergroße Stärke der Erregung により刺激保護 Reizschutzesが破綻するというような量的な契機である。(フロイト『制止、症状、不安』1926 年)

◆1937年
抑圧 Verdrängungen はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御 Triebbeherrschung のためにそれを利用しようとする。

新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば「後の抑圧 Nachverdrängung」によって解決される。…分析は、一定の成熟に達して強化されている自我に、かつて未成熟で弱い自我が行った古い抑圧 alten Verdrängungen の訂正 Revision を試みさせる。…幼児期に成立した根源的抑圧過程 ursprünglichen Verdrängungsvorganges を成人後に訂正し、欲動強度 Triebsteigerung という量的要素がもつ巨大な力の脅威に終止符を打つという仕事が、分析療法の本来の作業であるといえよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

…………

【原抑圧】

結局、フロイトは分析的ディスクールのなかで進んでいくにつれて、原抑圧が最初である le refoulement originaire était premier という考え方に傾いていったのである。(ラカン、テレヴィジョン、1973年)
エロスとタナトスは、次ののように区別される。すなわち、エロスは、反復されるべきものであり、反復のなかでしか生きられないものであるのに対して、(超越論的的原理 principe transcendantal としての)タナトスは、エロスに反復を与えるものであり、エロスを反復に服従させるものである。唯一このような観点のみが、反復の起源・性質・原因、そして反復が負っている厳密な用語という曖昧な問題において、我々を前進させてくれる。なぜならフロイトが、表象 représentations にかかわる"正式の proprement dit "抑圧の彼方に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じるから。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)
四番目の用語(サントーム=原症状)にはどんな根源的還元もない、それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかは知られていないが…言い得たから。すなわち原抑圧 Urverdrängung があると。決して取り消せない抑圧である。この穴を包含しているのがまさに象徴界の特性である。そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。

Il n'y a aucune réduction radicale du quatrième terme. C'est-à-dire que même l'analyse, puisque FREUD… on ne sait pas par quelle voie …a pu l'énoncer : il y a une Urverdrängung, il y a un refoulement qui n'est jamais annulé. Il est de la nature même du Symbolique de comporter ce trou, et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


【欲動の現実界】
・夢の臍 l'ombilic du rêve…それは欲動の現実界 le réel pulsionnel である。

・欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。

原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン、Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975


【欲動の根】
たとえ分析治療が成功したとしても、その結果治癒した患者を、その後に起こってくる別の神経症、いやそれどころか前の病気と同じ欲動の根 Triebwurzel から生じてくる神経症、つまり以前の疾患の再発に苦しむことからさえも患者を守ってあげることが困難であることがこれで明らかになった。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)


【夢の臍・菌糸体】
どんなにうまく解釈しおおせた夢にあっても、ある箇所は未解決のままに放置しておかざるをえないこともしばしばある。それは、その箇所にはどうしても解けないたくさんの夢思想の結び玉 Knäuel があって、しかもその結び玉は、夢内容になんらそれ以上の寄与をしていないということが分析にさいして判明するからである。これはつまり夢の臍 Nabel des Traums、夢が未知なるもののうえにそこに坐りこんでいるところの、その場所 die Stelle, an der er dem Unerkannten aufsitzt なのである。判読(解読)においてわれわれがつき当る夢思想は一般的にいうと未完結なものとして存在するより仕方がないのである。そしてそれは四方八方に向ってわれわれの観念世界を網の目のごとき迷宮に通じている。この編物の比較的目の詰んだ箇所から夢の願望が、ちょうど菌類の菌糸体 myceliumから菌が頭を出しているように頭を擡げているのである。(フロイト『夢判断』第七章「夢事象の心理学」)


【我々の存在の核】 
私は心の装置における心的過程の一方を「一次的なもの primären」と名づけたが、私がそう名づけたについては、地位の上下や業績能力を顧慮したばかりではなく、命名によって時間的関係をも同時にいい現わそうがためであった。

「一次過程 Primärvorgang」しか持たないような心的装置は、なるほどわれわれの知るかぎりにおいては存在しないし、また、その意味でこれは理論的仮構 Fiktionにすぎない。しかし二次的な sekundären 過程が人間生活の歴史上で漸次形成されていったのに反して、一次過程 Primärvorgänge は人間の心のうちにそもそもの最初から与えられていたということだけは事実である。そしてこの二次過程は一次過程を阻止してそれを覆い隠し、そしておそらくは人生の頂上をきわめるころおいにおいてはじめて完全に一次過程を支配するにいたるものなのである。

「二次過程 sekundären Vorgänge 」の、こういう遅まきの登場のために、無意識的願望衝動からなっているところの「我々の存在の核 Kern unseres Wesens」は、無意識に発する願望衝動にもっとも合目的的な道を指し示すという点にのみその役割を制限されているところの前意識にとっては把握しがたく、また、阻止しがたいものとなっている。(フロイト『夢判断』1900年)


【一次過程/二次過程】
・前意識システム System Vbw においては、二次過程 Sekundärvorgang が支配している。

・一次過程 Primärvorgang(備給の可動性 Beweglichkeit der Besetzungen)は、無時間的であり、外部の現実を心的現実に置換する。これはシステム無意識 System Ubw に属する過程のなかに見出しうる。(フロイト『無意識』1915年)
われわれは、心的装置の最初の、そしてもっとも重要な機能として、侵入する衝動の蠢き anlangenden Triebregungen を「拘束 binden」すること、それを支配する一次過程を二次過程に置き換えること、その自由に流動する備給エネルギー frei bewegliche Besetzungsenergie をもっぱら静的な(強直性の)備給に変化させることなどのことを見出した。この転換の行なわれるあいだに、不快の発展を顧慮していることはできないが、だからといって快原理は放棄されるのではない。むしろ快原理に沿うように行なわれる。拘束は快原理の支配の端緒となり、それを確実なものとする一種の準備行動なのである。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)


 【サントーム】
症状(=サントーム)とは身体の出来事のことである。…le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps (ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)

【固着】
フロイトにおいて、症状は本質的に Wiederholungszwang(反復強迫)と結びついている。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫 der Wiederholungs­zwang des unbewussten Esに存する、と。症状に結びついた症状の臍・欲動の恒常性・フロイトが Triebansprüche (欲動要求)と呼ぶものは、要求の様相におけるラカンの欲動概念化を、ある仕方で既に先取りしている。(ミレール、Le Symptôme-Charlatan、1998)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの関係が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Cours)

世界にはこういった引用をしつつゴタゴタいらぬことを書く連中ばかりだが、引用を列挙すればすむ話である。