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2018年3月19日月曜日

ゴダール版「天地根」

谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章

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ラカン版「世界の起源 L'Origine du monde」に引き続きゴダール版









人は見ることを学ばなければならない、人は考えることを学ばなければならない、人は語ることと書くことを学ばなければならない。これら三者のすべてのおける目標は一つの高貴な文化である。――見ることを学ぶとはーー眼に、落ち着きの、忍耐の、対象をしてわが身に近づかしめることの習慣をつけることであり、判断を保留し、個々の場合をあらゆる側面から検討して包括することを学ぶことである。(ニーチェ『偶像の黄昏』)

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「思考する形式 une forme qui pense」をめぐる平倉圭『ゴダール的方法』(PDF)。

・ゴダール曰く「映画が思考する」。監督はその「証人=目撃者 témoin」 。映画が思考するとは?

・ゴダールによれば、映画とは「思考するフォルム」である。ならば、 「フォルム」とは?

・ 「フォルム」とは映画に映し出される諸々の形態のことではなくて、複数の形態を重ね合わせた時に現れる「モアレ状のパターン」のことである 。
・一枚の映像はオリジナルな原事象へと送り返されてしまう。しかし二枚の映像はそうではない。二つの映像はその間で「類似」という、二つの映像にとって内在的な関係性の領野を創り出す 。

→ゴダールにとって「見る」とはこの類似を見ることに他ならない 。

→一つではなくて二つ以上から出発すること。 「二つ以上の映像によって思考すること」 。