2019年7月11日木曜日

後期ラカンの鍵

まず「フロイト・ラカン・中井久夫の「自閉」」で示した次の図を再掲しておこう。




で、現在ラカン派ではこういうことが言われているんだな。

最後のラカンにとって、症状は「身体の出来事」として定義される(もはや旧来の症状ではなく、サントーム(原症状)である)。症状は現実界に直面する。シニフィアンと欲望に汚染されていないナマの症状である。…この原形式とは身体とシニフィアンとのあいだに遭遇にある。…

われわれは「フロイトの原抑圧の時代 the era of the ‘Ur' – Freud's Urverdrängung」にいるのである。ミレール は「原初の身体の出来事」とフロイトの「固着」を結びつけている。フロイトにとって固着は抑圧の根である。固着はトラウマの審級にある。それはトラウマの刻印ーー心理装置における過剰なエネルギーの瞬間の刻印--である。そこにおいて欲動要求の反復が生じる。(Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom", 2012)


ところで原抑圧の把握というのは現在の精神医学の世界ではほとんど全滅だと言われて来た。

フロイト以降、原抑圧概念は全く忘れられるつつある。証拠として、Grinsteinを見るだけで十分である。Grinstein、すなわちインターネット出現以前の主要精神分析参考文献一覧である。96,000項目の内にわずか4項目しか、「原抑圧」への参照がない…この驚くべき過少さを説明するのは、とても簡単である。原抑圧概念は、ポストフロイト時代の理論にはまったく合致しないのである。彼らが参照しているのは、1910年前後以前のフロイトに過ぎない。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, DOES THE WOMAN EXIST?、 1999)

いまだってほとんどかわりないよ、フロイト・ラカン研究者だってね。

ようするに次の項の右側についてはほとんど不感症の時代が続いているんだ(参照:原抑圧の忘却)。





ラカン的観点では、右項にある「自閉症」について、日本ラカン派のエライ先生だって、2016年になっても「自閉症には無意識はない」なんて言ってるぐらいだからな(参照)。

サントームの身体・肉の身体・実存的身体は、常に自閉症的享楽に帰着する。Le corps du sinthome, le corps de chair, le corps existentiel, renvoie toujours à une jouissance autiste (Pierre-Gilles Guéguen, La Consistance et les deux corps, 2016)


ようするにおわってると思うよ、日本フロイト・ラカン派ってのは。マツタクってこの程度のことはわかってるはずなのに、なんで罵倒しまくらないんだろ? それ自体がおわりの徴だよ

⋯⋯⋯⋯


以下、後期ラカンの鍵簡潔版。


後期ラカンの鍵
私は昨年言ったことを繰り返そう、フロイトの『制止、症状、不安』は、後期ラカンの教えの鍵 la clef du dernier enseignement de Lacan である。(J.-A. MILLER, Le Partenaire Symptôme - 19/11/97)
フロイトにおいて、症状は本質的に Wiederholungszwang(反復強迫)と結びついている。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は、無意識のエスの反復強迫 der Wiederholungs­zwang des unbewussten Esに存する、と。症状に結びついた症状の臍・欲動の恒常性・フロイトが Triebesanspruch(欲動要求)と呼ぶものは、要求の様相におけるラカンの欲動概念化を、ある仕方で既に先取りしている。(ミレール、Le Symptôme-Charlatan、1998)

われわれは、『制止、症状、不安』(1926年)の究極の章である第10章を読まなければならない。…そこには欲動が囚われる反復強迫 Wiederholungszwang の作用、その自動反復 automatisme de répétition (Automatismus) の記述がある。

そして『制止、症状、不安』11章「補足 Addendum B 」には、本源的な文 phrase essentielle がある。フロイトはこう書いている。《欲動要求は現実界的な何ものかである Triebanspruch etwas Reales ist(exigence pulsionnelle est quelque chose de réel)》。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un,  - 2/2/2011)
この欲動蠢動 Triebregungは(身体の)「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして(この欲動の)固着する瞬間 Das fixierende Moment は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es となる。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
欲動の現実界と原抑圧(=固着)
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。……

原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
フロイトは『夢解釈』にて「原無意識」に相当するものを、「我々の存在の核 Kern unseres Wesen」 「菌糸体」mycelium」「夢の臍 Nabel des Traums」と呼んだ。それは決して表象されえない。しかし固着過程を通して背後に居残っている。フロイトはこれを「原抑圧」と呼んだ。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER 、2001年)
ラカンの現実界は、フロイトの無意識の臍であり、固着のために「置き残される」原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』、2001年)
骨象a=固着(身体の上への刻印)
私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレールColette Soler、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre(骨象 osbjet) とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』2001年)
『心理学草稿』1895年以降、フロイトは欲動を「心的なもの」と「身体的なもの」とのあいだの境界にあるものとして捉えた。つまり「身体の欲動エネルギーの割り当てportion」ーー限定された代理表象に結びつくことによって放出へと準備されたエネルギーの部分--と、心的に飼い馴らされていないエネルギーの「代理表象されない過剰」とのあいだの閾にあるものとして。

最も決定的な考え方、フロイトの全展望においてあまりにも基礎的なものゆえに、逆に滅多に語られない考え方とは、身体的興奮とその心的代理との水準のあいだの「不可避かつ矯正不能の分裂 disjunction」 である。

つねに残余・回収不能の残り物がある。一連の欲動代理 Triebrepräsentanzen のなかに相応しい登録を受けとることに失敗した身体のエネルギーの割り当てがある。心的拘束の過程は、拘束されないエネルギーの身体的蓄積を枯渇させることにけっして成功しない。この点において、ラカンの現実界概念が、フロイトのメタ心理学理論の鎧へ接木される。想像化あるいは象徴化不可能というこのラカンの現実界は、フロイトの欲動概念における生(ナマ raw)の力あるいは衝迫 Drangの相似形である。(RICHARD BOOTHBY, Freud as Philosopher METAPSYCHOLOGY AFTER LACAN, 2001)