2018年7月19日木曜日

日常的なところにある「美」


(Karel Nepraš, Sedící 1999)

いい作品だな、デュシャンの「泉」のようでもあり、ジャコメッティのいくつかの作品のようでもあり。



いやあ、スバラシイ・・・



見る目をかえれば、日常的なところに「美」があることを教えてくれる。

というわけで、ボクのまず思いつく限りでの「日常的なところにある美」を探してみた。

「美」という概念が性的な興奮という土地に根をおろしているものであり、本来性的に刺激するもの(「魅力」die Reize)を意味していることは、私には疑いないと思われる。われわれが、性器そのものは眺めてみればもっとも激しい性的興奮をひきおこすにもかかわらず、けっしてこれを「美しい」とはみることができないということも、これと関連がある。(フロイト『性欲論三篇』1905年)



残念なことに、精神分析もまた、美については、他の学問にもまして発言権がない。ただ一つ確実だと思われるのは、美は性感覚の領域に由来しているにちがいないということだけである。おそらく美は、目的めがけて直接つき進むことを妨げられた衝動の典型的な例なのであろう。「美」とか「魅力」とかは、もともと、性愛の対象が持つ性質なのだ。(フロイト『文化への不満』1930年)



すべての美は生殖を刺激する、――これこそが、最も官能的なものから最も精神的なものにいたるまで、美の作用の特質propriumである。(ニーチェ『偶像の黄昏』)