わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
「アリアドネが何であるか was Ariadne ist!」は、当初は 「Wer Ariadne ist(アリアドネは誰であるか)」であったが、最終的に「was Ariadne ist! (何であるか)」に変えられている(フロイトの Es の起源であるグロデックによる)。
「アリアドネ」とディオニュソスが言った。「おまえが迷宮だ。」Ariadne, sagte Dionysos, du bist ein Labyrinth: (ニーチェ遺稿、1887年)
迷宮の人間は、決して真理を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ。Ein labyrinthischer Mensch sucht niemals die Wahrheit, sondern immer nur seine Ariadne –(ニーチェ遺稿1882-1883)
「迷宮」(Labyrinth)とは、「内耳」(Labyrinth)のことでもある。
賢くあれ、アリアドネ Ariadne!……
そなたは小さき耳 kleine Ohren をもつ、
そなたはわが耳 meine Ohren をもつ。
一つの賢き言葉を汝が耳に納めよ!
ひともし愛し合うべきなれば、先ずもって憎み合うべきにあらずや?……
われは汝が迷宮なり Ich bin dein Labyrinth.
(ニーチェ『アリアドネの嘆き』Klage der Ariadne)
アリアドネとは内耳の声である。内耳の声とは、「恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrin」の声である。
何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。
きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrinの名だ。
……そのとき、声なき声 ohne Stimme がわたしに語った。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ: 」--
このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。しかしわたしは黙ったままだった。
「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」--
………「嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足Taubenfüssenで歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。
おお、ツァラトゥストラよ、おまえは、来らざるをえない者の影として歩まねばならぬ。」
……「わたしは欲しない」
と、わたしのまわりに笑い声が起こった。ああ、なんとその笑い声がわたしのはらわたをかきむしり、わたしの心臓をずたずたにしたことだろう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)
死の直前のデリダは、アリアドネが内耳の声であることを悟った(参照:先史時代人と母との遭遇)
鳩が横ぎる。ツァラトゥストラの第二部のまさに最後で。「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」。
最も静かな時刻は語る。私に語る。私に向けて。それは私自身である。私の時間。私の耳のなかでささやく。それは、私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi。私のなかの他者の声のようにcomme la voix de l'autre en moi。他者の私の声のように comme ma voix de l'autre。
そしてその名、この最も静かな時刻の名は、《わたしの恐ろしい女の主人》である。
……今われわれはどこにいるのか? あれは鳩のようではない…とりわけ鳩の足ではない。そうではなく「狼の足で à pas de loup」だ…(デリダ、2004、Le souverain bien – ou l’Europe en mal de souveraineté La conférence de Strasbourg 8 juin 2004 JACQUES DERRIDA)
このデリダの注釈には、ラカンの「外密 extimité」がある。《私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi。私のなかの他者の声のようにcomme la voix de l'autre en moi。他者の私の声のように comme ma voix de l'autre》。
親密な外部、この外密 extimitéが「物 das Ding」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)
このセミネール7の段階では、ラカンはこう云っている、《(フロイトの)物 das Dingとは、至高善 Souverain Bien である。物は、近親相姦の対象l'objet de l'incesteである母la mèreであり、禁じられた善 bien interdit、これ以外のどんな善もない。》(ラカン、S7)
後期には近親相姦としての母への言及は消滅するが、とはいえ後々までも次のように語っている。
quoad matrem(母として)、すなわち《女 la femme》は、性関係において、母としてのみ機能する。…quoad matrem, c'est-à-dire que « la femme » n'entrera en fonction dans le rapport sexuel qu'en tant que « la mère ». (ラカン、S20、09 Janvier 1973)
さて外密への言及に戻る。
私たちのもっとも近くにあるもの le plus prochain が、私たちのまったくの外部 extérieur にある。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきだろう。(ラカン、セミネール16、12 Mars 1969)
対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)
外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité)
これは原穴の名でもある。《対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel 》(ラカン、S18, 27 Novembre 1968)
〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネールーー「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」)
この穴 trou は「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」(ラカン、S21、19 Février 1974)である。
内耳の声とは、魂の声でもある。異物としての身体の声でもある(参照:ひとりの女とは何か?)。
アリアドネは、アニマ、魂である。 Ariane est l'Anima, l'Ame(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)
愛される者は、ひとつのシーニュ、《魂》として現れる。 L'être aimé apparaît comme un signe, une « âme»(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
人は愛するとき、迷宮を彷徨う。愛は迷宮的である。愛の道のなかで、人は途方に暮れる。…(Les labyrinthes de l'amour' 、Jacques-Alain Miller、1992、pdf)
「女のことをする」あるいは「愛することをする」の底には、「魂のことをする」があるのは、日本古代の文脈で、折口信夫がすでに記している。
こゝに予め、説かねばならぬ一つは、恋愛を意味するこひなる語である。
こひは魂乞ひの義であり、而もその乞ひ自体が、相手の合意を強ひて、その所有する魂を迎へようとするにあるらしい。玉劔を受領する時の動作に、「乞ひ度(わた)す」と謂つた用語例もある。領巾・袖をふるのも、霊ごひの為である。又、仮死者の魂を山深く覓め行くのも、こひである。魂を迎へることがこひであり、其次第に分化して、男女の間に限られたのが恋ひであると考へてゐる。うたがきの形式としての魂ごひの歌が、「恋ひ歌」であり、同時に、相聞歌である。(折口信夫「日本文学の発生」)
折口の「たましひ」とは?
我々の古代人は、近代に於いて考へられた様に、たましひは、肉體内に常在して居るものだとは思って居なかった様である。少なくとも肉體は、たましひの一時的假りの宿りだと考へて居たのは事実だと言へる。・・・
人間のたましひは、いつでも、外からやって來て肉體に宿ると考へて居た。そして、その宿った瞬間から、そのたましひの持つだけの威力を、宿られた人が持つ事になる。又、これが、その身體から遊離し去ると、それに伴ふ威力も落としてしまふ事になる。(折口信夫「原始信仰」)
ラカンの現実界、《現実界は外立するLe Réel ex-siste》(S22)の外立ex-sistenceとは、ハイデガー起源の用語であり、「エク・スターシス ek-stasis (自身の外へ出る)」「エクスターティッシュ・オッフェン ekstatisch offen(エクスタシー的開け)」である。
ラカンは 《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(ラカン、S22) とも言っているが、神とは女のことである。
⋯一般的に人が神と呼ぶもの。だが精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 La femme 》だということである。
on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme »(ラカン、S23、16 Mars 1976)
次の文は折口の「神のたたり」「魂の外立」「女のたたり」にかかわると扱いうる「たたり」である。
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ラカンの「女性の享楽」における「女性」について、通常、生物学的「女性」とは関係がないとされるが(参照)、もし生物学的な意味があるとする立場にたつとしたら、なによりもまず「原母」にかかわる(あるいは母の言霊にかかわる[参照:ララングという母の言霊])。
・後代の人々の考へに能はぬ事は、神が忽然幽界から物を人間の前に表す事である。
・たゝると言ふ語は、記紀既に祟の字を宛てゝゐるから奈良朝に既に神の咎め・神の禍など言ふ意義が含まれて来てゐたものと見える。其にも拘らず、古いものから平安の初めにかけて、後代とは大分違うた用語例を持つてゐる。最古い意義は神意が現れると言ふところにある。
・たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。
・此序に言ふべきは、たゝふと言ふ語である。讃ふの意義を持つて来る道筋には、円満を予祝する表現をすると言ふ内容があつたのだとばかりもきめられない事である。「たつ」が語原として語根「ふ」をとつて、「たゝふ」と言ふ語が出来、「神意が現れる」「神意を現す様にする」「予祝する」など言ふ風に意義が転化して行つたものとも見られる。さう見ると、此から述べる「ほむ」と均しく、「たゝふ」が讃美の義を持つて来た道筋が知れる。だから、必しも「湛ふ」から来たものとは言へないのである。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』)
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ラカンの「女性の享楽」における「女性」について、通常、生物学的「女性」とは関係がないとされるが(参照)、もし生物学的な意味があるとする立場にたつとしたら、なによりもまず「原母」にかかわる(あるいは母の言霊にかかわる[参照:ララングという母の言霊])。
フロイトの新たな洞察を要約する鍵となる三つの概念、「原抑圧 Urverdrängung」「原幻想 Urphantasien(原光景 Urszene)」「原父 Urvater」。
だがこの系列(セリー)は不完全であり、その遺漏は彼に袋小路をもたらした。この系列は、二つの用語を補うことにより完成する。「原去勢 Urkastration」と「原母 Urmutter」である。
フロイトは最後の諸論文にて、躊躇しつつこの歩みを進めた。「原母」は『モーセと一神教 』(1938)にて暗示的な形式化がなされている(「偉大な母なる神 große Muttergotthei」)。「原去勢」は、『防衛過程における自我分裂 Die Ichspaltung im Abwehrvorgang』 (1938)にて、形式化の瀬戸際に至っている。「原女主人 Urherrin」としての死が、最後の仕上げを妨げた。(ポール・バーハウ1999, Paul Verhaeghe, Does the Woman exist?)
ラカンは「神の外立 l'ex-sistence de Dieu」と云うとともに「原抑圧の外立 l'ex-sistence de l'Urverdrängt」(S22)とも云っているが、原抑圧の外立とは、実質上、原固着の外立である。
…われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心的(表象-)代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。すなわち、その代理はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束 binden される。(フロイト『抑圧』1915年)
この原固着によって置き残されたもの、それがラカンの女であり、フロイトの原母である。
実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisseが、欲動の固着 Fixierungen der Libido 点を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』第23章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」、1916-1917)
原抑圧の外立 l'ex-sistence de l'Urverdrängt」とは「母の徴のたたり」(参照:サントームSinthome = 原固着Urfixierung →「母の徴」)であり、「原母の外立」、「原母のたたり」なのである。それがニーチェのトラウマ的「おそろしき女主人」のたたりである。
身体の出来事は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。événement de corps…est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard
…この享楽は、固着の対象である。elle est l'objet d'une fixation
…女性の享楽は、純粋な身体の出来事である。la jouissance féminine est un pur événement de corps ジャック=アラン・ミレール 、Miller, dans son Cours L'Être et l'Un 、2011)
「原母のたたり」とは、ようするに、トラウマ的現実界のレミニサンスである。
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスréminiscenceと呼ぶものに思いを馳せることによって。(ラカン、S23, 13 Avril 1976ーー女性の享楽とトラウマ神経症)
⋯⋯⋯⋯
以上、ひどく独断的にーーしかも厳密さを期さずにーー記したが、これがわたくしの今のところの結論である。
いやあ「結論」というのか、むしろボクは幸運にも、ただ耳に聞いたのである・・・侯孝賢の「樟のざわめき」のおかげである・・・(「樟がざわめく古い屋敷」) そしてその向こうには小津がいる(侯孝賢「黃金之弦」と小津安二郎「晩春」)。
実際、インスピレーションに打たれたとき、自分は圧倒的に強い威力の単なる化身、単なる口舌、単なる媒体にすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることはできまい。啓示という言葉があるが、突然、名状しがたい確かさと精妙さで、人を心の奥底から揺り動かし、それに衝撃を与える或るものが、見えてくる、きこえてくる。…人は探すのではなく、ただ耳に聞くのである。誰が与えてくれるのかを問わず、ただ受けとるのである。稲妻のように、ひとつの思想がひらめく、必然の力をもって、ためらいのない形式で。ーーそのときわたしは、一度として選択したことがない。それは一つの恍惚状態 entzücken である。その凄まじい緊張はときに解けて涙の流れとなり、それに襲われれば足の運びは、思わず、あるいは急激になり、あるいはゆるやかになる。完全な忘我 vollkommnes Ausser-sich-sein の中にありながら、爪先にまで行きわたる無数の微妙なおののきが明確に意識されている。その幸福の深みにあっては、最大の苦痛も暗い思いも、さまたげとならず、その反対に、その幸福の前提として、それを引き立たせるべく呼び出されたものとして、またこのように充ち溢れた光明のなかで《なくてはならない》一つの色どりとしての働きをするのである。それはリズミカルな性格をもつ一つの本能であって、それが広い形相の世界をおおい包むのであるーーその持続性、大きくひろがるリズムに対する欲求が、ほとんどインスピレーションの力をはかる尺度であり、その圧力と緊張とに対抗する一種の調節となるのである。(ニーチェ『この人を見よ』)
ああ、偉大なるニーチェの教え!
ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。
Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden." (フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 1908年 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung)
ニーチェについていえば、彼の予見と洞察とは、精神分析が骨を折って得た成果と驚くほどよく合致する人であるが、いわばそれだからこそ、それまで,長い間避けていたのだった。(フロイト『自己を語る』1925年)