◆加藤周一、1975年より
「人のまことの心の奥のくまぐまを探りてみれば、みなただ、めめしくはかなきことの多かるものなるを、ををしくさかしげなるは、みずから省みて、もてつけ守りたるものにして、人に語るときなどには、いよいよ選びてよさにうはべを飾りてこそものすれ、ありのままにはうちいです……」(『源氏物語玉の小櫛』」
これはおそらく徳川時代を通じてもっとも鋭い社会心理学的洞察であり、日本人の精神における「うはべ」と「心の奥」、たてまえとほんね、意識的な価値と無意識的な心理的傾向、外来の「イデオロギー」と伝統的な世界観との関係を、はじめて明瞭に示した文章である。彼の思想はここでこそもっとも深く、もっとも正確であり、もっとも遠く彼自身の時代を超えていた。
しかしその後の国学者が継承したのは、文献学的方法の技術的な面を別にすれば、宣長の体系の弱点である。その弱点は二つあった。一つは、神話と歴史との混同であり(したがって天皇制の神秘化)、もう一つは、文化の特殊性と思想の普遍性との混同である(したがってこじつけの著しいナショナリズム)。
◆加藤周一、1988年
今さらいうまでもなく、宣長の古代日本語研究が、その緻密な実証性において画期的であるのに対し、その同じ学者が、上田秋成も指摘したように、粗雑で狂信的な排外的国家主義を唱えたのは、何故かということである。(加藤周一「宣長、ハィデッガ・ワノレトハイム」1988年「夕陽妄語」)
◆加藤周一、2000年
「本居宣長」は(小林の)最後の大作だけれども、あそこで逃げていることが二つある。 一つは、宣長の大学者としての面と、極端なナショナリストでデマに近いことを口走っていることの矛盾を採りあげて説明しようとしていないこと。
もう一つはお墓です。宣長が遺言してつくらせた墓は、一つは仏教寺院に、もう一つは神道式の墓がある。あれだけ神道を称揚し、仏教、儒教を排していた宣長が、なぜ仏教のお寺に祀られて、同時に神道の墓を別につくっているのか。小林さんはそれを両墓制を用いて説明している。しかし、それは間違っている。両墓制というのは、沖縄などにある古代神道の墓で、二段になっているもの。しばらく死者が留まるところと永久に行くところの二つの墓がある。両墓制というのは神道の中での二つの墓のシステムである。だから両墓制で説明することは全々意味をなさない。
(……)小林さんの主観主義の結論の一つは一流主義です。例えば、宣長は一流の歴史家だという。小林さんはマルクス主義が嫌いだったから、マルクス主義の歴史家が書いたものについては「あんなものは歴史ではない」となる。では、新井白石はどうなのか、あるいは、「神皇正統記」の北畠親房、「愚管抄」の慈円はどうなのかとなると、みんな歴史家です。人からもらった議論をあてはめて、利口そうなことを書くような疑似歴史家とは全然違うと、小林さんはいう。それはそうだ。だけど白石と宣長とどこがどう違うかということは、小林さんの言説からは出てこない。(加藤周一「私にとっての20世紀」2000年)
ーー問題はそこではないのですよ、問題は、宣長が極端なナショナリストに与することなしに、最も偉大な古事記学者になり得たかどうかということなのです。
私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ)
これはもちろん折口信夫にたいしても言える。折口は敗戦に直面して、「神 やぶれたまふ」といった。神が敗れたのは、それを祭る者たちが、《宗教的な生活をせず、我々の行為が神に対する情熱を無視し、神を汚したから神の威力が発揮出来なかった》(「神道宗教化の意義」)と。
◆斎藤英喜「折口信夫の可能性へーーたたり・アマテラス・既存者をめぐって」2017年より
折口は、人間の系図から独立した「高皇産霊神・神皇産霊神」を「この神の力によつて生命が活動し、万物が出来て来る。だからその神は天地の外に分離して、超越して表れてゐる」(「神道宗教化の意義」)という超越神、創造神と解釈していく。すなわち「神をつくる神、それから分化した人をつくる神は、それが我々の生命をこの世に齎したことになり、それが高産霊神・神産霊神であらう………」(同、前)というのである。
もちろん『古事記』『日本書紀』の原文には、タカミムスヒ・カムムスヒは「天地初発の時」に「高天原」に生成した神とあり、両神が天地を超越し、創造を担う神とは書かれていない。折口の言説は、『記』『紀』からの逸脱、過剰な解釈ということになろう。けれども折口のムスビ神の解釈は、じつは本居宣長の『古事記伝』の「さて世間に有とあることは、此天地を始めて、万の物も事業(コト)も悉に皆、此二柱の産巣日大御神の産霊(ムスビ)に資(ヨリ)て成出るものなり」(三之巻)を継承したものであったのだ。
宣長の『古事記伝』といえば、『古事記』を精密に読み解いた、近代文献学の先駆とされてきた。しかし、実際のところ、『古事記伝』の注釈は、『古事記』原典を逸脱して、過剰に意味づけしていくところが少なくない。とくに『古事記』原文を超えて、タカミムシヒ・カムムスヒを、天地を始めとして、万物の創成にかかわる超越神、創造神とする解釈は、そのもっとも顕著な例である。「産巣日大御神の産霊」という「一神」の霊力が天地・万物・人間を生成させる、というわけだ。折口のムスビ論は、宣長を踏まえていることはあきらかであろう。(斎藤英喜「折口信夫の可能性へーーたたり・アマテラス・既存者をめぐって」pdf)
過剰に意味づけしていくのは、たとえばハイデガーのヘルダーリン解釈と相同的である。「植民地を、そして勇敢な忘却を精神は愛する」(ヘルダーリン)→「より深く母国を愛するために娘の国としての植民地を愛する」(ハイデガー)
私の深い不信は、ハイデガーのようなパセティックなスタイルだ。私には物事を俗化させたい純然たる強迫がある。その俗化とは、物事を単純化するという意味ではなく、〈物 das Ding〉へのパセティックな同一化を崩壊させたいという意味である。だから私は、最も高級な理論から、最も低劣な事例に、唐突に飛ぶのを好むのだ。(『ジジェク自身によるジジェク』私訳)
ハイデガー、本居宣長、折口信夫、小林秀雄という教祖たち・・・
あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。(坂口安吾「教祖の文学)
もっともモダニスト加藤周一にさえ「教祖のにおい」を嗅ぎとる人がいてもまったくおかしくない。