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2018年10月5日金曜日

借金大国日本の「生産性」集中の避けがたさ

政治家や官僚が「生産性」のないものには税金を使わない、という意味合いにとれることを発言してしまうとき、その根には、借金だらけの国の会計なのに弱者などもはやかまっていられないという本音が必ずある筈である。

まだ財政についてそれほど心配のない1980年代半ばにおいてでさえ、大蔵大臣・通産大臣・外務大臣・副総理などを歴任した「ミッチー」こと渡辺美智雄はこう言った。

「二十一世紀は灰色の世界、なぜならば、働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって、稼ぐことのできない人が、税金を使う話をする資格がないの、最初から」、こう言ったわけであります。渡辺通産大臣は、それ以外にも、八三年の十一月二十四日には、「乳牛は乳が出なくなったら屠殺場へ送る。豚は八カ月たったら殺す。人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる。経済的に言えば一番効率がいい」、こう言っておられます。(第104回国会 大蔵委員会 第7号 昭和六十一年三月六日(木曜日) 委員長 小泉純一郎君……

現在、政治家や官僚たちの表現の仕方の巧拙、慎重さの有無等によって露呈するものは異なるが、彼らの本音は変わらない。いや本音はミッチー時代よりもいっそう上のごとくであろう。

もちろん弱者やマイノリティ無視の姿勢に対しては昔も今も批判しなくてはならないのだが、他方、政治家や官僚の「失言」を強く批判する側において、すくなくともこの今、つねに頭の片隅に置いておかねばならぬ筈の以下に示す状況について全く視野に入っていない、あるいは「選択的非注意」に陥っているのではないかという感を抱かざるをえないことが多い。それは一般人だけでなく、当人自身の専門分野においてはとてもすぐれた研究者においても同様である。

柄谷行人は『トランスクリティーク』で、国家=共同体=資本のトリニティを提示し、《国家は収奪の機関》ーーこれが国家の原型だとしたが、理論的に突き詰めればこれは当然の考え方である。だが多くの人はいまだ共同体的互酬制のあり方を国家の機能だと錯誤している。大半のインテリや学者たちにおいてもまだこの錯誤に囚われたままであるようにみえる。通常はトリニティによってその裸の姿が隠蔽されている「国家」は、危機においてその真の姿をみせる。

以下、いくらか古い資料も混じっているが、全般の傾向はほとんど変わっていない筈なので、可能なかぎりわかりやすく簡潔な表現がなされている文献を拾って列挙する。なお、わたくしの知りうる限りだが、大半の「まともな」経済学者たちのあいだでコンセンサスがあるだろう内容のみを拾った。

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【高齢者一人当たり労働人口推移】

内閣府


現在の平均代替率は 2011 年度の実績で82.4%である。すなわち、生産年齢人口 1 人当たりの所得は 316万円であったのに対し、65 歳以上人口 1 人当たりの社会保障給付額は 261万円だった。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013)

ーー仮に労働人口2人で高齢者1 人の社会保障を支えているとしよう。すると 316万円×2によって261万円を支えなければならない。これは本来ありえない事態である。したがって国は借金で高齢者を賄い債務は増え続ける。

公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである(ジャック・アタリ、国家債務危機 )



【1億2000万円の世代間格差】




世代会計とは、各世代一人当たりが年金や医療・介護など公共サービスとして政府から得る「受益」と、税金や保険料など政府に支払う「負担」との差額が、各々の世代ごとにどうなっているかを明らかにするものです。消費増税をいつ行うかによって若干試算結果が変わりますが、60歳以上の世代は負担したよりもおよそ4000万円多い受益を得ることができ、将来世代は支払い負担の方がおよそ8000万円多くなります。この差が1億2000万円になります。(小黒一正「高齢者は若者より1億2000万円お得」2016年



【実質的には高齢者による現役労働者の搾取システム】
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修、pdf



財務省




【「中福祉・中負担」という幻想】
国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」)

ーーこの資料は現在、ウエブ上から消えているが、4年ほど前に拾ったもの。具体的な論拠は「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修、pdf)に示されている。


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◆歴史的に特異な状況にある日本財政、小黒一正 2018/04


【歳出の4割が借金賄い】
日本財政の構造を見ると、国の税収が一般会計歳出の6割しか賄えないという弱い税収基盤の上に成り立っている。2018年度における国の当初予算では、一般会計歳出総額97.7兆円のうち、33.7兆円分が国債の新規発行によって賄われている。税収(印紙収入を含む)の見積もりは59兆円であり、その他の運用収入等と合わせても64兆円に過ぎない。

一方、歳出構成の推移をみると、高齢化等に伴う社会保障費の増加と、公債残高の累増に伴う国債費の増加というわが国が抱える構造的問題が大きいことが分かる。実際、18年度予算に占める割合では、社会保障関係費が33.7%(32.9兆円)で最大のシェアを占め、国債の償還・利払い費(23.8%、23.3兆円)、地方交付税交付金等(15.9%、15.5兆円)と合わせて7割強となっている。次世代への投資である文教及び科学振興費や公共事業費など、その他の政策的経費は3割弱しかない。




【社会保障給付費は33兆円ではなく120兆円】
なお、新聞などのマスコミ報道では、一般会計予算の「社会保障関係費」の伸びのみに注目が集まるが、国や地方などが負担する「社会保障給付費」の伸びの方が重要である。18年度予算では、社会保障関係費が過去最大の33兆円に達したことが一つの話題となったが、国と地方の公費や保険料で賄う社会保障給付費は約120兆円に達する勢いである。ここ数年、この財源は保険料収入(約60兆円)や国庫負担(約33兆円)、地方負担(約10兆円)などで賄われており、国の一般会計予算案で注目する社会保障関係費は、基本的に社会保障給付費の国庫負担に相当し、社会保障給付費の一部に過ぎない。





【年2.5兆円ペース(消費税増1%分)増加する社会保障給付費】
しかも、図2で読み取れるように、国や地方などが負担する社会保障給付費(決算ベース)は、2006年度の90兆円から15年度の115兆円に膨張、つまり年平均で約2.5兆円のペースで増加している。他方、消費税率1%の引上げで手に入る税の増収分は約2.5兆円であり、社会保障給付費は消費税率1%の増収分に相当するスピードで伸びている。

また、財務省の財政制度等審議会財政制度分科会が起草検討委員の提出という形で公表した「我が国の財政に関する長期推計」(15年10月9日)によると、医療・介護費(対GDP)は、2020年度ごろに約10%(医療約8%、介護約2%)であったものが、2060年度ごろには約16%(医療約10%、介護約6%)に上昇すると予測する。

これは、財政改革の本丸は社会保障改革であることを示唆するが、日本の財政がここまで悪化し、毎年30兆円にも上る国債を発行する事態となっている主因は、高齢化の進展等により必然的に増加してきた社会保障費について財源の手当てがなされてこなかった影響も大きい。社会保障財源の不足に対しては、税によって財源を手当てすることが本来の姿である。

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※付記

【現行の社会保障制度は 9 人で高齢者を支えていた時代のもの
社会保障の給付水準を考えるときに重要なのは、 現役世代の賃金との対比でみた、言い換えれば賃金によって実質化された給付水準である(……)。年金の世界では、年金額が現役世代の手取り賃金のどれだけかを所得代替率というが、これはまさに賃金対比で給付水準を評価する考え方である。年金に限らず、高齢者向けの医療給付や介護給付も、賦課方式型で運営されていることから同様に捉えて議論することに大きな意味がある。

現役世代の平均賃金と引退世代への平均給付が同じ率で変化していれば、所得代替率は一定で推移する。しかし、保険料率を引き上げて賃金上昇率以上に給付を拡充したり、賃金が下がっているときに給付を引き下げなかったりすれば、所得代替率は上昇する。引退世代の人数が増える分以上に現役世代の負担率を上昇させながら引退世代の生活水準を向上させてきたと前述したが、賃金対比で測った実質の給付水準を引き上げてきたのがこれまでだった。

賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修、pdf






【シルバーデモクラシーの末路】
年齢層からみた多数派で、投票率も高い高齢者集団にアピールするようなキャンペーンを実施すれば、政治家はもっとも忠誠度の高い支持基盤を手に入れることができる。こうして、高齢社会が日本経済にどのようなコストを与えることになるとしても、「高齢者に優しい政策」が最優先とされている。高齢層の有権者の支持を失うことに対する恐怖が、政治家が長期的に国の未来を考えることを妨げ、これが若者に対する重荷をさらに大きくしている。(⋯⋯)

要するに、日本は二つの問題を抱えこんでいる。日本社会は急速に高齢化し、そして、高齢者たちは、政治家が現行の社会保障システムに手をつけるのを認めるつもりはない。だが、高齢社会に向き合うのを先送りすればするほど、その経済コストは大きくなる。(アレクサンドラ・ハーニー 「日本を抑え込む「シルバー民主主義」―― 日本が変われない本当の理由」2013
現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』)
増税が難しければ、インフレ(による実質的な増税)しか途が残されていない恐れがあります。(池尾和人「このままでは将来、日本は深刻なインフレに直面する」2015

次の大前研一の見解のみは、大半の経済学者とのコンセンサスがあるかどうかは知らない。だがこれは、上の池尾和人氏の言っているインフレ解決策の「最も穏やかで危険のすくない」具体的施策のひとつである。

最悪の事態を避けるためには、政府が“平成の徳政令”を出して国の借金を一気に減らすしかないと思う。具体的な方法は、価値が半分の新貨幣の発行である。今の1万円が5000円になるわけだ。

 そうすれば、1700兆円の個人金融資産が半分の850兆円になるので、パクった850兆円を国の借金1053兆円から差し引くと、残りは200兆円に圧縮される。200兆円はGDPの40%だから、デフォルトの恐れはなくなる。そこから“生まれ変わって”仕切り直すしか、この国の財政を健全化する手立てはないと思うのである。

 その場合、徳政令はある日突然、出さねばならない。そして徳政令を出した瞬間に、1週間程度の預金封鎖を発動しなければならない。そうしないと、日本中の金融機関で取り付け騒ぎが起きてしまうからだ。(大前研一「財政破綻を避けるには「平成の徳政令」を出すしかない」2016.11