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2020年5月19日火曜日

庶民的正義感のはけ口派



権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民Pöbelの値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳(群衆の徳)がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー。
Und wenn sie gar die letzten sind und mehr Vieh als Mensch: da steigt und steigt der Pöbel im Preise, und endlich spricht gar die Pöbel-Tugend: `siehe, ich allein bin Tugend!` -(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「王たちとの会話」1885年)

よくわかるよ、このニーチェ文はフロイトの「集団心理学と自我の分析」の父、ラカンの言説理論の祖父でありうることにまったく不感症であるのは。

「われのみが徳だ!」という賤民集団でかたまり、《表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口》(中井久夫「トラウマとその治療経験」)を繰り返して、「とってもイイキモチ」になってんだろ、そうなれば知的活動が酷く制限されて殆ど自己批判精神ゼロになってしまっている筈だからな。

理念 führende Ideeがいわゆる消極的な場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存 positive Anhänglichkeit と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合 Gefühlsbindungen を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章、1921年)
集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動 Affektivität は異常にたかまり、彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章)




しかし、ホントに、ひとつのことが他のことにまったく繋がらないってのはな、ボクのネトサヨ批判はほとんど常にこれをベースにしてるんだが➡︎「信者集団の感情結合の構造



ここでネトサヨ言説の構造を問うてみよう。ツイッターで見るかぎり、彼らの言説は基本的にはヒステリーの言説である。



彼らは何らかの機会があるたびに、安倍政権に当たり散らす。そのなかには正しい批判もあるだろう。だがその多くはピント外れである。たとえばネトサヨは内部留保やらTPPやらで騒いできた。「TPPで日本はアメリカの植民地に!」のたぐいである。内部留保であるなら、今回のコロナ禍でなぜ日本の企業は米国のように即首切りをしないのかは少し調べれば内部留保のためだとわかるはずなのだが連中には知ろうとする心持ちさえない。ひと騒ぎしたら、次の反安倍ネタを探し出すのみに専念している。反安倍によってもたらされる筈の知S2さえ機能していないという意味では最悪の資本の言説かもしれない(参照)。





この観点をとるなら、ネトサヨ構造はネトウヨ構造とまったく変わらない。

構造が反復されると、出来事も同様に反復されて現われる。…反復されるものは、確かに、出来事ではなく構造、あるいは反復構造である。驚くことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて現われる。しかしながら、反復され得るのは反復構造のみである。( Kojin Karatani, "Revolution and Repetition" 2008 私訳)



彼らの主張の基本は、「社会保障カットも消費税引き上げにも反対!」である。これがいかにおバカな主張であるかは、「消費税の代りに姑息に社会保険料増」等で何度も示してきた。立憲を支えるはずの連合がなぜ消費税増賛成なのか。それに須臾の間でも思いを馳せたらわかるはずのことが彼らにはできない。彼らには何を言ってもムダなのである。

日本労働組合総連合会(連合)は、長年支援してきた旧民進党の分裂後は、いわゆる「股裂き状態」ーー傘下の産業別労組(産別)ごとに支持政党が分かれるーーだが、現在の連合会長は完全に消費税賛成派である。


日本経済新聞の編集委員大石格氏が《労組イコール左翼の図式で語られることが多いが、自民党の支持団体になる日はそう遠くないのではなかろうか。》(2019/11/18)と言っているが、枝野が消費税8%とか共産党と組むとかおバカなことを言い続けていると、本当に立憲から完全に離れることも十分にありうる。