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2019年8月14日水曜日

真理とは嘘である

「仮象の scheinbare」世界が、唯一の世界である。「真の世界 wahre Welt」とは、たんに嘘 gelogenによって仮象の世界に付け加えられたにすぎない。(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)



この真理とはどういう意味ですか? って質問されてもな。ニーチェを引用して「真理とは嘘のことだ」とだけ示しても、たぶん納得しないだろうし。

ま、しばしば掲げている図だから「責任上」示すけど。本来、自ら探るより他ないよ。

以下、在庫から列挙。

■仮象=シニフィアン
メタランゲージはない il n'y a pas de métalangage
大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre,
真理についての真理はない il n'y a pas de vrai sur le vrai.

…見せかけ(仮象)はシニフィアン自体のことである Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! (ラカン、S18, 13 Janvier 1971)

■真理と享楽(話す身体の享楽)
真理は本来的に嘘と同じ本質を持っている。(フロイトが『心理学草稿』1895年で指摘した)proton pseudos[πρωτoυ πσευδoς] (ヒステリー的嘘・誤った結びつけ)もまた究極の欺瞞である。嘘をつかないものは享楽、話す身体の享楽である Ce qui ne ment pas, c'est la jouissance, la ou les jouissances du corps parlant。(JACQUES-ALAIN MILLER, L'inconscient et le corps parlant, 2014)
現実界、それは話す身体の神秘、無意識の神秘である Le réel, dirai-je, c’est le mystère du corps parlant, c’est le mystère de l’inconscient(ラカン、S20、15 mai 1973)
私は私の身体で話してる。自分では知らないままそうしてる。だからいつも私が知っていること以上のことを私は言う。Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. (ラカン, S20, 15 Mai 1973)

■欲動の現実界あるいはサントームの基盤にある原抑圧
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
四番目の用語(Σ:サントームsinthome)にはどんな根源的還元もない Il n'y a aucune réduction radicale、それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかは知られていないが…言い得たから。すなわち原抑圧 Urverdrängung があると。決して取り消せない抑圧である。…そして私が目指すこの穴trou、それを原抑圧自体のなかに認知する。(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

■原抑圧=固着
(原)抑圧は何よりもまず固着である。le refoulement est d'abord une fixation (Lacan, S1, 07 Avril 1954)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である…(コレット・ソレール Colette Soler, Avènements du réel, 2017年)

■固着=原無意識(現実界の無意識)
フロイトのシステム無意識 System Ubw (原無意識)は、欲動の核の身体の上への刻印(リビドー固着Libidofixierungen)であり、欲動衝迫の形式における要求過程化である。ラカン的観点からは、原初の過程化の失敗の徴、すなわち最終的象徴化の失敗である。

他方、力動的無意識 Dynamik Ubw は、「誤った結びつき eine falsche Verkniipfung」のすべてを含んでいる。すなわち、原初の欲動衝迫とそれに伴う防衛的加工を表象する二次的な試みである。言い換えれば症状である。フロイトはこれを「無意識の後裔 Abkömmling des Unbewussten」(同上、1915)と呼んだ。この「無意識の後裔」の基盤となる原無意識は、システム無意識 System Ubwを表す。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe、On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics、2004年)
自我はエスから発達している。エスの内容の或る部分は、自我に取り入れられ、前意識状態vorbewußten Zustandに格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、原無意識(リアルな無意識 eigentliche Unbewußte)としてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』1938年)
幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse は、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 「症状形成へ道」1916年)
より初期の段階のある部分傾向 Partialstrebung の置き残し(滞留 Verbleiben)が、固着 Fixierung、欲動の固着 Fixierung (des Triebes nämlich)と呼ばれるものである。(フロイト『精神分析入門』第22講、1916年)
この欲動蠢動 Triebregungは(身体の)「自動反復 Automatismus」を辿る、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯そして(この欲動の)固着する要素 Das fixierende Moment ⋯は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es となる。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)
発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…

いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける。…最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

■サントーム=固着
サントームという享楽(サントームの享楽 la jouissance du sinthome) (Jean-Claude Maleval , Discontinuité - Continuité , 2018)
享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
ラカンがサントーム sinthome と呼んだものは、…反復的享楽 La jouissance répétitiveであり、「一のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 hors-savoir にある。それはただ、S2なきS1[S1 sans S2](=固着)を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(MILLER、L'Être et l'Un, 23/03/2011)


■トラウマへの固着(サントーム)による反復強迫
享楽は現実界にある la jouissance c'est du Réel. (ラカン、S23, 10 Février 1976)
私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)
フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(J.-A. MILLER,2/2/2011)
サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である Le sinthome, c'est le réel et sa répétition(MILLER、L'Être et l'Un, 9/2/2011)
トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫Wiederholungszwang」は、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1938年)


■欲望のデフレ(価値下落)
後期ラカンの教えには、欲望のデフレ une déflation du désir がある。…

ラカンの最初の教えは、存在欠如 manque-à-être と存在欲望 désir d'être を基礎としている。それは解釈システム、言わば承認 reconnaissance の解釈を指示した。(…)しかし、欲望ではなくむしろ「欲望の原因」(=享楽の対象 Objet de jouissanceを引き受ける別の方法がある。それは、防衛としての欲望、存在する existe ものに対しての防衛としての存在欠如を扱う解釈である。では、存在欠如であるところの欲望に対して、何が存在 existeするのか。それはフロイトが欲動 pulsion と呼んだもの、ラカンが享楽 jouissance と名付けたものである。…

承認 reconnaissance から原因 causeへと移行したとき、ラカンはまた精神分析の適用の要点を、欲望から享楽へと移行したのである。(MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN -11/05/2011)-
主体は、存在欠如である être manque à être 以前に、身体を持っている。そして、ララング(≒母の言葉、リビドー固着)によって刻印されたこの身体を通してのみ、主体は欠如を持つ。分析は、この穴・この欠如に回帰するために、ファルス的意味を純化することにおいて構成される。これは、存在欠如ではない。そうではなくサントームである。(Pierre-Gilles Guéguen, LE CORPS PARLANT ET SES PULSIONS AU 21E SIÈCLE 、2016)


■ララングと言語 
ララング langageが、「母の言葉 la dire maternelle」と呼ばれることは正しい。というのは、ララングは常に(母による)最初期の世話に伴う身体的接触に結びついているから liée au corps à corps des premiers soins。フロイトはこの接触を、引き続く愛の全人生の要と考えた。

ララングは、脱母化 dématernalisants をともなうオーソドックスな言語の習得過程のなかで忘れられゆく。しかしララングの痕跡が、最もリアルなーー意味外のーー無意識の核 le noyau le plus réel - hors sens - de l'inconscient を構成しているという事実は残ったままである。(コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens, 2011)
サントームは、母の言葉に起源があるLe sinthome est enraciné dans la langue maternelle。話すことを学ぶ子供は、この言葉と母の享楽によって生涯徴づけられたままである。(Geneviève Morel, Sexe, genre et identité : du symptôme au sinthome, 2005)
私が「メタランゲージはない」と言ったとき、「言語は存在しない」(=言語は仮象である) と言うためである。《ララング》と呼ばれる言語の多種多様な支えがあるだけである。

il n'y a pas de métalangage, c'est pour dire que le langage, ça n'existe pas. Il n'y a que des supports multiples du langage qui s'appellent « lalangue » (ラカン、S25, 15 Novembre 1977)

テュケー tuché とオートマトン automaton の意味合いは、「きみたちは途轍もなく間違っている」を見よ。

「言存在 parlêtre」の意味は、「原無意識(現実界的無意識)について」を見よ。

以上。


※付記

■真理は女である

真理は女である die wahrheit ein weib (ニーチェ『善悪の彼岸』「序文」1886年)
生への信頼 Vertrauen zum Leben は消え失せた。生自身が一つの問題となったのである。ーーこのことで人は必然的に陰気な者、フクロウ属になってしまうなどとけっして信じないように! 生への愛 Liebe zum Leben はいまだ可能である。ーーただ異なった愛なのである・・・それは、われわれに疑いの念をおこさせる女への愛 Liebe zu einem Weibe にほかならない・・・(『ニーチェ対ワーグナー』エピローグ、1888年)
真理への意志 Wille zur Wahrheit は、いまだ我々を誘惑している。…我々は真理を欲するという。だがむしろ、なぜ非真理 Unwahrheit を欲しないのか? なぜ不確実 Ungewissheit を欲しないのか? なぜ無知 Unwissenheit さえ欲しないのか?(ニーチェ『善悪の彼岸』第1番、1886年)
真理は女である。真理は常に、女のように非全体 pas toute(非一貫的)である。la vérité est femme déjà de n'être pas toute(ラカン,Télévision, 1973, AE540)
真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。la vérité, fille en ceci …qu'elle ne serait par essence, comme toute autre fille, qu'une égarée.(ラカン, S9, 15 Novembre 1961)