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2017年9月28日木曜日

あれがタマシヒであることを知った

「今日着てきたコートも武満のものですよ。体形がぴったりだから」(谷川俊太郎、2014.12.03

ーーいやあ、ちょっとグッときてしまうな



飲んでるんだろうね今夜もどこかで
氷がグラスにあたる音が聞える
きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ
ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに
それをまぎらわす方法は別々だな
きみは女房をなぐるかい?

ーー谷川俊太郎「武満徹に」

(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』所収)


◆武満徹「そして、それが風であることを知った」2-1





And then I knew 'twas Wind   Emily Dickinson

  Like Rain it sounded till it curved
  And then I knew 'twas Wind -
  It walked as wet as any Wave
  But swept as dry as sand -
  When it had pushed itself away
  To some remotest Plain
  A coming as of Hosts was heard
  That was indeed the Rain -
  It filled the Wells, it pleased the Pools
  it warbled in the Road -
  It pulled the spigot from the Hills
  And let the Floods abroad -
  It loosened acres, lifted seas
  The sites of Centres stirred
  Then like Elijah rode away
  Upon a Wheel of Cloud.


こうして、あれがタマシヒであることを知った


タマシヒのこの世での故郷は音楽
耳に聞こえる音が描く見えない地平を越えて
タマシヒは帰ってゆく
どこまで帰るのだろうとヒトは訝る

…………

音楽が曲の終りでディミヌエンドして
だんだん音がかすかになっていって
静けさに溶け入ってゆくときの
言葉がとうに尽きてしまった
絶え入るような世界の感触

私の耳で
タマシヒが
まどろんでいる

ーー谷川俊太郎『おやすみ神たち』より

……葬儀に帰られたKさんと総領事が、伊東静雄の『鶯』という詩をめぐって話していられた。それを脇で聞いて、私も読んでみる気になったのです。〈(私の魂)といふことは言へない/しかも(私の魂)は記憶する〉

天上であれ、森の高みであれ、人間世界を越えた所から降りてきたものが、私たちの魂を楽器のように鳴らす。私の魂は記憶する。それが魂による創造だ、ということのようでした。いま思えば、夢についてさらにこれは真実ではないでしょうか?

私の魂が本当に独創的なことを創造しうる、というのではない。しかし私たちを越えた高みから夢が舞いおりて、私の魂を楽器のようにかきならす。その歌を私の魂は記憶する。初めそれは明確な意味とともにあるが、しだいに理解したことは稀薄になってゆく。しかしその影響のなかで、この世界に私たちは生きている……  すべて夢の力はこのように働くのではないでしょうか? ………(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第三部)

耀かしかつた短い日のことを
ひとびとは歌ふ
(……)
私はうたはない
短かかつた耀かしい日のことを
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ

ーー伊東静雄『反響』「わがひとに與ふる哀歌」所収