ーーいやあ、何度眺めても、こよなく美しい。
あなたの口は「いや」という、あなたの声とあなたの眼は、もっと優しい一言を、もっと上手に語っている
Votre bouche dit non,votre voix et vos yeux disent un mot plus doux,et disent bien mieux(Andre Chenier)
ーーあなたの心は「いや」という、あなたの魂としての軀は、もっと優しい一言を、 もっと上手に語っている。
……それにしても、アルベルチーヌのなかで生きていたのは、私にとっては、一日のおわりの海だけではなかった、それはまた、ときには、月夜の砂浜にまどろんでいる海だった。(プルースト『囚われの女』)
あれは横たわる女ではない。まどろむ海である。
マラルメは踊り子について、踊り子が踊る女であるというのは間違いであって、踊り子は女ではなく、また踊るのでもないと言っている。(ヴァレリー『ドガに就いて』)
ヴィスコンティの遺作「イノセント」にも、ラウラ・アントネッリ Laura Antonelli による海があらわれる。
いや海というより海の精、水母というべきかもしれない。
水母はその幾つも重なった裾に急激に波を打たせ、それを何回となく、異様な、みだらな執拗さを以て上下するのを繰返しつつ、遂にはエロスの夢と変ずる。と、突然、振動するひだ飾りと、切り取られた唇のごとき衣装のすべてをかなぐり棄てて、逆立ちをし、彼女自身を狂おしいばかりに剥きだしに示す。(ヴァレリー『ドガに就いて』)
夏の回廊を一廻りして
くらげばかりの夜の海へ
半分溺れたまま
ぼくらの頭
光らぬものを繁殖する
ーー吉岡実「静物」