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2018年3月5日月曜日

誘惑する女

ゴダールの母は1954年にバイク事故で亡くなったのを「ゴダールの母オディール」にて見た。

医者になりたいとかつて望んだ冒険好きな若い女は、中年になっても相変わらず冒険好きのままだった。当時の若者たちのあいだで、新しいイタリア製スクーター「ヴェスパ」は、大ブームだった。オディール・モノーは、父ジュリアン・モノーにヴェスパを買ってくれないかと頼んだ。1954年4月、午後9時半の宵闇、オディールのヴェスパはローザンヌの路上から落ちた。彼女は頭蓋骨骨折でほとんど即死だった。

ゴダールはジュネーブから病院に駆けつけた。しかし彼は葬式には参列しなかった。それは異様な堪え難い事態による。ポール・ゴダールは子供たちを伴ってモノー祖父に会いに駅に向かった。だがセシル・モノー Cécile Monod(ゴダールの祖母)にこう告げられた、「Monsieur, on ne veut pas vous voir ici (私たちはここであなた方にお会いしたくありません)」。屍体はアンシイAnthy(レマン湖畔のアンティ=シュル=レマン)に埋められ、墓碑にはオディール・ モノー Odile Monod と刻まれている。(Colin MacCabe、"Godard: A Portrait of the Artist at Seventy" 、2016、私訳)

この翌年の1955年、モーパッサンの短編小説を素材にした、「コケテッシュな女 Une Femme Coquette」という9分の短編映画を撮っている。ゴダール25才の作品である。

出演俳優は、Maria Lysandre, Roland Tolmatchoff, Carmen Mirando、そしてゴダール自身も登場する。わたくしは昨日はじめて観たのだが、とても魅力的なーーある意味、眩暈がするようなーー小品だ。

◆Une Femme Coquette - Jean Luc Godard (1955).




主演女優はマリア・リザンドル Maria Lysandre だが、Carmen Mirandoとは、次の女優である。




Carmen Mirandoという名でネットを検索すると、同姓同名ーーいや一字違いの「カルメン・ミランダ(Carmen Miranda、1909年2月9日 - 1955年8月5日)しか出てこない。彼女は、ポルトガル生まれのブラジル人サンバ歌手、ダンサー、ブロードウェイ女優、映画スター」とある。このサンバ歌手は、ゴダールの母オディール・モンドと同じ年に生れ、一年だけ遅く死んでいる。この女はたぶんカルメン・モンドであろう・・・

ああ、二人の誘惑する女! ひとりは行ったり来たりして、そのあと街を駆け抜ける女、ひとりは仰ぎ見る対象としての女。いかにもゴダールのエキスのような二人の女である・・・そしてそれは母への哀悼でもある・・・(いやあシツレイ! ボクの妄想にすぎないよ)

ゴダールは、1952年のクリスマスイヴに新しい友人を作った。母の愛人Jean-Pierre Laubscherである。彼は1927年生まれで、ゴダールの母より18才若く、ゴダールより3才年上だった。(Richard Brody、Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard、2008)


なにはともあれこうであるというのが、ボクの妄想の起源である(参照:愛の起源は腹が減ったである)。


【行ったり来たりする母】
行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ?(ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)
(最初期の母子関係において)、母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能の母 omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)

【誘惑する母】
⋯⋯母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutter の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年、私訳)
母へのエロス的固着の残余 Rest der erotischen Fixierung an die Mutter は、しばしば母 への過剰な依存 übergrosse Abhängigkeit 形式として居残る。そしてこれは女への従属 Hörigkeit gegen das Weib として存続する。(同『精神分析概説』草稿)

そして、《すべての女に母の影は落ちている》(ポール・バーハウ、1998)。

⋯⋯⋯⋯

※付記

女への従属は、ほとんどどのオトコ(いやオンナもふくめ)はいったんは拒絶の試みをするには違いない。

私は、「女性性の拒否」Ablehnung der Weiblichkeit は人間の精神生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937)

「女性性の拒否」Ablehnung der Weiblichkeitとは、誰もが原初に経験する母への「受動的立場(passive Einstellung) 」の拒否のことである。

母親のもとにいる小児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的性質 passiver Natur のものである。小児は母親によって授乳され、食物をあたえられて、体を当たってもらい、着せてもらい、なにをするのにも母親の指図をうける。小児のリビドーの一部はこのような経験に固執し、これに結びついて満足を享受するのだが、別の部分は能動性 Aktivitätに向かって方向転換を試みる。母親の胸においてはまず、乳を飲ませてもらっていたのが、能動的にaktive 吸う行為によってとってかえられる。

その他のいろいろな関係においても、小児は独立するということ、つまりいままでは自分がされてきたことを自分で実行してみるという成果に満足したり、自分の受動的体験 passiven Erlebnisse を遊戯のなかで能動的に反復 aktiver Wiederholung して満足を味わったり、または実際に母親を対象にしたて、それに対して自分は活動的な主体 tätiges Subjekt として行動したりする。(フロイト『女性の性愛 Uber die weibliche Sexualität』1931年)

外傷的状況とは、すなわち《経験された無力の(寄る辺なき)状況 Situation von Hilflosigkeit を外傷的 traumatische 状況と呼ぶ 》(フロイト『制止、症状、不安』1926)

……生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

だが外傷的状況に遭遇すれば、原初的「女への従属」が顕現する。《現在の(寄る辺なき)状況がむかしに経験した外傷的状況を思い出させる die gegenwärtige Situation erinnert mich an eines der früher erfahrenen traumatischen Erlebnisse. 》(同『制止、症状、不安』1926年)

ーーひとはわずかでも、たとえば大きな被災(暴行、災害等々)に遭遇したときのことに思いを馳せてみればいいのである。

外傷神経症は、外傷的事故の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。

これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況 traumatische Situation を反復するwiederholen。また分析の最中にヒステリー形式のアタック hysteriforme Anfälle がおこる。このアタックによって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行 Versetzung に導かれる事を我々は見出す。

それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…

この状況が我々に示しているのは、心的過程の経済論的 ökonomischen 観点である。事実、「外傷的」という用語は、経済論的な意味以外の何ものでもない。

我々は「外傷的(トラウマ的 traumatisch)」という語を次の経験に用いる。すなわち「外傷的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年、私訳ーー人はみな外傷神経症である