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2018年10月11日木曜日

超自我と自我理想のポジション



昔、自我理想と超自我の相違(基本版)ってのを記したけど、超自我、自我理想、理想自我、そしてエスをラカンのボロメオ使って図示すれば、たぶんこうなるだろうな。








ラカンマテームだったら、

エス:a = Ⱥ = (- φ)
超自我::S(Ⱥ)、Σ、Ya d’l’Un(S2なきS1)、文字対象a[la lettre petit a]
自我理想:Φ、S1-S2としてのS1
理想自我:φ、semblant としての(a)、i(a) 

…………

対象a とその機能は、欲望の中心的欠如を表す。私は常に一義的な仕方で、この対象a を(-φ)にて示している。cet objet(a) et sa fonction, en tant qu'il vient dans notre expérience symboliser le manque central du désir, autrement dit ce que j'ai pointé toujours, d'une façon univoque, par l'algorithme (-φ).   (ラカン、S11,   11  mars  1964)


対象aは、大他者自体の水準において示される穴Ⱥである。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S18, 27 Novembre 1968


……………

超自我は絶えまなくエスと密接な関係をもち、自我に対してエスの代表としてふるまう。超自我はエスのなかに深く入り込み、そのため自我にくらべて意識から遠く離れている。

das Über-Ich dem Es dauernd nahe und kann dem Ich gegenüber dessen Vertretung führen. Es taucht tief ins Es ein, ist dafür entfernter vom Bewußtsein als das Ich.(フロイト『自我とエス』1923年)


『自我とエス』では超自我のポジションづけをしていないんだけど、 以下は『新精神分析入門』1933より。






いやあiPadからだと簡潔投稿になってかえっていいかも。

でもパソコン直るまで、旅行いこ。