ああ、その「女性の享楽」ってほとんどこの類じゃないだろうか?
ーーってわけじゃないか、女性の神秘化だよ。ボクはそれだけは避けなくちゃいけない、とずっと考えてきた(すこしまえまではそればかり記していたような気がする)。
ようするに二十世紀後半の、ある意味で二流三流の「詩的で曖昧な作家たち」(デリダまわりのフェミニストも含む)の寝言・戯言に依拠するのだけは。
人は女を深いとみなしているーーなぜか? 女の場合にはけっして浅瀬に乗りあげることはないからである。女はまだ浅くさえないのである。(ニーチェ『偶像の黄昏』 「箴言と矢」27番、1888年)
女は、見せかけ semblant に関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! (Lacan、S18, 20 Janvier 1971)
このところ記しているのは、これから逃れる女性の享楽があるとしたら何か、だ。それは主にジャック=アラン・ミレールとコレット・ソレールの二人に依拠している。
ま、でもそれぞれ自由なのだから、そしてその自由さから新しい観点が出てくるのだろうから、とくに文句はいうつもりはない。ボクは到底その立場をいまのところ取ることはできないというだけだ。