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2019年1月27日日曜日

復讐のために

ぼくはずいぶん長い間、あの時期のことを思い返すたびに、まるで石の下の虫のように復讐欲が生きながらえているのに気がついたものである。唯一の変化は、 石の下を見ることがだんだん頻繁でなくなってゆくことであった。ぼくが小説を書きはじめると、過去はその力の一部分を失うようになった。それは書かれることによって、ぼくから離れたのである。(グレアム・グリーン『復讐』)

このグレアム・グリーンの『復讐』は、13、14歳頃、校長の息子だった主人公がいじめられた話、その回想として書かれている、あの記憶は、《まるで爪の下にこじ入れられた細い木片のように作用した》。要するに「幼少の砌の傷への固着」の話である、フロイト・ラカン的な固着期と比べて、時期的にはかなり後年の記憶だが。その点をやりすごせば、ラカンの骨象a(身体に突き刺さった骨)の話としたってよい。そして文学はその治療行為だという話だ。

吉行淳之介は、この短編について次のように言っている。

文学作品をつくる場合、追究するテーマというものがあり、もちろんそれを追究する情熱というものがあるわけだが、これはいわば「近因」である。一方、その作者がむかし文学をつくるという場所に追い込まれたこと、そのときの激しい心持ち、それが「遠因」といえるわけで、その遠因がいつまでもなまなましく、一種の情熱というかたちで残っていないと、作品に血が通ってこない。追い込まれたあげくに、一つの世界が開かれるのを見るのである。(吉行淳之介『「復讐」のために ─文学は何のためにあるのか─』)


ところで室生犀星にも「復讐の文学」というエッセイがあるのを昨晩知った。

私は文学といふ武器を何の為に与へられたかといふことを考ヘる。その武器は正義に従ふことは勿論であるが、そのために私は絶えずまはりから復讐せよと命じられるのである。 (中略) 私は多くの過去では骨ぬきの好いお料理のやうな小説を書いてゐたのは、 過ちでなく何であったらう。 (中略) 他の作家は知らず私自身は様々なことをして来た人間であり、 嘗て幼少にして人生に索めるものはただ一つ、 汝また復讐せよといふ信条だけであった。 幼にして父母の情愛を知らざるが故のみならず、既に十三歳にして私は或る時期まで小僧同様に働き、その長たらしい六年くらゐの間に毎日私の考ヘたことは遠大の希望よりもさきに、 先づ何時もいかやうなる意味に於ても復讐せよといふ、執拗な神のごとく厳つい私自身の命令のなかで育つてゐた。(室生犀星「復讐の文学」昭和十年)

前投稿で、「戦前のある時期の作家たちに限るが、オッカサマに突き放された記憶を持っている人が多いんじゃないか」と記したところだが、室生犀星の復讐の起源はとんでもなく根深いらしい。

室生犀星の人生への出発は、暗くいびつであった。父、元加賀藩百五十石扶持、足軽組頭、小畠弥左衛門吉種、六十四歳。母同家女中、通称ハル、実名佐部ステ、三十四歳。明治二十二年八月一日、金沢市裏千日町三十一番地に生まれたが、生後間もなく、近くの真言宗雨宝院住職室生真乗内妻赤井ハツにもらわれ、同人私生子として届出。つまり、女中の子は世間体をおもんばかり、養育費をつけひそかに捨て子同然もらわれていったのである。「馬方ハツ」と異名をとった不生女の養母は、もらい子ばかり四人を育てた。そして、時には朝から酒を飲んで酔いつぶれ、夫を頤で使い、もらい子は煙管で滅多打ちにした。九歳の時実父が死去し、その夜生母は失踪して再び犀星の前に現れることがなかった。(船登芳雄『室生犀星における小説の方法』)

もちろん似たような話は、日本の戦前には、あるいは現在でも世界的には、いくらでもあるだろうが。

⋯⋯⋯⋯

小景異情

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや




むしけらの道でもある
ときにふるさとの愛
あきらかに夏は
その道の上に落ちる
母と父と
愛の湧くところの道だ

⋯⋯⋯⋯

三好達治、ーー晩年には、萩原朔太郎ではなく室生犀星のほうをもっと愛するようになった彼にも、六歳のときの養子事件がある(参照)。

さうして私の眼には、私の身のまはり、私の棲居や家族の者が、私にとつて魅力もなく希望もない、退屈なもの、つまらないもの、変によそよそしいものに思へた。眼の前の父の顔も、何か間遠いものに見えた。今のさきまで一緒に遊んでゐた兄弟達も、たまたま路傍で避ぐり会った半日の遊びの友達、そんな風なものとしか思へなかつた。母もやはり私の心を惹かなかつた。(中略)

もともと私には、家庭を愛するやさしい感情、家庭に親しむ温かい気持、そんなものが欠けてゐたとでもいふのだらうか。(三好達治「暮春記」昭和十一年)

このように歌った三好達治である。

乳母車

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花(あぢさゐ) いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

赤い 総(ふさ) ある 天鵞絨(びろおど) の帽子を
つめたき 額(ひたひ) にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道