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2017年9月10日日曜日

完全と美の絶対の理想

いやあきみ! どっちがいいというのは「分析的批評」では処理できないはずだよ

たとえばバッハとベートーヴェンやモーツァルトがどっちがいいかってのはね。

わたくしは若いころたまたまバッハのほうがいい、というイデオロギーに染まってしまっただけさ

・これまでの 80年間、私は毎日毎日、その日を、同じように始めてきた。ピアノで、バッハの平均律から、プレリュードとフーガを、 2曲ずつ弾く。

・Schumann シューマン、Mozart モーツァルト、Schubert シューベルト・・・Beethoven ベートーヴェンですら、私にとって、一日を始めるには、物足りない。Bach バッハでなくては。

どうして、と聞かれても困るが。完全で平静なるものが、必要なのだ。そして、完全と美の絶対の理想を、感じさせるくれるのは、私には、バッハしかない(パブロ・カザルス 鳥の歌 ジュリアン・ロイド・ウェッバー編

 「完全と美の絶対の理想」をたとえばバルトークの子供のための作品から、しかも無名の演奏家の演奏で聴く人がいたっていいんじゃないか。

◆Béla BARTÓK: For Children No. 3, Sz. 42



◆Béla BARTÓK: For Children No. 7, Sz. 42




漂い移りゆく響きの雲は 軽くほとんど重みのない指先と 響きの余韻が消えた後の 何もない空間の奥行きがなければ 表面的で暴力的なノイズになってしまう 制御できないほどの複雑さと疲れ切ってからだがうごかなくなった時の力がぬけていく感じ その時やっと重力から解放されて 静けさでもうごきでもない何かが現れる そんな瞬間があった(ピアノを弾く、高橋悠治)

◆Béla Bartók plays Bartók "For Children"