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2019年8月28日水曜日

中福祉・高負担しかありえない日本

前回記したことは、最も単純にいえば次の二図を眺めればいいわけでね(「社会保障について」 平成31年4月23日(火) 財務省、pdf






こうなんだから、負担を増やすか福祉を減らすしかない。だれもがそれがわかるはずだ。


ここでは「いま一度、 社会保障の未来を問う」(日本シンクタンク協議会 2016年度冬季セミナー抄録、pdf)から前回掲げた文をもういちど示すけれど、このセミナー抄録程度は最低限ぜんぶ読んどいたほうがいいよ。たとえばもしひとが消費税に触れたいならね。

最後に申し上げたいのは、日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産 業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。 (基調講演—財政と社会保障 武藤敏郎 氏 株式会社大和総研 理事長)

前回は2040年という近未来に焦点をあてて示したけれど、ようするに人が20年後の日本の状況を視野に入れてものを言っているかどうかだよ、で、ほとんどの人はいれていないね。

たとえばツイッター社交界でのオピニオンリーダーの位置にある人物だな、ボクはあまりしらないのだけれど、数日前、「山本太郎」をめぐっていくらか眺めたなかで、想田和弘とか山崎雅弘という名にめぐりあったから今この二人を例にとるが、彼らはどう贔屓目にみても、20年後についてあきめくらタイプだな。穏やかにいえば「選択的非注意」派だ。

古都風景の中の電信柱が「見えない」ように、繁華街のホームレスが「見えない」ように、そして善良なドイツ人の強制収容所が「見えなかった」ように「選択的非注意 selective inatension」という人間の心理的メカニズムによって、いじめが行われていても、それが自然の一部、風景の一部としか見えなくなる。あるいは全く見えなくなる。(中井久夫「いじめの政治学」1996年『アリアドネからの糸』所収)


この現在の弱者擁護がなによりも肝腎だってのは、スバラシイことだよ、ある意味でね。でも、ああいった「善意で誠実な」リベラルが、例えば、1997年に消費税率は3%から5%に引き上がったあと、消費税率が8%に引き上がるまで17年もの時間がかかった(2014年)、その大きな原因のひとつだね。で、そのあいだに債務は雪だるまだ。

つまりはああいった連中こそ「財政的幼児虐待 Fiscal Child Abuse」の実践者だ。

財政的幼児虐待:現在の世代が社会保障収支の不均衡などを解消せず、多額の公的債務を累積させて将来の世代に重い経済的負担を強いること。

財政的幼児虐待とは「未来の大衆いじめ」なんだよ、それが「未来の大衆にたいして最も残酷な「庶民のための政治」」で示したことだ。

極論をいえば、現在はこの二つの選択肢しかない。

よこしまな心を抱いて正しい行為
そして正しい心を抱いて邪な行為

wicked meaning in a lawful deed
And lawful meaning in a wicked act

ーーシェイクスピア『終わりよければすべてよし』


つまりは「短期的には弱者においても痛みをもたらすよこしまな行為をして、未来の大衆のための正しい行為をする」か、あるいは「短期的視野のみで弱者擁護という正しい心に固執して、長期的には未来の庶民いじめという最悪の行為をする」かだ。あの経済音痴の連中は後者ということになる。

いまからでもおそくないから消費税を国民福祉税に名称変更すべきだな。そうすればああいった「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」(小林秀雄)がすこしは減るよ。

で、想田和弘や山崎雅弘のツイートをリツイートしてうんうんうなずいているお嬢さんたちをみると、まさに次のようだな。

集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)

そう、まさにつぎのゴダールの映像のようだ。




集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動 Affektivität は異常にたかまり、彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 Triebhemmungen が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。

この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原初的集団 primitiven Masse における情動興奮 Affektsteigerungと思考の制止 Denkhemmung という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章ーーヒトラー大躍進の序奏

これは皮肉をいっているわけではゼンゼンないのでね、人間というのは群集という場におかれたらかならずこうなってしまうということだな。鳥語装置というのはあきらかにポピュリズム装置として機能しているところがあるわけで、つまりは知的劣化装置だね。