原集団は、同一の対象を自我理想の場に置き、その結果おたがいの自我において同一化する集団である。Eine solche primäre Masse ist eine Anzahl von Individuen, die ein und dasselbe Objekt an die Stelle ihres Ichideals gesetzt und sich infolgedessen in ihrem Ich miteinander identifiziert haben.(フロイト『集団心理学と自我の分析』第8章、1921年)
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ここでコレット・ソレール 2003の簡略図も示す(とても使い易い図なので)。
UTとは「結合の徴trait d’union」のことであり、ここに自我理想が入る。
すなわち、
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理念 führende Ideeがいわゆる消極的な場合もあるだろう。特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的依存 positive Anhänglichkeit と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合 Gefühlsbindungen を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章)
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上にあるように場合によっては、憎悪対象が自我理想の場に入り個々人の感情的結合が生じる。
たとえば卑近な例でも学校でのいじめは明らかにこの構造を持っている。
ちなみにラカンの四つの言説理論の言説とは「社会的結びつきlien social 」のことであり、フロイトの「感情的結合 Gefühlsbindungen」と等価である。事実、ラカンは四つの言説、とくにそのうちのヒステリーの言説を思考する過程でフロイト図を示している。
上にあるようにこのフロイト図は、文字通り「集団心理学と自我の分析」をするためにはある意味で決定的な図であり、とくにラカンの四つの言説のうちのヒステリーの言説にダイレクトにつながる。いわば信者集団の感情結合の構造である。
この構造においてラカン的に肝腎なのは欲望の宛先としての大他者を信じるのはなぜか、と問うことである。左上の「欲望の主体」とは下部に隠蔽された「真理」の代理人にすぎない。大他者の信者には自我理想としての対象を信奉する自らの「欲望の原因」が無意識的に必ずある。もし精神分析が文化共同体病理学に貢献することがあるなら、核心はここにある。
さてラカン はセミネール8の段階でも次のように言っている。
ナチスの構造は上に示した自我理想による結びつきと同時に憎悪対象による結びつきによってもいっそう強化されていた。
おそらく多くの集団の感情結合はこの形をとっている筈である。
たとえばネトウヨの構造。
たとえばネトサヨの構造。
ここで示しているのは、たとえば安倍批判が正しいか否かの問題ではない。構造が同一だということを示している。そしてこの構造をもつと人々やそのリーダーは次の傾向を生みがちになる。
いまさらだが、わたくしにはこの期に及んで、次のようなことをサラッとツイートしてしまう左翼リーダー、そしてそれをRTしてマガオで流通させている共産党信者たちを見るといまもって茫然自失してしまうのである。
なぜなら少なくもこの十数年前から、日本の最大論点は少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きるはずだから。
たぶん長年海外住まいのわたくしがおぼこなのだろう。いかんせん日本に住んでいたころは左翼シンパで通してきたせいもあって、いつまでたっても彼らの劣化ぶりが衝撃なのである。
2010年前後に若手経済学者のなかでは最も優秀な人物のひとりだろう小黒一正氏らとともに「若者マニュフェスト」を立ち上げた経済知豊かな「働き手の現場に根ざした」とても有能なコンサルタント城繁幸氏のような心境にはやく至るべきなのかも知れない。
彼の2年前のブログからも抜粋して掲げておこう。
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2020年5月5日火曜日
信者集団の感情結合の構造
何度も記している話だが、ふたたび簡潔に示そう。