トリュフォー『恋愛日記』(原題『女たちを愛した男 L'Homme qui aimait les femmes』) |
一体に男はどういうことを求めて女の足に惚れるのだろうか。顔を見たら美形でないのをよく知っている女でも形のよい足を組み変えるのを見ただけで胸騒ぎがしてしまうのは狐に化かされたような気もするが、それでもその小股芸に陶酔すれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、女の足なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当らなかったことと付き合って時間が過ごせる。併しそれよりも何となし女の海に浮かんでいるような感じがするのが夕暮れに焚火に見入っているのと同じでいつまでもそうしていたい気持を起こさせる。この頃になって漸く解ったことはそれが出歯亀でも暇潰しでもなくてそれこそ自分が確かにいて生きていることの証拠でもあり、それを自分に知らせる方法でもあるということで、女の足とか火とかいうものがあってそれと向かい合っている形でいる時程そうやっている自分が生きものであることがはっきりすることはない。そうなれば人間は何の為にこの世にいるのかなどというのは全くの愚問になって、それは黄昏に焚火に見入り、玄牝のゆらめく閃光にほろ酔い機嫌になる為であり、それが出来なかったりその邪魔をするものがあったりするから働きもし、奔走もし、出世もし、若い頃は苦労しましたなどと言いもするのではないか。我々は幾ら金と名誉を一身に集めても女の股の薫りが高くなるわけでも火の色をして我々の眼の前で燃えることもない。又杣径の奥を拝むのに金や名誉がそんなに沢山なくてはならないということもない。
一体に人間はどういうことを求めて一人で飲むのだろうか。そうして一人でいるのに飲むことさえも必要ではなさそうにも思えるが、それでも飲んでいれば適当に血の廻りがよくなって頭も煩さくない程度に働き出し、酒なしでは記憶に戻って来なかったことや思い当らなかったことと付き合って時間が過ごせる。併しそれよりも何となし酒の海に浮かんでいるような感じがするのが冬の炉端で火に見入っているのと同じでいつまでもそうしていたい気持を起こさせる。この頃になって漸く解ったことはそれが逃避でも暇潰しでもなくてそれこそ自分が確かにいて生きていることの証拠でもあり、それを自分に知らせる方法でもあるということで、酒とか火とかいうものがあってそれと向かい合っている形でいる時程そうやっている自分が生きものであることがはっきりすることはない。そうなれば人間は何の為にこの世にいるのかなどというのは全くの愚問になって、それは寒い時に火に当り、寒くなくても酒を飲んでほろ酔い機嫌になる為であり、それが出来なかったりその邪魔をするものがあったりするから働きもし、奔走もし、出世もし、若い頃は苦労しましたなどと言いもするのではないか。我々は幾ら金と名誉を一身に集めてもそれは飲めもしなければ火の色をして我々の眼の前で燃えることもない。又その酒や火を手に入れるのに金や名誉がそんなに沢山なくてはならないということもない。(吉田健一『私の食物誌』)