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2018年4月13日金曜日

トンネルはよくない



トンネルってのはよくないね。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、 過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』1978

ーーなんて言われてもな、1978年、40才だから言えるのさ

横切る女だってよくないよ




左から右に動く女ってのは、去って行く女だな。
右から左は、出会いがあるよ、
ゴダール、北野武、侯孝賢、小津安二郎のいくつかの作品を観たかぎりだが、
おおむねそうだな。

↑→ はよくない。
↓← は場合によるけど、よくないとは言えない。
ようするにトリュフォーの「にほふをんなのあそこ」の↓←の動きのように、
トンネルの匂は嗅げるな




ーーたとえばタケシの『Dolls』で、なんの関係もなかった三組のカップルが偶然すれ違うのは、右から左の歩みの後だ。それにしても彼の作品は歩く光景がひどく多い。『あの夏、いちばん静かな海。』なんて殊更。


ゴダールの → の女は、ほぼお仕舞いの女だよ
↑、つまり「向こうに歩いていくたち」と同様にね。
ーーいやあ、テキトウなこと言ってるからな、マジとりしないでくれ。





けやきの木の小路を
よこぎる女のひとの
またのはこびの
青白い
終りを

ーー西脇順三郎『禮記』