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2020年3月30日月曜日

滴虫類の繁殖は長期にまたがるだろうか?


人は、まるで恋をしているときのように、目かくしをして、新聞を読んでいるのだ。事実を理解しようとはつとめない。愛人の言葉に耳を傾けるように、主筆の甘言に耳を傾ける。on lit les journaux comme on aime, un bandeau sur les yeux. On ne cherche pas à comprendre les faits. On écoute les douces paroles du rédacteur en chef, comme on écoute les paroles de sa maîtresse. (プルースト「見出された時」p111)

人は勝負のつかぬ長期戦を予言する勇気もなければ、予言するだけの想像力もなかった。…

「長期にまたがるだろうか?」と私はサン = ルーにたずねた。「いや、ぼくは非常に短期の戦争だと思うんだ」と彼は私に答えた。しかしこんども、いつもと同様に、彼の論拠は、文書からえたものだった。 「モルトケの予言を考慮に入れながら、読みかえしてみたまえ」と彼は、あたかも私がすでにそれを読んでいたかのように、私にいった、「大編成部隊の行動に関する一九一三年十月二十八日の政令を。そうすれば、きみにわかるだろう、平時予備軍の補充が計画されてもいなければ、予測さえされていないことを。そういう編成は、戦争が長びくはずなら、欠かすことができないんだからね。」私には、問題の政令を、戦争が短期のものであろうという証拠として解釈されるべきではなくて、戦争が短期のものであるという見通し、戦争が今後どうなるかという見通しを、欠くものとして解釈されるべきであり、その政令を起草した当事者たちの側には、戦争が謬着状態に陥るとき、全面にわたり物資のおそるべき消耗をきたすであろうことや、作戦のさまざまな舞台の連帯が必要になってくるであろうことの、憶測というものがなかったのだ、という気がするのであった。(プルースト「見出された時」p100)


…生活は以前とほとんどおなじままでつづいていた、とりわけシャルリュス氏とヴェルデュラン夫妻にとってはそうで、まるでドイツ軍がそれほど彼らの近くにせまってはいないかのようであった。危険のたえまない脅威もーーさしあたってそれは食いとめられているのだが ーーわれわれがその危険をまざまざと目に浮かべないかぎり、われわれには一向に無感心でいられるのである。人々はいつものように快楽をあさりに出かけ、けっしてこうは考えない、 もし適度に萎縮させる力を加えないでいると、滴虫類の繁殖はその極限に達する si les influences étiolantes et modératrices venaient à cesser, la prolifération des infusoires atteindrait son maximum、換言すれば、その繁殖は数日のあいだに幾百万里をひととびして、一ミリメートル立方から、太陽の百万倍の大きさに達し、同時に、われわれが生きてゆくに必要な酸素その他の物質をすべて破壊する、そしてもはや人類も動物も地球もなくなるだろうと。(プルースト 「見出された時」p148)
…しまいには彼ももっと正しい指摘をするにいたった、「おかしいと思うのは」と彼はいった、「そんなふうに戦争下の人間や事件を新聞だけでしか判断していない大衆が、自分の意見でそれを判断していると思いこんでいることですよ。」その点ではシャルリュス氏のいうことは正しかった。(プルースト「見出された時」p177)