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2020年5月5日火曜日

信者集団の感情結合の構造

何度も記している話だが、ふたたび簡潔に示そう。




原集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章、1921年)


ここでコレット・ソレール  2003の簡略図も示す(とても使い易い図なので)。



UTとは「結合の徴trait d’union」のことであり、ここに自我理想が入る。

すなわち、



理念 führende Ideeがいわゆる消極的な場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存 positive Anhänglichkeit と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合 Gefühlsbindungen を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章)

上にあるように場合によっては、憎悪対象が自我理想の場に入り個々人の感情的結合が生じる。


たとえば卑近な例でも学校でのいじめは明らかにこの構造を持っている。

ちなみにラカンの四つの言説理論の言説とは「社会的結びつきlien social 」のことであり、フロイトの「感情的結合 Gefühlsbindungen」と等価である。事実、ラカンは四つの言説、とくにそのうちのヒステリーの言説を思考する過程でフロイト図を示している。



上にあるようにこのフロイト図は、文字通り「集団心理学と自我の分析」をするためにはある意味で決定的な図であり、とくにラカンの四つの言説のうちのヒステリーの言説にダイレクトにつながる。いわば信者集団の感情結合の構造である。



この構造においてラカン的に肝腎なのは欲望の宛先としての大他者を信じるのはなぜか、と問うことである。左上の「欲望の主体」とは下部に隠蔽された「真理」の代理人にすぎない。大他者の信者には自我理想としての対象を信奉する自らの「欲望の原因」が無意識的に必ずある。もし精神分析が文化共同体病理学に貢献することがあるなら、核心はここにある。

さてラカン はセミネール8の段階でも次のように言っている。

フロイトの『集団心理学と自我の分析』…それは、ヒトラー大躍進の序文[préfaçant la grande explosion hitlérienne]である。(ラカン,S8,28 Juin 1961)


ナチスの構造は上に示した自我理想による結びつきと同時に憎悪対象による結びつきによってもいっそう強化されていた。



おそらく多くの集団の感情結合はこの形をとっている筈である。

たとえばネトウヨの構造。



たとえばネトサヨの構造。




ここで示しているのは、たとえば安倍批判が正しいか否かの問題ではない。構造が同一だということを示している。そしてこの構造をもつと人々やそのリーダーは次の傾向を生みがちになる。

集団にはたらきかけようと思う者は、自分の論拠を論理的に組みたてる必要は毛頭ない。きわめて強烈なイメージをつかって描写し、誇張し、そしていつも同じことを繰り返せばよい。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)
集団は異常に影響をうけやすく、また容易に信じやすく、批判力を欠いている。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第2章)
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる。彼の情動 Affektivität は異常にたかまり、彼の知的活動 intellektuelle Leistung はいちじるしく制限される。そして情動と知的活動は両方とも、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な欲動制止 Triebhemmungen が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。

この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原集団 primitiven Masse における情動興奮 Affektsteigerungと思考制止 Denkhemmung という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第4章)

いまさらだが、わたくしにはこの期に及んで、次のようなことをサラッとツイートしてしまう左翼リーダー、そしてそれをRTしてマガオで流通させている共産党信者たちを見るといまもって茫然自失してしまうのである。




なぜなら少なくもこの十数年前から、日本の最大論点は少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きるはずだから。

たぶん長年海外住まいのわたくしがおぼこなのだろう。いかんせん日本に住んでいたころは左翼シンパで通してきたせいもあって、いつまでたっても彼らの劣化ぶりが衝撃なのである。

2010年前後に若手経済学者のなかでは最も優秀な人物のひとりだろう小黒一正氏らとともに「若者マニュフェスト」を立ち上げた経済知豊かな「働き手の現場に根ざした」とても有能なコンサルタント城繁幸氏のような心境にはやく至るべきなのかも知れない。


彼の2年前のブログからも抜粋して掲げておこう。



TPPや共謀罪、水道民営化…なぜ反対の顔ぶれが毎度同じなの?
ここで一つ疑問が残ります。彼らはなぜまったく反省しないんでしょうか。たとえば直近のTPPとか共謀罪デマで空振りした後の動向をチェックしてみると面白いんですが、彼らは反省とか総括は一切やらず、そのまま無言ですぐに次のネタを発掘しはじめるんですね。その最新版が水道民営化というわけです(西日本水害でもいろいろやってたようですがSNSで良識派に速攻駆除された模様)。

このことからは、彼らは別に社会をよくしようとか何かを守ろうとかは実は全然考えてなくて、本当のところは自己満足のために運動してるだけということがわかります。運動、あるいは闘争それ自体が目的ということです。本当に何かを実現したい人というのは必ず失敗を総括して乗り越えようとするものですからね。

そういう意味では、問題の本質は彼ら自身の心の中にあるといっていいでしょう。
世の中には、より成長し豊かになろうと上を向いて努力する人達がいます。それに対し、何か変えたら今よりずっと悪くなるぞ、みんな貧乏になるぞ、と下ばっかみて騒ぐ上記のような一群の人たちも存在します。

実は、日本においては左右の間で議論らしい議論はほとんど行われておらず、上下の間で(陰謀論をベースにしちゃってるせいで)中身のない議論が延々行われている、というのが筆者の見方です。

ちなみに筆者は、リベラルにくわえて「TPPで亡国するぞ」とか垂れ流してたなんちゃって保守の人達も全部含めて“下翼”と呼んでいます。そもそも「自由競争したら日本人は負ける。日本人は規制で守らないといけない弱い民族だ」っていうのが保守なわけないでしょ(苦笑)。右でも左でもなく、いつもびくびく下ばっか気にしてるから下翼。わかりやすいですね。

共産党とはもはや左翼ではなく「下翼」と見なせば、わたくしの心もいくらか穏やかになりうる・・・