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2018年2月28日水曜日

出奔した女

Jean-Luc Godard / Anna Karina documentaryより

上にある「映画を作ることは恋に陥ることである」とは、(正確に)ゴダールがそう言ったのかどうなのかは分からない。だが実際にそうだろう、すくなくともゴダールの場合(さらに言えば、女に惚れるために「のみ」人生をやっているボクのような男もいるさ)。

ゴダールとアンナ・カリーナは、『小さな兵隊 Le Petit Soldat』を撮ったあとの、1961年に結婚している。

⋯⋯⋯⋯

・勝手にしやがれ À bout de souffle (1960年)

ーーゴダールはアンナにベルモンドの昔の愛人役を依頼するがヌードになるという条件だったのでアンナはきっぱり断る。

・小さな兵隊 Le Petit Soldat (1960年完成、1963年公開)




・女は女である Une femme est une femme (1961年)




・女と男のいる舗道 Vivre sa vie. Film en douze tableaux (1962年)




・カラビニエ Les Carabiniers (1963年)
・軽蔑 Le Mépris (1963年)
・はなればなれに Bande à part (1964年)




・恋人のいる時間 Une femme mariée. Fragments d’un film tourné en 1964 (1964年)
・アルファヴィル Alphaville, une étrange aventure de Lemmy Caution (1965年)



気狂いピエロ Pierrot le fou (1965年)



・男性・女性 Masculin féminin (1966年)
・メイド・イン・USA Made in USA (1966年)



・愛すべき女・女たち 未来展望
Le Plus vieux métier du monde: Anticipation ou l'amour en l'an 2000(1967年)

ーーゴダール撮影のアンナ最後の作品




『軽蔑』(1963年)’あたりで、すでに離婚の芽があったようだ


この1963年当時、ゴダールは、《私の映画は、男と女のあいだの誤解の歴史です Mon film c’est l’his­toire d’un malen­tendu entre un homme et une femme.》とカンヌで言っている

惚れた女を撮り続けようとしたら、(基本的には)結婚したらダメなんだろうよ

すこし前方に、べつの一人の小娘が自転車のそばにひざをついてその自転車をなおしていた。修理をおえるとその若い走者は自転車に乗ったが、男がするようなまたがりかたはしなかった。一瞬自転車がゆれた、するとその若いからだから帆か大きなつばさかがひろがったように思われるのだった、そしてやがて私たちはその女の子がコースを追って全速力で遠ざかるのを見た、なかばは人、なかばは鳥、天使か妖精かとばかりに。(⋯⋯)

それらの鳥たちはいままたこの世界の美をつくりだしていた。それらの鳥たちはかつてはアルベルチーヌの美をつくりだしていたのであった。かつては私は彼女をそんな神秘な鳥のように見ていたのだ、ついで私は彼女をこの浜辺の大女優、みんなの欲望に訴える女、もしかすると誰かのものになっている女のように見たのだ。だからこそ彼女をすばらしい女だと感じたのであった。ある夕方堤防の道をゆったりした足どりであゆんでいるのを私が見かけた鳥、どこからきたかわからない鷗のようなほかの少女たちの団結にとりかこまれていた鳥、あのアルベルチーヌも、ひとたび私のところで囚われの身になると、そのつばさの玉虫色をことごとく失うとともに、ほかの者たちが彼女をわがものにする機会をもことごとく失ってしまったのだ。彼女はすこしずつその美を失ってしまったのだ。私が彼女を浜辺のかがやきのなかにもどしてその姿をふたたび目に見るためには、彼女がその種の散歩に私にではなく誰かほかの女なり若い男なりに言葉をかけられているのを私が想像する必要があった。(プルースト「囚われの女」) 

離婚後の作品(1965年~)で、ゴダールは(すくなくとも一時的には)惚れ直したのかもしれない。


出奔した女は、いままでここにいた女とはおなじ女ではもはやなくなっている。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)