イマージュの本質は、内奥をもたずsans intimité,、完全に外部 toute dehorsにある、という点にある。にもかかわらず、イマージュは、心の奥の考えよりもなおいっそう近づきがたく神秘的であり、意味作用はもたないが、しかし可能なあらゆる意味の深みを呼び寄せる。明示されてはいないが、しかし明白であり、セイレーンたちの引力と魅惑 l'attrait et la fascination des Sirènes を生むあの現前=不在 présence-absence の性格をもつ。(モーリス・ブランショ『来るべき書物』)
われわれは、フロイトの「ナイーヴな」人を迷わすフェティッシュの考え方を修復すべきである。フロイトは、女性のペニスの欠如を見る直前に主体が見た最後の物としてフェティッシュを捉えている。だがフェティッシュが覆い隠すものは、単に女性のペニスの不在ではない。そうではなく、厳密に「構造主義者」的意味での、現前/不在 presence/absence のまさに構造が示差的 differential であるという事実である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)
例えば、私が観察した事例におけるヒステリー患者は、一方の手で(女として)服を押さえようとし、他方の手で(男として)服をまくり上げようとする。mit der einen Hand das Gewand an den Leib preßt (als Weib), mit der anderen es abzureißen sucht (als Mann). (フロイト『ヒステリー的幻想とバイセクシャル性に対するその関係 Hysterische Phantasien und ihre Beziehung zur Bisexualität 』1908)
ーーフロイトにとっての、「男性と女性 Männlichen und Weiblichen」とは、なによりもまず「能動性と受動性 Aktivität und Passivität」である(『文化の中の居心地の悪さ』1930年)。
身体の中で最もエロティック érotique なのは衣服が口を開けている所ではないだろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯 zones érogènes》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析がいっているように、エロティックなのは間歇intermittenceである。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちらりと見える肌 la peau qui scintille の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えること自体 scintillement même qui sédui である。更にいいかえれば、出現ー消滅の演出 la mise en scène d'une apparition-disparition である。
プンクトゥム punctum とは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さなシミ petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことでもありーーしかもまた、骰子の一振りcoup de dés のことでもある…。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺すme point 偶然 hasard (それだけなく、私にあざをつけme meurtrit、私の胸をしめつけるme poigne 偶然)である。(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章)