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2018年7月24日火曜日

骨に徹えるほどの匂

前投稿をしたせいで、ノスタルジックに1960年代風の写真ーー実際はいつのものか知らないけどーーを見てしまったな。








どっちの写真もボクには胸キュンだね。

ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼン「シューマン論」)


次の三枚の写真は、Michael Rougierが1960年代に撮ったのが分かっている。









次の写真は、どこで拾ったのかも忘れたけれど、ーーたぶん靴の上質さから60年代というよりも70年代以降、それも日本の女性かどうかもわからないけどーー、とっても好きな写真だ。ボクにとってはMichael Rougierの一番目に掲げた写真とセットになっている。





四年前の投稿、「マルク・リブー 1958 JAPAN」なんてのも見ちゃったな、すっかり忘れていたけど、とってもよい写真群だ。





ああ、それにこの写真(沢渡朔×TAO)。



すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。(夏目漱石『夢十夜』)

閑話休題。