2017年7月21日金曜日

アマテラスとタカミムスの遠近法的倒錯

日本史にすこぶる無知なわたくしは、小林秀雄の『本居宣長』をようやく読むなかで、その無知を補うために(やむえず)ネット上にある古代史研究論文をいくらか眺めてみた。

たとえばこういうことも知らなかった。

………留意すべき重要な点としては、『古事記伝』成立以前において、『古事記』は『日本書紀』を読む上での参考資料の一つとしてしか扱われていなかったということが挙げられている。つまり『日本書紀』の方が圧倒的に優位にあったのである。その価値観を大きく変更させたのが『古事記伝』だったわけだ。より純粋な日本人の精神がこの書にあるという確信に基づいて、宣長はそれまでの訓読を実証的な検討によって丁寧に改めていった、そこに同書の最も大きな意義があったろう。(鈴木健一「『古事記』受容一齣」、pdf

あるいは前回も引用したが、現在の学会では次のように言われるのも知らなかった。

本来の皇祖神はアマテラスではなくタカミムスヒだったこと(溝口睦子『アマテラスの誕生』)

これを知るようになったのは、今回ではなく半年ほど前、柄谷行人の「象徴天皇制」の考え方の起源をいくらか探ろうとした中ではあるが。


溝口(『王権神話の二元構造』2000)によれば、古い皇室の皇祖神はもともとタカミムスヒであり、記紀編纂の直前の天武、あるいは持統朝といった新しい時代にアマテラスが皇祖神の地位に就いたことは学界の定説になっていると言う。

ではなぜ、タカミムスヒからアマテラスへという皇祖神の移行・転換が 7 世紀末から 8 世紀にかけて宮廷で進行したのかについて、溝口は当時の国際情勢と国内情勢との関連で次のように述べている。

7 世紀後半の日本(天智天皇~天武天皇の時代)は白村江の惨敗と朝鮮半島からの全面撤退、さらには新羅・唐の日本への侵攻の脅威といった国家存亡の危機的な状況に直面していた。こうした東アジアの緊張関係の中で、日本は古い部族的な国家体制(伴造制・国造制といわれる)から脱却して、直接に国家が全国津々浦々の人民を掌握する政治体制の確立に迫られていた。大化の改新以降、中国(黄河文明)文化が流入していた当時の日本は、天武・持統天皇の時代に急速に唐の政治制度や思想を取り入れて律令天皇制を作りあげた。天武・持統朝の政治大改革の中で天皇家の守護神・皇祖神の変更が行なわれたと溝口は言う。

タカミムスヒは天皇家に直属する伴造系という氏にのみ親しまれ信奉された男性神であり、一般には馴染みの薄い旧体制の党派的色彩の強い朝鮮由来の新来のカミだった。それに比して、アマテラスはタカミムスヒより古く、南方的な海洋的・水平的世界観をもつ農耕的な太陽神(女性神)だった。アマテラス神話群はイザナキ・イザナミ、アマテラス・スナノヲなど豊かな内容を有しており、それは皇室と一体であった伴造系ではなく、地域に基盤をもち、半独立的な存在であった臣系・国造系の氏の神話と祖先神だった。天武・持統朝は臣系・国造系の氏の協力を得て全国統一の達成という大改革を成し遂げるためにも、宗教改革(神話改革)政策として、アマテラスをタカミムスヒと並立・融合させて新しい神祇信仰(天神・地祇)の中心の国家神に据えようとしたのである。つまり、天神としてのタカミムスヒと地祇としてのアマテラスの融合である。こうした政治的配慮のもとに、もともと全く異質な世界観を持った二つの神話群(ムスヒ系神話群とイザナキ・イザナミ系神話群)が記紀神話の中で接合された (長山恵一「精神構造」論としての天皇制 -赤坂憲雄の天皇制論の整理・検証を通して-、2016、PDF)

というわけだが、こう記して何がいいたいわけでもない。これらは基本的にイデオロギー的な「神の名」選択の話であり、そのうちまた見解が変わるかもしれない、と思いつつ読むだけである。

1884年生れのニーチェ、文献学者として出発したニーチェは、24歳のときすでにこう言っている。

歴史とは、 それぞれの存立を賭けた無限に多様で無数の利害関心(Interessen)相互の闘争でないとしたら、一体何であろうか (Nietzsche, Nachgelassene Aufzeichnungen , Herbst 1867-Frühjahr 1868)

そして実質上最晩年のニーチェの草稿(1886/87)はこうである。

現象 Phänomenen に立ちどまったままで「あるのはただ事実のみ es giebt nur Thatsachen」と主張する実証主義 Positivismus に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ nein, gerade Thatsachen giebt es nicht, nur Interpretationenと。私たちはいかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理であろらう。

「すべてのものは主観的である Es ist Alles subjektiv」と君たちは言う。しかしこのことがすでに解釈なのである。「主観 Subjekt」は、なんらあたえられたものではなく、何か仮構し加えられたもの、背後へと挿入されたものである。---解釈の背後になお解釈者を立てることが、結局は必要なのであろうか? すでにこのことが、仮構であり、仮説である。

総じて「認識 Erkenntniß」という言葉が意味をもつかぎり、世界は認識されうるものである。しかし、世界は別様にも解釈されうるのであり、それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、かえって無数の意味をもっている。---「遠近法主義 Perspektivismus」  

世界を解釈するもの、それは私たちの欲求 Bedürfnisse である、私たちの衝動 Trieb とこのものの賛否である。いずれの衝動も一種の支配欲 Jeder Trieb ist eine Art Herrschsucht であり、いずれもがその遠近法 Perspektive をもっており、このおのれの遠近法を規範としてその他すべての衝動に強制したがっているのである。(ニーチェ『権力への意志』)

なにはともあれ《本来の皇祖神はアマテラスではなくタカミムスヒ》との見解は、伊勢神宮に祀られている天皇イデオロギーの象徴「アマテラス」ーー《皇祖神(アマテラス)=天つ神 =祀られると同時に祀る神》(赤坂憲雄)--を相対化する功績があるのはたしかである。

ニーチェの考えるような歴史的感覚は、自らがある視点 perspectif を持つことを知っており、自らに固有の不公正さの体系を拒否しはしない。歴史的感覚は、評価し、イエスかノーを言い、毒のあらゆる痕跡をたどり、最良の解毒剤を見つけ出そうという断固とした意図 (propos)をもって、特定の角度から眺めるのである。(フーコー「ニーチェ、系譜学、歴史 Nietzsche, la généalogie, l'histoire」、1971年)