世界も生もあまりにバラバラ!
ドイツのあの教授を訪ねてみるさ
きっと生をつなぎ合わせて
完全無穴の体系を構築してくれる
ナイトキャップと寝巻の襤褸を
世界の穴に詰め込むってわけさ
Ich will mich zum deutschen Professor begeben.
Der weiß das Leben zusammenzusetzen,
Und er macht ein verständlich System daraus;
mit seinen Nachtmützen und Schlafrockfetzen
Stopft er die Lücken des Weltenbaus.
いやあすばらしい。ナイトキャップとは寝酒のことではなかろうか、と考えたが、ヘーゲルはちゃんとナイトキャップをかぶっておられる。
とはいえ、すこしまえ「世界の闇」と訳したあの文は、すなおに「世界の夜」とすべきではなかっただろうか。
ヘーゲルの《ナイトキャップNachtmützen》に敬意を表して、《世界の夜 Nacht der Welt》に変更させていただく。
人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)
Der Mensch ist diese Nacht der Welt, dies leere Nichts, das alles in ihrer Einfachheit enthält, ein Reichtum unendlich vieler Vorstellungen, Bilder deren keines ihm gerade einfällt oder die nicht als gegenwärtige sind. Dies ist die Nacht, das Innere der Natur, das hier existiert – reines Selbst. In phantasmagorischen Vorstellungen ist es ringsum Nacht; hier schießt dann ein blutiger Kopf, dort eine andere weiße Gestalt hervor und verschwinden ebenso. Diese Nacht erblickt man, wenn man dem Menschen ins Auge blickt – in eine Nacht hinein, die furchtbar wird; es hängt die Nacht der Welt einem entgegen.(Hegel, Jenaer Realphilosophie, 1805/6)
ハイネの詩を「皮肉」とのみとらえる必要はない。
たとえばラカン派的にも世界は穴なのである。
我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」をもたらす。(ラカン、S21、19 Février 1974 )
倒錯者は、大他者の中の穴をコルク栓で埋めることに自ら奉仕する le pervers est celui qui se consacre à boucher ce trou dans l'Autre, (ラカン、S16, 26 Mars 1969)
世界の構築という欲望のためにはコルク栓というフェティシュが必要なのである!
フェティッシュとは、欲望が自らを支えるための条件である。 il faut que le fétiche soit là, qu'il est la condition dont se soutient le désir. (Lacan,S10)
ここで、倒錯やフェティシュという用語について誤解がないようにしなければならない。
倒錯とは、欲望に起こる不意の出来事ではない。すべての欲望は倒錯的であるTout désir est pervers。享楽がけっしてその場ーーいわゆる象徴秩序が欲望をそこに置きたい場のなかにないという意味で。
そしてこれが、ラカンが後に父の隠喩についてアイロニカルであった理由だ。彼は言う、父の隠喩もまた倒錯だ la métaphore paternelle est aussi une perversion、と。彼は、父の隠喩を père-version と書いた、一つのヴァージョンを徴示するため、「父へと向かう動き un mouvement vers le père」を徴示するために。(ミレール、2013,L'Autre sans Autre par JACQUES-ALAIN MILLER)
ジャック=アラン・ミレールによって提出された「見せかけ semblant」 の鍵となる定式がある、「我々は、見せかけを無を覆う機能と呼ぶ。Nous appelons semblant ce qui a fonction de voiler le rien」
これは勿論、フェティッシュとの繋がりを示している。フェティッシュは同様に空虚を隠蔽する、見せかけが無のヴェールであるように。その機能は、ヴェールの背後に隠された何かがあるという錯覚を作りだすことにある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳)