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2018年10月11日木曜日

超自我の背後の同一化とアイデンティティ

パソコンこわれちまったから、iPad から雑に投稿すれけどさ、前回の続きを。

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はっきりしていることは、同一化はアイデンティティのなかに結晶化されていることだな。il est clair que l'identification,  c'est ce qui se cristallise dans une identité.  

…フロイトの言う「同一化 Identifizierung」、私はそれを再発見したよ j'ai été le retrouver、昔、同一化についてのセミネールをやったが、覚えていないからな je ne me souvenais pas 。…だが少なくとも三つはあった、…父との同一化 l'identification au père…ヒステリー的同一化 l'identification hystérique…唯一の徴との同一化 l'identification   …d'un trait que j'ai appelé « unaire ».……(ラカン、S24, 16 Novembre 1976)

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はっきりしていることは、同一化が「私はだれ?」を決定してることだな。おバカな生物学者が言うように遺伝子が決定してるんじゃ全くなくて。これは、生後すぐに養子に出された子供のことに思いを馳せれば、瞬時にわかることだ。

で、最初の同一化は、フロイトが言うように「父との同一化」ではなく「母との同一化」だ。この同一化は後のエディプス期に起こる、女性一般と男性の同性愛における「母の場との同一化」ではなく、母なるシニフィアンとの同一化だ。

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エディプスコンプレックスにおける父の機能とは、他のシニフィアンの代わりを務めるシニフィアンである。他のシニフィアンとは、象徴化を導入される原シニフィアン、母なるシニフィアン…つまり行ったり来たりする「母」であり…「父」はその代理シニフィアンである。

La fonction du père dans le complexe d'Œdipe, est d'être un signifiant substitué au signifiant, c'est-à-dire au premier signifiant introduit dans la symbolisation, le signifiant maternel. …C'est cette mère qui va, qui vient……le père se substitue à la mère comme signifiant (Lacan, S5, 15 Janvier 1958)

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現在のラカン派はもっと一般的に「母による身体の上への刻印」への同一化というけどさ、これが原症状との同一化、サントームとの同一化の意味だ。

フロイトの記述においても、父との同一化じゃなく母との同一化のにおいはあるがね。

なにはともあれ、父なる超自我(自我理想)と母なる超自我(原超自我)の背後には、同一化がある。超自我概念が人間にとって決定的なものだとしたら、この背後にある同一化にかかわるからだ。

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最も初期の幼児期に起こった同一化の効果は、全面的かつ永続的である。これは、われわれを自我理想(超自我)の起源につれもどす。というのは、自我理想の背後には個人の原初の最も重要な同一化が隠されているからであり、その同一化は個人の先史時代における父との同一化である(註)。

im frühesten Alter erfolgten Identifizierungen werden allgemeine und nachhaltige sein. Dies führt uns zur Entstehung des Ichideals zurück, denn hinter ihm verbirgt sich die erste und bedeutsamste Identifizierung des Individuums, die mit dem Vater der persönlichen Vorzeit.(フロイト『自我とエス』第3章、1923年)

註)おそらく、両親との同一化といったほうがもっと慎重のようである。Vielleicht wäre es vorsichtiger zu sagen, mit den Eltern(同『自我とエス』)


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超自我は、人生の最初期に個人の行動を監督した彼の両親(そして教育者)の後継者・代理人である。Das Über-Ich ist Nachfolger und Vertreter der Eltern (und Erzieher), die die Handlungen des Individuums in seiner ersten Lebensperiode beaufsichtigt hatten(フロイト『モーセと一神教』3.2.4 Triebverzicht、1939 年)


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患者が分析家を彼の父(あるいは母)の場に置いた時、彼は自らの超自我が自我に行使する力能を分析家に付与する。というのは、両親は、彼の超自我の起源だから。

Setzt der Patient den Analytiker an die Stelle seines Vaters (seiner Mutter), so räumt er ihm auch die Macht ein, die sein Überich über sein Ich ausübt, denn diese Eltern sind ja der Ursprung des Uberichs gewesen. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)