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2017年8月1日火曜日

神事としてのお盆

私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。(柳田国男『先祖の話』)

…………

お盆は、仏事だろうか、それとも神事だろうか。

次のような説明がある。

お盆については、多くの方が仏教の行事と考えているようですが、元来は日本固有の先祖祀りがもとになっています。

ところが、江戸時代に入り、幕府が檀家制度により、庶民の祖先供養まで仏式でおこなうよう強制したため、お盆も仏教の行事と誤解され、現在に至っているのです。

神道の家庭でも、お盆の期間中は、自宅の祖霊舎を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃ってご先祖様をお祀りします。

我が国では、古くから神祀りとともに、ご先祖様の御霊をお祀りする祖霊祭祀がおこなわれ、神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしてきました。この神とは、自らと繋がりのあるご先祖様が徐々に昇華して神となったご存在なのです。(……)

仏教が伝来すると、盂蘭盆会の行事が諸寺院でおこなわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心でしたが、その後、我が国の祖霊祭祀と結びついて、ご先祖様を祀る「お盆」となりました。(「神道いろは」神社新報社

ははあ、そうなのか。もうすこし柳田国男を探ってみよう。冒頭にかかげた『先祖の話』にお盆の話が詳しいそうだが、わたくしの手許にはモチロンなく、青空文庫にもこの名著はまだ上がっていない。いまは別の論から。

我々の祭の日の中で、一ばん全国的なものは盆の魂祭であろう。これは早くから仏寺の管掌に属し、従って仏教によって解釈せられ、国の祭日からは除外せられていたが、それはただ一部の変化に止まり、事実はこれもまためでたい節供であり、人が集ってイワウ日であったことは、かなりはっきりと私は証明することが出来る。日本の東半分では、今でも盆の魂祭に対して、暮にもう一度ミタマ祭というのがあり、この方は全く仏教との交渉がなく、清らかな米の飯を調じて、祖霊に供しまた自分たちもこれに参与する。ただ荒御霊と称して新たに世を去った霊魂のために、特別の作法がある点だけが、盆祭とよく似ている。つまりは盆の行事は、この方に力を傾け過ぎていたのである。(柳田国男「年中行事覚書」)

というわけでお盆とは、起源は仏教ではなく、神にかかわる。これも言われてみれば当然である。仏教が入ってくる前には神しかいなかったのであり、その前にも人は死んでいるのだから。

柳田国男の弟子にあたる折口信夫は、「まれびと」のひとであり、師匠の柳田のようには祖先の霊魂(タマ)のみを強調することはない(折口曰く神観念は三つある、「霊魂を神とする観念」、「霊魂を内にそなえた神の観念」、「鎮魂呪術を行う呪術者を神とする観念」)。だがこの二人の見解の相違はさておき、お盆の起源が神祭りであるということについては一致している。

盆の祭り(仮りに祭りと言うて置く)は、世間では、死んだ聖霊を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死霊の区別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。生きた魂を取扱ふ生きみたまの祭りと、死霊を扱ふ死にみたまの祭りとの二つが、盆の祭りなのだ。

盆は普通、霊魂の游離する時期だと考へられて居るが、これは諾はれない事である。日本人の考へでは、魂を招き寄せる時期と言ふのがほんとうで、人間の体の中へ其魂を入れて、不要なものには、帰つて貰ふのである。此が仏教伝来の魂祭りの思想と合して、合理化せられて出来たものが、盆の聖霊会である。

七夕の祭りと、盆の祭りとは、区別がない。時期から言うても、七夕が済めば、すぐ死霊の来る盆の前の生魂の祭りである。現今の人々は、魂祭りと言へば、すぐさま陰惨な空気を考へる様であるが、吾々の国の古風では、此は、陰惨な時ではなくして、非常に明るい時期であつた。(折口信夫「盆踊りの話」)