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2018年2月8日木曜日

防衛の一種としての抑圧

フロイトは、抑圧 refoulement は禁圧 répression に由来するとは言っていません Freud n'a pas dit que le refoulement provienne de la répression (ラカン、テレヴィジョン、1973年、向井雅明訳)

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「抑圧 Verdrängung」とはじつに曖昧模糊とした言葉である(巷間の「フロイトはやわかり」のたぐいの概説書を読むといっそう分からなくなるので要注意。もちろん賢明なる諸氏は、わたくしの記すたぐいのブログ記事などケッシテ読ンデハナラヌ)。

なにはともあれ「抑圧」には圧するという意味はない、というのがマトモな注釈者による定説であり「常識」である。だが世界には「常識」は通用せず、誤謬としての古臭い固定観念ばかりが流通するのはヨク知ラレテイル、「まぁ、世界とはその程度のものです」(蓮實重彦)

日本では従来 Verdrängung は「抑圧」と訳されるが、ドイツ語の語感からは「抑圧」ではなしに「追放」とか「放逐」が正しく、「抑圧」はむしろUnterdrückung(かりに上では「抑制」と訳したところの)に当る訳語である。(フロイト『夢判断』下 高橋義孝訳 註 新潮文庫p379)
中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。(中野幹三「分裂病の心理問題―――安永理論とフロイト理論の接点を求めて」)。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(批評空間2001Ⅲー1「共同討議」トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰)
「抑圧」と通例訳される verdrängen は,drängen という動詞に,ver という接頭辞がついたものである。Drängen とは「押す」こと,「押しやる」ことであり,排除を示す ver との組み合わせからして,verdrängen は「押しのける」と訳すことができるだろう。

一方で unterdrücken を見れば,drücken もまた「押す」,「押さえる」であるが,ここには「下へ」という方向性を示す接頭辞 unter が付されていることこそ特徴的である。「押さえ込み」と訳してきた unterdrücken はしたがって正確に述べれば,「下へ押さえつけること」である。ひるがえって見れば「抑圧」においては,そもそもこの「下へ」という垂直的な作用のニュアンスは,言葉そのものには存在しないことにも気づかれる。(上尾真道フロイトの冥界めぐり―― 『夢解釈』の銘の読解 ――、2016年)

まずこれらのマトモであるとわたくしには思われる注釈から判断すれば「抑圧」とは、「追放」もしくは「放逐」、つまり「押しやる」である。

さらに抑圧には「置換」も含まれるという注釈もある。

抑圧はフロイトによって明らかにされた心の働きで、 意識すると激しい深い苦痛、不快、不安が起こる心の内容を無意識の中に押し込んでしまう心の働きとして一般に理解されている。ところが、ドイツ語の Verdrängung は、座っていた席からその人を追い出し、そこに別な人が座る現象を意味する。つまり、ただ単に心の内容(本来の願望)を無意識に追い出すだけでなく、そこに別な心の内容(たとえばヒステリーの症状)を置き換えてしまう心の働きを含む。それゆえに、Verdrängung を英語では抑圧 repression と訳すことには疑問が生じる。(船谷華世子「精神分析学の父、ジークムント・フロイト」)

これは次の叙述とともに読むことができる注釈であろう。

フロイトの否定性は、六つのVer- の語彙がある。

否定 Verneinung、
抑圧 Verdrängung、
排除 Verwerfung、
否認 Verleugnung、
圧縮 Verdichtung、
置換 Verschiebung である。

Wahrig辞典において、Ver-の意味はまず Abweichen(逸脱 deviation・脱線 digression・横道に逸れる straying away)と定義されている。(⋯⋯)

「抑圧 Verdrängung」概念は、二つのVer- 概念を伴う。すなわち「Verdichtung 圧縮」と「Verschiebung 置換」である。この二つの概念は、フロイトにとって「夢作業Traumarbeit」の基本メカニズムの名である。(ムラデン・ドラー 2012、 Mladen Dolar, Hegel and Freud_)

ーーフロイト新訳の岩波版全集では、いま上に「置換」と訳した「Verschiebung」を「遷移」と訳すことに統一したそうだ(わたくしは「遷移」などという難しい言葉はキライなので「置き換え」にした)。

さらにまた、圧縮 Verdichtung/置換 Verschiebung は、ラカン1958によって、隠喩/換喩(垂直的/水平的)とされた。

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フロイト自身、晩年まで自らの「抑圧」概念をめぐって彷徨っている。

私は後に(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念のかわりに、「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。

…この概念は、自我が葛藤にさいして役立てるすべての技術を総称している。抑圧はこの防衛手段のあるもの、つまり、われわれの研究方向の関係から、最初に分かった防衛手段の名称である。(フロイト『制止、症状、不安』最終章、1926 年)
(厳密さを期さなければ)抑圧 Verdrängung と防衛機制 Abwehrmethodenとは、テキストの省略(棄却 Auslassung)と歪曲 Textentstellung の関係に相当すると言ってよい。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第5章、1937年)

つまりフロイトにとって「抑圧」とは、防衛の一種である。

心的装置は不快に不寛容である Der psychische Apparat verträgt die Unlust nicht 。 あらゆる犠牲を払っても不快を避けようとする。現実 Realität の知覚 Wahrnehmung が不快をもたらすのなら、その知覚ーーすなわち真理 Wahrheit--は、犠牲にされなければならない。

外的危険に直面した場合、かなりの時間のあいだ危険状況からの逃避 Fluchtと回避 Vermeidung によって切り抜けうる。そしてついには現実の能動的改変 aktive Veränderung der Realität によって危険を取り除くまでの力を獲得することもある。

しかし自己から逃避することはできない。内的危険にたいしては、逃避は何の役にも立たない。それゆえに自我の防衛機制 Abwehrmechanismen は、内的知覚 innere Wahrnehmung を改竄 verfälschenする。

したがって我々は、エスについての、欠陥だらけで歪曲された知識 mangelhafte und entstellte Kenntnis を送り届けられるだけである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

 さらにまたフロイトが次のように言うとき、抑圧とは原抑圧のことである。

抑圧 Verdrängungen はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

この抑圧が原抑圧であるのは、次の文が証する。

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungen は、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえるのである。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)


上にあるように原抑圧が原防衛なら、排除も否認も(否定も)すべて防衛にかかわる。

ーー古典的ラカンの三区分は、抑圧(神経症)・排除(精神病)・否認(倒錯)である。

フロイトの『フェティシズム』1927年には次のように摘要訳できる文がある。

・神経症において自我は、現実への奉仕 Dienste der Realität によって、エスの一部 Stück des Es を押さえ込む unterdrücke。

・精神病において自我は、現実の部分 Stück der Realitätから逃れる fortreißenために、エスによって引き剥がされるlösen。

・倒錯において自我は、現実の重要な部分 bedeutsames Stück der Realität を否認するverleugnet。

そして「否認」については、次の説明がなされている。

…表象の運命と情動 Affekts の運命をより明確に切り離し、「抑圧 Verdrängung」は情動のほうにとっておくつもりなら、表象の運命には、「否認 Verleugnung」が正しいドイツ語の表現になるだろう。…

われわれの言っている状態は、知覚 Wahrnehmung は残存しながら、その否認 Verleugnung を固持しようとする、きわめて精力的な行動が企てられているというものである。小児が女性を観察した後も、女性のファルス Phallus des Weibesという信念を変えることなく保持している、というのは正しくない。小児はその信念を守りつづけているのだが、断念(止揚 aufgegeben)もしているのである。

望まれざる知覚 unerwünschten Wahrnehmung の重みと反対願望 Gegenwunsches の強さとの葛藤のなかで、小児は、無意識的思考法則ーー「一次過程 Primärvorgänge」--の支配のもとでのみ可能な一つの妥協にいたりつく。とにかく女性は、心的なもののなかでは、依然としてペニス Penis を所有しているのだが、このペニスはもはや以前のそれではない。他のものがこれにとってかわっており、いわばその代理に任ぜられ、今はかつてのペニスに向かっていた関心の後継者となっているのである。

この関心はだがなおも異常に高められる。これは、去勢の恐怖 Abscheu vor der Kastration がこの代理物を作りだしたとき、一つの遺物 Denkmal を置いたからである。かつて行われた抑圧(放逐 Verdrängung)の消しがたい烙印 Stigma として、実際の女性器 weibliche Genitale に対する嫌悪(疎外 Entfremdung) もまた残る。これは、どのフェティシストにも、かならず見られるものである。(フロイト『フェティシズムFetischismus 』1927年)


排除と否定についても一文だけ拾っておこう。

◆排除 Verwerfung
自我は堪え難い表象をその情動とともに排除(拒絶 verwirft)し、その表象が自我には全く接近しなかったかのように振る舞う。

daß das Ich die unerträgliche Vorstellung mitsamt ihrem Affekt verwirft und sich so benimmt, als ob die Vorstellung nie an das Ich herangetreten wäre. (フロイト『防衛-神経精神病 Die Abwehr-Neuropsychosen』1894年)


◆否定 Verneinung
否定 Verneinung は抑圧されているものを認知する一つの方法である。本来は、すでに抑圧の解除(抑圧の止揚 Aufhebung der Verdrängung )を意味しているが、とはいうものの、それはむろん、抑圧されているものの承認 Annahme ではない。……

分析治療を進めてゆくうちに、…われわれはしばしば否定 Verneinung を克服し、抑圧されているもの Verdrängten の完全な知的承認 intellektuelle Annahme に成功する。だが抑圧過程 Verdrängungsvorgang 自体はその成功によっては未だに解除(止揚 aufgehoben)されない。(フロイト『否定 Die Verneinung』1925年)


さらに(後期)抑圧と原抑圧の相違を記しているフロイトの文を掲げる。

ーー「古い抑圧」(原抑圧)に対する新しいダムをつくるのが後期抑圧だとされている。

分析は、一定の成熟に達して強化されている自我に、かつて未成熟で弱い自我が行った古い抑圧 alten Verdrängungen の訂正 Revision を試みさせる。抑圧のあるものは棄却され、あるものは承認されるが、もっと堅実な材料によって新しく構成される。このようにしてでき上がった新しいダムneuen Dämme は、以前のそれとはまったく異なった耐久力をもっている。それは欲動の高まりTriebsteigerungという高潮にたいして、容易には屈服しないだろうとわれわれが信頼できるようなものとなる。したがって、幼児期に成立した根源的抑圧過程 ursprünglichen Verdrängungsvorganges を成人後に訂正し、 欲動強度 Triebsteigerung という量的要素がもつ巨大な力の脅威に終止符を打つという仕事が、分析療法の本来の作業であるといえよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 1937 年)

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以上は、ジジェクの以下の文を訳そうとして、いくらか調べ直したものである。

フロイトには、“Ver‐”の四つの主要形式、四つの版がある。

・Verwerfung (排除・拒絶)
・Verdrängung (抑圧・放逐)
   --原抑圧 Ur‐Verdrängungと後期抑圧 Nach-Verdrängung
・Verneinung 否定
・Verleugnung 否認
Verwerfung(排除 ・拒絶)においては、内容が象徴化から放り出され脱象徴化される。したがって内容は現実界のなかにのみ回帰しうる(幻覚の装いにて)。

Verdrängung(抑圧・放逐)においては、内容は象徴界内に残っている。だが意識へのアクセスは不可能であり、〈他の光景〉へと追いやられ、症状の装いにて回帰する。

Verneinung(否定・前言翻し)においては、内容は意識のなかへ認められている。だが、前言翻し(Verneinung)によって徴づけられている。

Verleugnung(否認)においては、内容は能動的形式で認められている。だがIsolierung(分離・隔離)という条件の下である。すなわち、象徴的影響は宙吊りになっており、主体の象徴的世界のなかへは本当には統合されていない。
シニフィアン「母」を例に取ろう。

「母」が排除・拒絶(Vẻwerfung)される場合、主体の象徴的世界には、「母のシニフィアン」の場はまったくない。

「母」が抑圧・放逐(Verdrängung)される場合、主体は隠蔽された症状の参照項を形成する。

「母」が否定(Verneinung)される場合、よく知られた形式、「夢の中のこの人物は誰かとおっしゃいますが、母ではありません Sie fragen, wer diese Person im Traum sein kann. Die Mutter ist es nicht」を得る。

「母」が否認(Verleugnung)される場合、主体は穏やかに母について話して全てを認める、「ええ、もちろんそうです、この女は私の母です」。だが主体はこの承認の効果による影響を受けないままである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)

排除・拒絶についてのラカンの発言も付記しておこう。

象徴界に拒絶されたものは、現実界のなかに回帰する Ce qui a été rejeté du symbolique réparait dans le réel.(ラカン、S3, 07 Décembre 1955)
Verwerfung(排除)の対象は現実界のなかに再び現れる qui avait fait l'objet d'une Verwerfung, et que c'est cela qui réapparaît dans le réel. (ラカン、S3, 11 Avril 1956)