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2018年9月2日日曜日

異物としての隠蔽記憶

三歳の記憶  中原中也

縁側に陽があたつてて、
樹脂が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭は、
土は枇杷いろ 蝿が唸く。

⋯⋯⋯⋯

以下、主にフロイトの隠蔽記憶と中井久夫の幼児型記憶(静止画像)をめぐる資料篇である。

ーーラカンはフロイトの隠蔽記憶(souvenir-écran、Deckerinnerung)を《記憶の流れ le cours de la mémoire をスナップショットの状態 l'état d'instantané に凍りつかせて還元する fige, réduit 何か》と言っているが、このスナップショットも静止画像としてもよいだろう(もっともラカンの隠蔽記憶の捉え方はそれだけではないがここでは触れない)。



【幼児期記憶としての隠蔽記憶】
・その文献学の教授の最初の記憶は三歳から四歳にかけての時期にあたるもので、テーブル掛けの掛けられた食卓のイメージが現われ、その上には氷の入った鉢が載っている。ちょうどその頃、教授の祖母が亡くなっているのだが、両親の言によれば、祖母の死は子供にひどいショックを与えたのであった。しかしその文献学教授は、祖母の死んだ事件については何も知っていない。彼がその時期のことを思い出すのは、ただ氷の入った鉢だけである。

・幼児期のある体験が記憶の中に現れるのは、たとえばそれ自体が黄金であるからというのではなく、それは黄金のそばに置かれているからである。(フロイト『隠蔽記憶について Uber Deckerinnerungen』1899年)

ーーフロイト自身の幼児期記憶と想定される記述については、「遠い道」を見よ。

私は幼児期記憶 Kindheitserinnerungen を隠蔽記憶 Deckerinnerungen (スクリーンメモリー)と呼ぶ。そして徹底した分析を以て、忘れられた全ては隠蔽記憶から引き出しうる。精神分析の治療は、幼児期記憶のなかの裂け目 infantile Erinnerungslückeを埋め合わせる仕事に常に直面している。治療が成功するとはまた…幼児期の忘却され覆われた年月 Vergessen bedeckten Kindheitsjahre の内容に光をもたらすことに成功することでもある。(フロイト『精神分析入門』第13講、1917年)
問題となる経験(トラウマ的出来事)に、は、おおむね完全に忘却されている。記憶としてはアクセス不能で、幼児型健忘期 Periode der infantilen Amnesieの範囲内にある。その経験は、「隠蔽記憶 Deckerinnerungen」として知られる、いくつかの分割された記憶残滓 Erinnerungsresteへと通常は解体されている durchbrochen (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


◆わらべうた 原詞 ペーター・ハントケ

ーーヴェンダース「ベルリン・天使の詩」

子供は子供だった頃
樹をめがけて 槍投げをした
ささった槍は 今も揺れてる





⋯⋯⋯⋯

ここでは上にも記したが、ラカンによる隠蔽記憶の捉え方については長くなるので触れない。二人のラカン派注釈者による簡潔な記述のみを引用する。

幼児期は、各主体の生において黙殺された何ものかを示している。言説(社会的つながり)外部に居残った何ものかを。それと同時に、幼児期は最も親密な異物である。最も理想化され、しかしまた最も隠されたものである。…幼児期はどの主体においても隠蔽記憶(スクリーンメモリー)自体である。幼児期は家族の秘密を隠蔽している。それは常に黙殺されている秘密の、ヴェールでありスクリーンである。(Childhood Under Control、by Miquel Bassols, 2012)
フロイトが隠蔽記憶 Deck-Erinnerung(スクリーンメモリー)と呼ぶものは、トラウマ的真理を覆うように定められた幻想形成である。(ジジェク、Less than nothing, 2012)

⋯⋯⋯⋯

【幼児型記憶の例】

中井久夫は「思い出すままにほとんどすべてを列挙する」として幼児型記憶(三歳前後以前の記憶)を掲げている。

(1)「誰かの背に背負われて、青空を背景に、白い花を見上げている」

これはそういう写真がないし、話題になったこともない。もっとも、「誰か」は祖父であるがこれは後の推定である。白い花は「アカシア」であると知っていて、それは聖心女学院小林分校への道のアカシア(正確にはニセアカシア)の並木道であるが、いずれも映像ではなく後から加わった命題記憶である。私は六〇年後に行ってみた。わずかに一〇メートルほどのあいだ、ニセアカシアの老木が残っていた。

(2)「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」

イチジクは映像の中にはない。裏庭にイチジクの木が何本も生えていたのは言語(命題)記録である。

(3)「ハコベの生えているところで太陽に向かって祖父と深呼吸をしている。祖父が「新鮮な空気を吸う」と言い、私が真似をしている」

記憶には、裏庭にはハコベが生えていたという映像がある。他にいろいろのものがつけ加わっているが、それらは命題記憶だけで、映像を欠いている。

(4)「窓から田んぼをへだてて向こうを走る自動車を眺めて数えている」

これは武庫川の堤であるというのは、消去法によって生まれた結論であると思われる。「田んぼ」には視覚的に初めから焦点が合っておらず、したがって季節は不明である。

(5)「応接セットがあってカンバスで覆われたまま、二つ横並びにしてある。そのあいだのひじかけにオモチャの機関銃を据えて撃つマネをしている。「わあ、かなわん。降参」と母方の祖父が言っている」

声ははっきりしない。応接セットであるというのも命題記憶である。並んだ椅子の肘かけだけが視覚映像である。機関銃を祖父からおみやげに貰ったというのも、命題記憶であろうと思われる。

(6)「ベランダのようなところから川の流れをみている。向こうに民家、その向こうに山」

これは宝塚遊園地の建物(大劇場か)にあった武庫川に臨む「納涼台」という屋外で軽食を食べさせるところから武庫川を眺めているのであろう。この時かどうか、ここの(と思おう)「キツネウドン」の味を覚えている。

(7)「人間が細く映る鏡や太って映る鏡に自分を映している」

これも宝塚の建物の中であると推定できる。

(8)「天井に鈴蘭灯が揺れている。天井は白い。鈴蘭灯はくもりガラスで、縁は金色」

これは阪急電車の車内に立っていて、大人の乗客のあいだから見上げた天井であろう。「阪急電車」というのは消去法である。

(9)「雑然とした茶褐色の家並みの間の道でおばさんが「ぼっちゃん、じろーじゃ」と言っている。私は「ちがう、じどうしゃ」と言い返す」

これは、命題記憶によって、母親の郷里の村のメインロードであり、おばさんが「森本さん」という人だと知っているが、映像の中には手掛かりはない、こういって私をからかって笑っている場面であることは確かである。

(10)「どこかの階段。木がまだ新しい。陽が照っている」

これは時も場所も状況も全然見当がつかない(この背後には大きな家族問題が隠れているかもしれない)。そういう記憶映像がいくつかある。朝日新聞が東京-ロンドン間を飛行させた「神風号」のニュース映画を観に行ったはずなのに、覚えているのはパラシュート降下する人の映像で「神風号は落ちたはずはないのに」と思ったとか。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


以下、幼児型記憶をめぐる中井久夫の記述を掲げる。

【静止画像としての幼児型記憶】
私たちは三歳から五歳以後今まで連続した記憶を持っている。むろん忘却や脱落はあるが、にもかかわらず、自我は一つで三歳以後連続している確実感がある。それ以前の記憶は断片的である。また成人型の記憶は映画やビデオのように、いやもっとダイナミックに動いているが、ある時期の記憶は前後関係を欠き、孤立したスティール写真のような静止画像である。成人型の記憶と違って、言葉に表しにくい。(中井久夫「私の三冊」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)
成人文法性成立以後に持ち越されている幼児型記憶は(1)断片的であり、(2)鮮明で静止あるいはそれに近く、主に視覚映像であり、(3)それは年齢を経てもかわらず、(4)その映像の文脈、すなわちどういう機会にどういういわれがあって、この映像があるのか、その前後はどうなっているかが不明であり、(5)複数の映像間の前後関係も不明であり、(6)それらに関する画像以外の情報は、後から知ったものを綜合して組み立てたものである。(「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


【語りとしての自己史に統合されない「異物」としての幼児型記憶】
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

ーーここで上に引用した Miquel Bassols, 2012の発言に《幼児期は最も親密な異物である。最も理想化され、しかしまた最も隠されたものである。…幼児期はどの主体においても隠蔽記憶(スクリーンメモリー)自体である。幼児期は家族の秘密を隠蔽している。それは常に黙殺されている秘密の、ヴェールでありスクリーンである》とあったことを思い出しておこう。

トラウマ、ないしその記憶は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物のように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)
たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)



【強い情動を伴うはずの事態が起きているにもかかわらず、取るに足りない幼児型記憶】
幼児型記憶と成人型記憶との間には、幼児型言語と成人型言語との差と並行した深い溝がある。それは、幼虫(ラルヴァ)と成虫(イマーゴ)との差に比することができる。エディプス期はサナギの時期に比することができる。

私たちは成人文法性成立以前の記憶には直接触れることができない。本人にとっても、成人文法性以前の自己史はその後の伝聞や状況証拠によって再構成されたものである。それは個人の「考古学」によって探索される「個人的先史時代」である。縄文時代の人間の生活や感情と同じく、あて推量するしかない。これに対して成人文法性成立以後は個人の「歴史時代」である。過去の自己像に私たちは感情移入することができる。

たしかに、現在からみた過去の自己像は、それが現在であった時の自己像ではありえない。つねに現在との関連によって、その重要性も文脈も内容さえも変化をこうむっている。生きるとはライプニッツの言葉を借りれば「過去を担い未来をはらむ」現在を生きることであり、記憶もつねに現在との緊張関係においてある。

それは個人史も社会・民族・国家の歴史も同じことである。すなわち、人間集団の歴史的事実もたえず評価が変わり、事実も評価の変化をとおして代わってゆく。ある事象はそもそも書かれなくなり、忘却のかなたに去る。長い間、ささやかな挿話にすぎなかった事象が重大な意味を帯び、その観点から調査されてディテイルがくっきりしてくる。そのは事実自体も不動ではないということである。

もう一つは、非常に多くの記憶が消滅している。個人史においても世界史においても、いたるところに空隙があり、消失がある。記憶されているのはごく一部にすぎないのが事実である。しかも、個人も人間集団も、その歴史の連続性を疑わない。少なくとも個人においては三歳以後の人生が連続しているという感覚がある。これを「自己史連続感覚」と名づけよう。

自己史連続感覚は多くの忘却や空隙にもかかわらずゆるがない。したがって外傷性障害における時間喪失や逆行性健忘が苦痛や困難をともなって長く「外傷的」に記憶されるのは一見ふしぎである。

「正常な時間喪失」や「正常な忘却」が異常なそれらよりも圧倒的に多量であるはずなのに、自己史連続感覚がゆるがないのはなぜであろうか。

二歳半から三歳半までに成立するものは成人文法性だけではない。それはより大きなものの一部分にすぎない。ここで成立するものは何であろうか。

私たちは、ここで成立する事態に、①成人文法性、②三者関係の理解(エディプス葛藤はその一例にすぎない)、③自己史連続感覚の成立、の三つを挙げることができる。

三者関係の理解に端的に現われているものは、その文脈性contextualityである。三者関係においては、事態はつねに相対的であり、三角測量に似て、他の二者との関係において定まる。これが三者関係の文脈依存性である。

これに対して二者関係においては、一方が正しければ他方は誤っている。一方が善であれば他方は悪である。

ここでは、現象的には二者の関係であっても、目に見えない第三者すなわち社会(世間)が背景として厳存する場合は三者関係とする。したがって四者以上でも三者関係に含まれる。私のいう二者関係とは「文脈以前の二者関係」あるいは絶対的な二者関係と呼んでもよかろう。バリントが「基底欠損患者」について「独特な二者関係」と呼んだものである。このタイプの患者の一例に「境界例」を挙げてもよいであろう。「境界例」性には、治療者や家族・友人が身を以て味わうように、些細な遅刻をも重大な裏切りをも同じ強度で感受し、同様に烈しく糾弾するということがある。

バリントはいみじくも、境界例患者を含む「基底欠損」患者は「通常の成人言語」common adult languageを理解しないと述べている。臨床的には、文字通りの幼児語に戻るわけではなく、妥当な文脈性(前後関係)を失った形で成人言語を使用するためにさまざまな混乱が生じるのである。成人文法性以前への復帰ではないが成人文法性の大きな障害ということはできる。それは妥当な文脈性の喪失であり、それは自己史連続感覚の障害につながる。事実、自己史は単調な反復、一種の永劫回帰としか感じられていないのではないか。

幼児型記憶が成人になってどのような形で残存しているかをもう一度眺め直してみたい。
私の気づいた相違の大きなものは一点である。幼児型記憶が成人型記憶の成立した以後にどのような形で残っているのであろうか。断片的で、自己史連続体に編入できないことをはじめ、多くの点で外傷性記憶と似ているけれども、内容それ自体はおおむね取るに足りないものである。この点だけは外傷性記憶の強烈さと対象的である。

私は、長らく、一見取るに足りない内容の背後に大きな意味が隠されていると考えてきた。しかし、そういう場合もあるかもしれないが、大部分はほんとうに取るに足りないのではないかというほうに考えを改めた。私自身の幼児型記憶はすべて取るに足りないものばかりである。その間に強い情動を伴うはずの事態が起きているにもかかわらず、そのほうは全く記憶にないのである。

それはどういうことであろうか。

私は、二歳半から三歳半のクリティカルな時期において幼児型記憶が消去されるという仮説を立てる。

この消去が必要なのは、文脈依存的な成人文法性、三者関係、自己連連続感覚の成立のために邪魔になり、両立しないからだと私は考える。ただ、その記憶機制は残り、非常事態においては顕在化し、突出してくる。それが外傷性記憶であると考える。(中井久夫「外傷性記憶とその治療ーー 一つの方針」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)


【外傷性記憶の特徴】

ーー上に《外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である》とあったがそれを念頭にして読もう。

外傷性記憶は、一般に通常の記憶に比して、

(1)プロトパシー的である。その鮮明性と対照的に言語化が困難である。その独特の感覚の「質」はその一つである。

(2)「非文脈的」(絶対的)である。この非文脈性は生涯をつうじての不変性、静止性、反復出現性、絶対性(非相対性)、前後関係と時空的定位との不可能性となって現われる。外傷夢の場合は夢作業による加工が行われていないということも、その一つであろう。何年、何十年経っても昨日のごとく再現される。身体外傷が八カ月でほぼ瘢痕治癒するとの対照的であって、心の傷の大きな特徴ということができる(ヴァレリーの『カイエ』にあるとおり「体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。五十年の失恋の記憶が昨日のことのように疼く」)。もっとも、古い身体的外傷もセネステジー的に「うずく」ことはある。

(3)主に視覚的記憶が問題にされるが、実際はすべての感覚にわたって現われる。すでに述べたように、振動感覚は一九九五年の阪神・淡路大震災においてみられ、聴覚は幻聴となって統合失調症としばしば誤診されている。触覚、味覚、嗅覚は、インタヴューにおいて問われないために見逃されている可能性がある。性感覚もある。

鮮明性は視覚中心に考えられているが、それぞれの感覚によって独自の鮮明性(生々しさ)がある。ただ、視覚と聴覚以外は、その感覚よりもそれがもたらす結果によって知られることが多いのではないか。阪神・淡路大震災直後および一年後の記念日において、振動感覚のフラッシュバックはまず驚愕と恐怖の表情と、刺激の大きさに釣り合わない「跳び上がり」によって知られたのであった。触覚、味覚、嗅覚なども、この非文脈性のために自他に理解できない嫌悪行動、回避行動(「これはどうしても食べられません」など)に現われている可能性がある。

(4)想起は非自発的、受動的、しばしば侵入的である。類似の感覚刺激によって誘発されることは上記震災の記念日現象にみられるとおりである。別の重要な外傷後行動症状である「回避」との接点でもある。

(5)しばしば強い情動と連合している。この情動は、嫌悪、驚愕、恥辱、マヒ(金縛り)感であることが多い。これが行動症状としての「回避」との第二の接点である。強い情動と連合している場合には、複数の感覚が融合して「共通感覚」となっていることが多い。あるいは共通感覚が地盤となってその上にいずれかの感覚が突出しているのであろうか。

(6)また、情動と感覚の距離が近く、しばしば感覚か情動かの区別がつきにくい。このことは、直接的な嫌悪、驚愕、恥辱、マヒを引き出す触覚以下の近接感覚において顕著である。視覚、聴覚などの遠距離感覚は、刺激の対象化(客観化)を目指す感覚であるために、直接に情動と結合することもあるが、触覚などの近接感覚に触発されて二次的に生じる結合も多い。身体的現象とされる「古傷が疼く」のも、実際には心的外傷の共通感覚的想起であるのではなかろうか。

外傷関連障害においては、恥辱感をはじめとする情動との連合性によって、患者は多くの症状を進んで語らず、その結果、さまざまな病名を告げられ、誤診に異議を唱えず、多年にわたって誤診にもとづく治療を受け入れていることが多い。これは治療者の大いに留意するべき点である。

(7)しばしば、原記憶に比して記憶映像および情動の増強と鮮明化がみられる。これは生理学的疎通(facilitation――反復された特定の刺激経路がそれによって通りやすくなること)によるのかもしれず、反復強迫によることもあり、森田正馬のいう「精神交互作用」すなわち注意の焦点となる強化・反復増強・意識の中心への移動のためとも考えられる。

(8)想起は「索引性」(後述)によらない。いつもすぐ隣りの「控え部屋」にいるようにただちにそっくりそのまま出てくる。この点も成人型記憶との大きな相違点である。

(9)成人型記憶においては、いくつかの記憶を綜合して、これを思考、感情、あるいは意志への導入の手はじめとすることができる。これは、言語化の容易性、文脈性、索引性などによるものと考えられる。外傷性記憶は、二つ以上の独立した感覚映像を同時的・並列的に意識内に置くことができないようである。すなわち、一つの感覚がある時点での意識を独占する。二つ以上の感覚がある場合には、融合して共通感覚化するのであろう。たとえばいじめの加害者の視覚映像と聴覚(音声内容と音調)映像。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年)

《生理学的疎通(facilitation――反復された特定の刺激経路がそれによって通りやすくなること)》とあるが、これはフロイトの死まで隠されていた代表的著作『科学的心理学草稿 ENTWURF EINER PSYCHOLOGIE』(1895)に現れる Bahnungen のことだろう。英訳では"facilitations"以外に"pathways" つまり「通道」とも訳される。「事物表象 Sachvorstellungen」が「語表象 Wortvorstellungen」に翻訳される通り道である。

フロイトの事物表象と語表象は、ラカンのイマーゴとシニフィアンである。(Identity through a Psychoanalytic Looking Glass Stijn Vanheule & Paul Verhaeghe、2009、pdf

さらに《別の重要な外傷後行動症状である「回避」との接点》とあるが、ここでもフロイトを引用しておこう。

トラウマの影響は二種類ある。ポジ面とネガ面である。…

ポジ面は、トラウマを再生させようとする Trauma wieder zur Geltung zu bringen 試み、すなわち忘れられた経験の想起、よりよく言えば、トラウマを現実的なものにしようとするreal zu machen、トラウマを反復して新しく経験しようとする Wiederholung davon von neuem zu erlebenことである。…

(このトラウマを扱う)ポジ面の試みは、トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma、反復強迫 Wiederholungszwang の名のもとに要約しうる。…これは動かしえない個性の徴 unwandelbare Charakterzügeと呼びうる。…

ネガ面の反応は逆の目標に従う。忘却されたトラウマは何も想起されず、何も反復されない。我々はこれを「防衛反応 Abwehrreaktionen」として要約できる。その基本的現れは、「回避 Vermeidungen」と呼ばれるもので、制止 Hemmungenと恐怖症Phobienに収斂しうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


【成人型記憶と幼児型記憶の相違】
成人型記憶を幼児型記憶と対照させれば、

(1)一般に記憶映像に全体と部分があり、分化している。しかし、それだけに尽きるものではない。それは、ふだんは不明瞭であるが、部分を切り離して取り出し、その部分を拡大することができる。さらに、これから部分を取り出して、拡大することができる。すなわち、二次的な「全体と部分」ではなく、重層性、階層秩序〔ヒエラルキー〕性、そして「フラクタル性」(部分を拡大してみると全体と同じ建築的構造 architecturality がある)を持っている。

(2)ゆらぎ性がある。記憶建築は柔構造である。これは記憶映像が視覚であっても絵画のように固定的図式ではないことを含意している。サルトルはこれを記憶の絶対的貧困性と呼んだのであろう。絶対的貧困性とは視覚的記憶映像の任意の部分を問うてみると、必ず曖昧な部分があることである。

(3)これと関連して、文脈依存性 contexutuality がある。すなわち、自己史記憶連続体の中で、その時間的・空間的前後関係によって感覚映像もそれに伴う情動が決定される。したがって、生きてゆくうちに、自己史記憶連続体の中での意味づけも変化し、それに伴って情動も、記憶映像自体ですら変化する。かつては生死を賭けた問題も時間がたてば一片の挿話となってしまう。

(4)索引性indexicality がある。想起は、一見無媒介的であっても、文脈的である。すなわち、文脈を「索引」に用いて到達できる。

(5)言語化が容易である。サルトルのいう絶対的貧困性は言語化と関連して言ううることであって、記憶映像自体が「貧困」かどうかをいうことはできない。むしろ、記憶映像の過剰な豊富性を「減圧」し「貧困化」しえ、「合意による確認」すなわち社会性を帯びさせることに、言語化の第一義的な意味があるのであろう。

言語化の第二の重要な意味はストーリーとしての自分史の形成が言語化を介して行われることである。……(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年)