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2018年4月3日火曜日

わたしの女の 海草とボンボンの性器


Photograph taken by Brassaï in 1944 after a performance of Picasso’s play El deseo pillado por la cola. Standing from,left to right: Jacques Lacan, Cecile Eluard, Pierre Reverdy, Luoise Leiris, Pablo Picasso, Zanie de Campan, Valentine Hugo, Simone de Beauvoir, Brassaï. Sitting from left to right: Jean-Paul Sartre, Albert Camus, Michel Leiris, Jean Aubier.(Pierre Reverdy’s New Year Thoughts

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ゴダールは、ピエール・ルヴェルディPierre Reverdy のイマージュ論を、何度もくり返して引用している。『パッション Passion』(1982)、『ゴダールのリア王 King Lear』(1987)、『右側に気をつけろ Soigne ta droite』(1987)、『JLG/自画像 JLG/JLG - autoportrait de décembre』(1995)、『(複数の)映画史 4B Histoire(s) du cinéma: Les signes parmi nous』(1998)、『アワーミュージック Notre musique』(2004)にて。

最も長く引用されているのは『リア王』においてであり、以下の文である。

イマージュ image は、精神の純粋な創造物 création pure de l'esprit である。それは比喩 comparaisonからは生まれ得ず、多少なりともかけ離れた éloignées 二つの現実 deux réalités の結合 rapprochement(接近・和解)から生まれ得る。結合させられた rapprochées 二つの現実の関係が、遠隔かつ適正なもの lointains et justes であればあるほど、イマージュはいっそう強くforte なり、情動を動かす力能 puissance émotive と詩的レアリテ réalité poétique をもつ。関連性 rapport のない二つの現実は、有効には utilement 互いに結合 rapprocher しえない。そこにはイマージュの創造 création d'images はない。正反対 contraires の二つの現実は結合 rapprochent されえない。それらは相反 opposent する。人はその対立からは滅多に強さforceを獲得しえない。イマージュの強さforteは、残虐さや幻想性 brutale ou fantastiquでなく、諸観念のつながり association des idées の遠隔さと適切さ lointaine et juste から生まれる。(ピエール・ルヴェルディ Pierre Reverdy、『イマージュ L'image」in Nord Sud n° 13, mars 1918.)
L'image est une création pure de l'esprit. Elle ne peut naître d'une comparaison mais du rapprochement de deux réalités plus ou moins éloignées. Plus les rapports des deux réalités rapprochées seront lointains et justes, plus l'image sera forte – plus elle aura de puissance émotive et de réalité poétique. Deux réalités qui n'ont aucun rapport ne peuvent se rapprocher utilement. Il n'y a pas création d'images. Deux réalités contraires ne se rapprochent pas. Elles s'opposent. On obtient rarement une force de cette opposition. Une image n'est pas forte parce qu'elle est brutale ou fantastique – mais parce que l'association des idées est lointaine et juste.

もっとも初出の『パッション』を初めとして、いくらかの語句の変更をしつつの引用である。たとえば『パッション』では、ルヴェルディ原文《Une image n'est pas forte parce qu'elle est brutale ou fantastique – mais parce que l'association des idées est lointaine et juste》が、《une image n'est pas forte parce qu'elle est brutale ou fantastique mais que la solidarité des idées est lointaine et juste》と変更されている。


ルヴェルディは、アンドレ・ブルトンとのあいだにも手紙のやりとりがあったようで、ブルトンは『シュルレアリスム宣言』にて、ピエール・ルヴェルディの文を引用しつつ、こう記している。

私の考えでは、現前する二つの現実の「関係を精神が把握した  l’esprit a saisi les rapports」と主張するのは間違っている。まず精神は意識的には何も把握しない。

イマージュの光 lumière de l’image が迸るのは、二つの事項の、いわば偶然fortuitの結合 rapprochement からであり、このような光に対してわれわれは限りなく敏感である。

イマージュの価値は、獲得された閃光の美 beauté de l’étincelle に依存する。従って、それは二つの伝導体の電位差の函数 fonction de la différence de potentiel entre les deux conducteursである。

……隠すつもりはないが、私にとって最も強烈なイマージュは、恣意度 degré d'arbitraire が最も高められたもの、実用言語に移し替えるのに最も時間のかかるものである。(André Breton : Manifeste du surréalisme

たしかにアンドレ・ブルトンの詩句で強烈な印象を与えるものは(わたくしの少ない知識では)、《恣意度 degré d'arbitraire が最も高められたもの》という印象をうける。

わたしの女の 森の火事の髪の毛
熱の閃光の思念
砂時計の胴
わたしの女の 虎の歯と歯の間のかわうその胴
わたしの女の 最下等の大きさの星々のリボン飾りと花束の口
白い地面の上の白い鼠の足跡の歯
こすられた琥珀とガラスの舌
わたしの女の 短刀に突き刺された聖体パンの舌
眼を開け閉じする人形の舌
信じられない石の舌
(……)
わたしの女の 砂岩と石綿の尻
わたしの女の 白鳥の背と尻
わたしの女の 春の尻
グラジオラスの性器
わたしの女の 金鉱床とかものはしの性器
わたしの女の 海草とボンボンの性器
わたしの女の 鏡の性器
わたしの女の 涙をいっぱいに溜めた眼
紫の武具と磁針の眼
わたしの女の サヴァンナの眼
わたしの女の 牢獄で飲むための水の眼
わたしの女の つねに斧の下にある薪の眼
水準器の眼 空気の土の火の平衡器の眼

ーーー「自由な結合」 アンドレ・ブルトン (松浦寿輝訳)


ここで瀧口修造の詩句もいくらか掲げておこう。



彼女の総体は、賽の目のように、あるときは白に、あるときは紫に変化する。 空の交接。 瞳のなかの蟹の声、戸棚のなかの虹。 彼女の腕の中間部は、存在しない。 彼女が、美神のように、浸蝕されるのはひとつの瞬間のみである。 彼女は熱風のなかの熱、鉄のなかの鉄。 しかし灰のなかの鳥類である彼女の歌。 彼女の首府にひとでが流れる。 彼女の彎曲部はレヴィアタンである。 彼女の胴は、相違の原野で、水銀の墓標が妊娠する焔の手紙、それは雲のあいだのように陰毛のあいだにある白昼ひとつの白昼の水準器である。 彼女の暴風。 彼女の伝説。 彼女の営養。 彼女の靴下。 彼女の確証。 彼女の卵巣。 彼女の視覚。 彼女の意味。 彼女の犬歯。 無数の実例の出現は空から落下する無垢の飾窓のなかで偶然の遊戯をして遊ぶ。(瀧口修造『絶対への接吻』より)

◆武満徹「遮られない休息1 ゆっくりと悲しく語りかけるように」




ところでゴダールはどうか? 《イマージュの強さforteは、残虐さや幻想性 brutale ou fantastiquでなく、諸観念のつながり(結合) association des idées( la solidarité des idées) の遠隔さと適切さ lointaine et juste から生まれる》を実践しているイマージュとして、『(複数の)映画史4A』からーー最近貼り付けたところだがーー ひとつだけ掲げよう。美しくきらめく小川の傍らの草が風で「横に靡く」風景から、ハードコアポルノの「横に動く動き」、その後、ブラウニングの 『フリークス』 における「障害者の笑い」のセリーである。





◆Freaks 1932 Highlights